文化祭

第50話【9月28日その1】文化祭開幕


 普段なら朝のショートホームルームをやっている時間だった。文化祭開場直前の喧噪がここまで聞こえくる。

 しかしこの一画は静かだ。いるのは文芸部の四人だけである。

 来場者が多い今日は盗難防止のために図書室を終日閉めきるため、普段にもましてここには人が来ないらしい。


 わたしたちは図書準備室前の廊下に長机を出してテーブルクロスを掛け、そこに文芸部と文集販売と書かれたポップを置く。

 ブックスタンドに『星霜』を立てかけ、残りの在庫は平積みにする。

 二百円と書かれた値札と、見本誌と貼られた星霜を用意すると設営はそれで完了だった。


「うーん。去年に比べたら百倍マシなんだけど、華やかさに欠けるよねえ。やっぱりイラストとかあったほうがよかったんじゃない?」


 早苗先輩が後ろに下がって、全体を見渡しながらそう不満を漏らした。


「だから直前になってそういうことを言うなよ。描きたきゃ今からでも描いたらどうだ?」


 結城先輩は呆れたようにそれに答える。

 先輩たちがいつものペースなので、わたしの緊張はほぐれた。


「あたし絵心ないもの。それより予備のポスターがあったよね。あれをここの壁にずらっと貼ったらどうかな?」


「指定場所以外に貼ってあるのを文実に見つかると警告を食らうぞ。まあ、見回りが来ないようだったらそれも考えておく。それよりクラスの方はいいのか?」


 それを聞いて早苗先輩は時間を見るためにスマホを取り出そうとした。しかしいつもの制服ではなく、クラスTシャツに体育用のハーフパンツという格好のため、スマホを持っていないことに気づいたらしい。

 代わりに結城先輩が時間を教えてあげた。こちらは普段通りの制服姿だ。


「まずい、そろそろ行かないと。それじゃあ頼んだわよ」


 慌てて踵を返す早苗先輩に続いて、亜子ちゃんも頭を下げた。


「すみません。よろしくお願いします」


 わたしと結城先輩はそれに頷いて二人を見送った。

 早苗先輩が軽装なのはクラスの出し物であるシャッフル劇で衣装に着替えやすいようにだ。演者と裏方を何度も繰り返す必要があるからである。

 それに対して亜子ちゃんは制服だったが、こちらは大正喫茶の衣装に一度着替えたら、あとはずっとそのままだからだろう。


 わたしはといえば上はクラスTシャツだが下は制服のスカートだった。

 なんとも中途半端な恰好だが、アピールと団結のためにとTシャツ着用をクラスから通達されているので仕方がない。

 出し物がお化け屋敷だから、Tシャツにはデフォルメされたお化けと死神のイラスト、それにクラスを表す1-4の数字がデザインされている。


 結城先輩のクラスはTシャツを作らなかったのか聞いてみると「作ったけど俺は着る必要がない」との返事だった。

 先輩は文化祭当日には出し物にいっさい関わらないと言う条件で企画発案をしたから、クラスに顔を出すつもりがないし、それを許されているのだ。


 結城先輩は設営した長机の後ろに座ると、さっそく本を取り出している。読書に耽る気満々だ。

 タイトルは『Iの悲劇』米澤穂信。これは早苗先輩に先程借りた――というか押しつけられた本だ。新作ミステリではよくあることらしい。

 もっともミステリに関しては早苗先輩の目利きを信用している結城先輩は、素直にそれを受け取っていた。


 さてわたしはどうしよう。

 クラスの出し物では受付が仕事だが、午前と午後で合わせて三時間ほど担当するだけだった。結城先輩ほどではないが、早苗先輩や亜子ちゃんに比べるとかなり自由時間がある。

 すると結城先輩が声をかけてきた。


「とりあえずひと通り回ってきたらどうだ? 年に一度のことなんだし、創作の参考にもなるぞ」


「それならまずは結城先輩から行くべきでは? わたしがクラスの手伝いに行ったら、ここは先輩だけですし」


 それにたいして結城先輩は芝居がかった笑みを浮かべてわたしを見た。


「わかっていないな有村。物語でどちらかが犠牲になれば、もうひとりは生き残れるというシチュエーションがよくあるだろ。

 そういう時に知識も経験も豊富な年長者が犠牲になって、わざわざ経験の浅い若者を生かそうとするのはどうしてだ?」


「若者には未来があるからですよね」


「そういうことだ。というわけでここは俺が守る。おまえは行くんだ」


「……なにか格好良いことを言っている風ですが、単に先輩は読書をしたいだけですよね?」


 しかし結城先輩はすでに本を開いてこちらを見ていない。

 まったく。本の虫も度が過ぎると問題だと思う。

 だけどしばらくは誰も来ないだろうし、ここに二人いても無駄なのは事実だ。


「わかりました。お言葉に甘えてちょっとぶらついてきます。クラスの手伝いに行く前には戻ってきますから」


 結城先輩は顔を上げずに頷いた。早くも本の世界に入り込んでいるらしい。

 わたしはため息をひとつ吐くと歩き出した。

 さてまずはどこへ行こう?

