第38話【8月22日】唐突なお誘い
わたしは焦っていた。
お盆休みも終わり週明けから両親は勤めに出ている。それをいいことに最近は寝坊がちだ。徐々に生活リズムがずれてきて、今も遅めのお昼を食べながら甲子園の決勝戦を観ていた。
中学生の頃は年上のお兄さんたちがやっている遠い世界のものと思っていた。いざ自分が高校生になっても、テレビに映る選手たちと同世代という実感がない。
それでも彼らの中には来年はプロ野球に入って、大人を相手に勝負をする人もいるのだ。そう考えると自分はいつまでも子供のままで、まったく成長していないという気がしてくる。
しかしわたしが焦っているのは将来の展望についてではなく、もっと直近の問題についてだった。
文芸部が文化祭に出展する文集『
先輩たちには夏休みのうちから手を付けたほうがよいと言われていたし、わたしもそのつもりで早い段階からプロットを練っていた。
それがいまだに一文字も書けないでいるのだ。
他のみんなも同じような進捗状況ならわたしもそれほど焦らないだろう。
しかし早苗先輩も亜子ちゃんもすでに書き上げて推敲の段階だという。結城先輩についてはグループLINEに顔を出さないのでわからない。
二人はまだまだ時間はあると言ってくれるのだが、余裕のある人にそう言われても慰めにならない。むしろ余計に焦る。
なにしろ書けていないどころかプロットすら決まっていないのだ。
そんなわたしを心配してくれた亜子ちゃんが「結城先輩に相談してみたらどうかな?」と提案してきた。
良いアイデアだと思う。実はわたしもずっとそれを考えていた。
結城先輩とは合宿以降やりとりをしていないが、先輩ならきっと的確なアドバイスをくれるだろう。
ただ素直に相談できない理由があった。
今年度の『星霜』は小説特集号と決まった。
これは霧乃宮高校文芸部の歴史で初めてのことらしい。ならばそれに相応しいテーマを掲げて競作企画にしようではないか。
夏休み前の図書準備室。文集の内容について詳細を詰めている時に、早苗先輩が演説するようにそう言った。
しかし結城先輩はこれに反対した。制限を付けないで自由に書くべきだと。
これについて結城先輩は終始一貫している。内容、長さ、すべてが自由でいいと言い続けていた。
しかし早苗先輩も折れなかった。
「慣例を踏襲せずに新しいことをするからにはやっぱり理由が欲しいじゃない。それに良いアイデアがあるんだよね。文集のタイトルは『星霜』でしょ。だからテーマは『
わたしは良いテーマだと思ったし、亜子ちゃんも拍手している。
ところがこれについても結城先輩は渋い顔をした。
「よりにもよって時間がテーマはやめないか。
結城先輩は対案となるテーマもいくつか出したのだが、みんなの賛同は得られなかった。これは珍しいことである。
わたしとしては『星霜』という文集に、時間というテーマはぴったりだと思ったから早苗先輩の案に賛成した。
結局多数決で今年の『星霜』のテーマは『
結城先輩もそれ以上は反対をしなかったが、わたしに確認してきたのだ「有村はそれで大丈夫か?」と。
その時は読書量の少ないわたしを心配してくれているのだと思った。時間にまつわる物語の類型を知らないことについてだと。
だからわたしは先輩を安心させるように「大丈夫です」と頷いたのだ。
だが今ならわかる。あれはもっと具体的なことについて言及していたのだ。
それならあの時にそれを言って欲しかったというのは、わたしの自分勝手な言い草だろう。
そして大丈夫と言った手前、いまさら相談するのは気が引けるのだ。
わたしは昼食を済ませて食器を洗うと自室へと戻った。
勉強机の前に座ると手の中のスマホを見つめる。
結城先輩は文芸部のグループLINEには顔を出さない。しかし先輩のIDは知っている。もっとも今までにやりとりをしたことはない。
わたしは散々迷った末にメッセージを送信した。
結城先輩なら冷たくあしらったりはしないだろう。そうされても仕方がないのだが、それくらいわたしは切羽詰まっている。
するとすぐにスマホから音が鳴った。
結城先輩からだ。しかも返信ではなく通話である。わたしは慌ててスマホを取ったが先輩の第一声に驚かされた。
「やっぱり『時代を超えた邂逅』の呪縛から抜け出せないか?」
しばらく声が出ない。
『時代を超えた邂逅』は文芸部での最初の読み合いの時にわたしが書いた小説のタイトルだ。
そして結城先輩の言うとおり、わたしはその小説のせいで『星霜』に寄稿する小説を書けないでいたのだ。
「……なぜそれがわかったのですか?」
わたしはかすれた声でなんとか返事をする。
「文集のテーマが決まった時にそうなるんじゃないかとは思っていたんだが、有村だったら乗り越えられるかもしれないとも考えた。
まあ五分五分だろうと思っていたから、メッセを読んでちょっと残念だったな」
結城先輩は苦笑している。
「身勝手な話ですが相談させてもらってもいいでしょうか?」
「もちろん構わない。長くなるから直接会って話したほうがいいな」
結城先輩はしばらく考えていたかと思うと予想外のことを聞いてきた。
「有村は夏休みに泳ぎに行ったか?」
「いえ、行っていませんが……」
運動が苦手なわたしは水泳も例外ではない。
泳ぎに行くというのは個人的にはレジャーではなく、どちらかといえば苦行である。したがってわざわざ泳ぎになど行かない。
それにしても創作と泳ぎに何の関係があるのだろう?
わたしが首を捻っていると、先輩はとんでもないことを言ってきた。
「よし。じゃあ明日泳ぎに行くか。その時に創作について話そう」
「はあっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
いやいやいや、いきなりそんなことを言われても困る。
レジャーで泳ぎに行くという選択肢がないわたしはプライベート用の水着など持っていない。あるのは学校指定のスクール水着だけである。
わたしがいかにオシャレに関心がなくても、高校生にもなってスクール水着で海やプールに行けるほど無頓着ではない。
さらに合宿で見た結城先輩の綺麗に割れた腹筋を思い出す。
そして自分のお腹に恐る恐る触れた。
……とてもじゃないが隣を歩けるわけがない。というか先輩に水着姿を見せられるわけがない。連日の猛暑にも関わらずわたしは夏バテ知らずで食欲旺盛。やっぱりダイエットは計画的にすべきだ。
軽いパニックに襲われつつ、とにかく泳ぎに行くことだけは回避しなくてはと思った。
「すみません、泳ぎはちょっと……。あのっ、代わりに映画とかはどうでしょうか?」
「映画を観ながらだと話はできないだろう?」
結城先輩が戸惑ったような声を出した。
そうだった、遊びに行くのではないのだ。あくまでも創作の相談がメインなのである。
言葉に詰まっていると先輩が再び聞いてきた。
「有村は絶叫マシンとかは平気か?」
「特別好きではないですが、絶対無理ということもないです」
「じゃあ遊園地だな。夢の国じゃなくて近場のところだけど」
結城先輩が提案してきたのは霧乃宮市から一時間ほどのところにあるテーマパークだ。わたしが行ったことがないと言うと、じゃあちょうどいいなと決定してしまった。
待ち合わせ場所と時間を決めると通話が切れる。
わたしはスマホを握ったまま呆然としていた。
創作の相談をしたはずなのに、なぜか結城先輩と出掛けることになっている。
そこで気づいた。服! 着ていける服はあるだろうか!?
水着ほどではないが服だってたいして持っていない。そういえば夏休みに入ってから髪も切ってない。今から美容室の予約は無理だろうか。というか結城先輩と二人きりで何を話せばいいのだろう?
わたしは再びパニックに陥った。
こういう時に頼りにすべきは仲の良い先輩と友達である。
わたしは文芸部のグループLINEを開き、文字を打とうとして手を止めた。
……いや。このことについて世の中で一番相談したらいけないのが、早苗先輩と亜子ちゃんではないだろうか?
結城先輩はそう言わなかったし、きっとそんなことを思っていないのだろうが、今回のこれは世間的にはデートと呼ぶような気がする。
わたしが結城先輩とデートをするというのは許されることだろうか?
冷静に考えてみる。
まずわたしは結城先輩に対して恋愛感情は持っていない――と思う。
もちろん尊敬はしているし、肉親以外で一番親しい異性だというのも認める。だが恋人として付き合いたいと思ったことはない――と思う。
自分のことなのにはっきりしないのは、意識的にそのことを考えないようにしているからだ。
それはおそらく、早苗先輩と亜子ちゃんも同じだと思う。
文芸部の女性陣には、結城先輩を独占するべきではないという暗黙の了解があると思うのだ。
それを破って二人きりでデートをするというのは非常に問題がある。
ではいっそのこと早苗先輩と亜子ちゃんも誘って、四人で出掛けるというのはどうだろう?
だがそれもわたしから話を持ち掛けるのは危険な気がする。なぜ結城先輩との約束をすでに取りつけてあるのかという問題になる。
そもそも遊びに行くのがメインではない。本題は創作の相談なのだ。
わたしはそのようなことを散々考えた末に結城先輩に通話を入れた。
「すみません。明日のことなんですが場所を変えてもいいですか?」
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