 まだ開場していないことだし、せっかくだから外の様子でも見てこようか。

 そう思って階段を下りると昇降口へと向かった。


 途中の文化祭ポスターが貼ってある廊下で立ち止まる。

 これだけあると壮観だ。どの団体も工夫のあとが見えるが、少し情報量が多すぎてごちゃごちゃしていると感じた。

 その中で我が文芸部の一行ポスターは目立った。

 この場所に貼ってあるのは星霜のメインテーマである『時間ときにまつわる物語』と書いてあるものだ。

 他の団体のポスターは手書きが多いのに対して、コバルトブルーの明朝体で印刷されてある。贔屓目になるがスタイリッシュで一番格好良いと思う。

 わたしは満足して外へ出た。


 今日は秋晴れの良い天気だ。

 これは密かな自慢だがわたしは晴れ女なのだ。もっとも運動が苦手なわたしにとって、運動会が雨天中止にならないこの特性は嬉しくなかったのだが。

 昇降口から正門へと向かう道には生徒が溢れていた。そのほとんどはプラカードを手にしている。来場者を迎えるための各団体の呼び込みだ。

 しかしその数が多い。各クラスと部活だけではこれだけの人数にはならないだろう。ということは同好会や有志の企画が多いということだ。



 これは文化祭シーズンに入ってから知ったことなのだが、霧乃宮高校には同好会が数多くある。部活と同好会の違いは何かというと学校公認かどうかで、学校公認だと何か良いことがあるのかというと部費が出ることだ。

 そして同好会はこの部費を獲得するために、部活以上に熱心に活動をしているところも多いという。そして文化祭は絶好のアピールチャンスなのだ。

 わたしがそれらのことを知らなかったと言うと、早苗先輩が不思議そうに聞いてきた。


「友達に誘われたりしない? 部活とかけもちしている生徒も多いし、同好会は人数を集める為に積極的に声掛けしてくるんだけどなあ」


 まるでわたしに友達がいないような言われようだが、実際にそんな経験がなかったので反論できなかった。

 それに解答を与えてくれたのは結城先輩だ。


「普通は文科系部活だと週二程度の活動だし、運動部でも最近は休養日を設けているところが多い。そんな中で有村は毎日ここに来ているからな、声をかけづらいんじゃないか?」


 そう言われて思い当たることがあった。

 あまり接点のないクラスメイトから、毎日放課後にどこに行くのかと聞かれたことがあったのだ。わたしは素直に文芸部だと答えて、興味があるのなら見学に来ないかと誘ったのだが、とんでもないと断られた。

 今思うとあれは、ミイラ取りがミイラになりかかったので激しく断ったのだろう。



 プラカード持ちの溢れる道の両側には、食べ物系の屋台が多く出ている。そのほとんどは運動部の出店だと聞いた。

 文化祭では文化系部活が主役で運動部の影は薄い。特に屋内競技の部活は体育館を使用できないため完全にやることがない。そこで少しでも部費の足しにするために屋台を出すらしい。


 やはり簡単かつ定番の、焼きそば、お好み焼き、たこ焼きなどの鉄板物が多い。甘味ではチョコバナナやクレープ、チュロスなどがある。

 焼きそばの屋台では頭にタオルを巻いた男子生徒が、良い匂いをさせながら早くも大量の焼きそばを作っていた。ところがそれを見た他の店員が声を上げる。


「おい、客が来てないのになんで作ってるんだよ!?」

「早めに家を出たから朝飯を食ってないんだ」


 調理していた人が申し訳なさそうに答えると「じゃあ俺も」「俺の分も頼む」と人が集まってきた。

 他人事ながら、お客さんが来る前に品切れにならないか心配である。

 その屋台の前では料理研究会のプラカードを掲げた女子生徒がアピールしていた。


「料理研究会では十一時までの間、五百円ワンコインでお好み料理を提供していまーす。フォアグラやキャビアのような高級食材以外、どんな御注文にも対応しますよー。朝ご飯を食べてこなかった人は調理実習室まで!」


 なかなか商魂逞しい。

 チュロスの屋台の前でもプラカードを持ったメイド姿のが声を張り上げていた。


「二年四組のメイド喫茶では、こちらのチュロスを提供していまーす。座ってゆっくり食べたいかたは是非お越しくださーい!」


 プラカードには『2-4 メイド&執事喫茶。リバース服装もあり!』と書いてあった。あの格好は全員ではないようなので一安心だ。

 それにしても業務提携までしているとは本格的である。


 他にも、かき氷や飲み物を売っている屋台もあった。そして一大勢力なのが、ブームが去りやらぬタピオカドリンクだ。なんと三店もある。

 しかし飲食系も被りは禁止なのか微妙に名前を変えていた。

『タピオカミルクティー』『タピオカドリンク』『流しタピオカ』である。


 流しタピオカ?

 その屋台の前には人垣ができていて、さらには女子生徒の悲鳴が上がっていた。

 気になったので近づいてみる。

 見ると家庭用の流しそうめん器があって、そうめんの代わりにタピオカが流れていた。レーンがスケルトンタイプなのでその様子がよく見える。

 客はおたまを使ってタピオカをすくい、それを自分が買ったドリンクに入れるシステムらしい。ゲーム要素があるわけだ。


 しかしこれはどうやっても――カエルの卵にしか見えない。

 悲鳴が上がるわけである。

 これもいちおう『える』というのだろうか? みんなスマホで写真や動画を撮っていた。


「撮ったんなら買ってくれよー」


 店員の男子生徒はそう言うが、はたしてどれだけの人が食欲を失わないでいられるのかは疑問だ。

 わたしは早々に退散した。



 正門までくると開場を待っている来場者の行列があった。これは霧乃宮高校の伝統とネームバリューが大きいのだろう。驚くと同時に感動した。

 わたしは文化祭実行委員が作ったアーチを見上げる。

 今年のテーマは『一期一会、青春は一度きり』である。

 たしかにそうだ。出会いも青春も悔いのないようにしたいと思う。

 わたしが決意したと同時にアナウンスが流れた。


「ただいまより令和元年度、霧乃宮高校文化祭を開催します」


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