第37話【8月4日】合宿二日目


 執拗にわたしを起こす声を聞いて、お母さんしつこいなあと思った。

 夏休みだし出掛ける予定だってないのに。


「ほら瑞希、いい加減に起きなって」


 なんで今日に限ってこんなに――そこでようやく、その声が母のものでないことに気づいた。

 わたしが布団を跳ね飛ばして起き上がると、傍らでは早苗先輩が目を丸くしていた。


「びっくりしたあ、いきなり起きないでよ。ほら、もう朝ごはんだよ。瑞希も早く顔を洗ってきな」


 そう言われて時計を見るともうすぐ八時だ。

 わたしは慌てて着替えると洗面所へと駆け込んだ。




 居間へと行くとすでに朝食の準備が整いみんなが揃っている。

 わたしは挨拶といっしょに寝坊したことを謝った。


「いいのよ、それだけ自分の家と同じようにくつろいでくれているってことだもの。早苗さんにも寝かせておいてあげてって言ったんだけど」


 おばさんはそう慰めてくれるが痛恨の極みだ。特別眠りが深いほうではないのに今日に限って寝過ごすとは。

 聞けば結城先輩などは朝の散歩まで済ませたという。

 いつもなら走っているのだが、ランニングシューズや着替えを用意していないからとのことだった。


 肩身の狭い思いをしながら席についた。

 テーブルには朝からたくさんの料理が並んでいる。焼き鮭に出し巻き卵、しらすおろしにゴーヤチャンプルー、山盛りのお漬物に納豆。それに炊き立てのご飯と、豆腐とネギのお味噌汁だ。

 わたしは寝坊したことから立ち直れずにあまり箸が進まなかったが、結城先輩は大きなお茶碗に強引におかわりをよそわれていた。




 朝食をすませると布団を畳んで、みんなで軽く掃除をする。

 そして座卓を和室の中央に置くと、合宿のメインである読み合いに入った。

 まず午後の三時までに四千字前後の小説を書く。その後に合評だ。


 ちなみに合評には北条家のみなさんにも参加してもらおうと早苗先輩が提案したのだが、これは亜子ちゃんの猛反対を受けて却下となった。

 わたしも自分の書いた小説が親に読まれるのは耐えられないから、その気持ちはわかる。

 そしていざ書き始めたのだが、それぞれの創作手法がまったく異なっていて興味深かった。


 早苗先輩は持参したノートパソコンを開くと、いきなり凄い勢いでキーボードを叩き始めた。

 覗かせてもらうと早くも文章になっている。

 聞くと早苗先輩はプロットは立てずに筆の向くまま書くタイプらしい。

 これは予想外だった。論理的な本格ミステリを愛する早苗先輩は綿密に構成を練るものだと思っていたのだ。


 逆に亜子ちゃんはノートを開いて、じっと考え込んでいる。そしてごくたまにシャープペンを走らせていた。

 こちらも見せてもらうと、小さな字で綿密にプロットが書かれてあった。

 印象的な場面の描写や会話などをあらかじめ用意して、それらを組み込んでいくそうだ。

 亜子ちゃんらしい丁寧な話作りであり感心してしまった。


 そして結城先輩はというと最初は座卓に肘をついて目を瞑っていたが、そのうち腕を枕に寝転んでしまった。

 そのままじっと動かないが眠っているわけではないらしい。思い出したようにスマホを取り出して何かを検索している。そしてまた目を閉じる。

 結局、結城先輩が動いたのは十一時を過ぎた頃だった。そして書き始めると早い。なんと一時間も経たずに書き上げてしまった。

 完成かと聞くと、あとは推敲だけだという。まさに三者三様だった。




 昼食のメインはおいなりさんだった。テーブルの中央に四つの山になって重ねられている。

 結城先輩の前には専用に二十個ものおいなりさんが取り分けられている。

 さっそくいただくと山ごとに中身が違っていた。

 ひとつはシンプルな酢飯、もうひとつは五目稲荷、もうひとつには炒り卵と白ゴマ、最後のにはわさび漬けを刻んだものが入っていた。

 しかもお揚げと酢飯もそれぞれ味が違うみたいだ。どれもおいしい。

 名誉挽回、違いのわかるところをみせようと口を開きかけたところで結城先輩に先を越された。


「とてもおいしいです。これ中身だけじゃなく、揚げと酢飯も味付けを変えているんですね」


 するとおばさんが嬉しそうに顔を輝かせる。


「そうなの! 恭平くんよくわかったわね。具無しは揚げを甘く濃い目にして、炒り卵のは酢を強めで卵の甘さが引き立つように、逆にわさび漬けのは甘酢にしているのよ」


 ああ、わたしもわかっていたのに……。

 それはともかく恭平くん? 昨日来た時は結城さんで、夜には結城くん、そしてついには名前呼びだ。

 でも、わたしや早苗先輩のことも名前呼びだし特別ではない――と思う。


「本当においしいです。今まで食べたおいなりさんの中では間違いなく一番です」


 おばさんは照れたように手を振る。


「あらあら、もうお世辞が上手いんだから! 恭平くんみたいな人がお婿に来てくれたら、おばさん毎日ご馳走作ってあげるのに」


 案の定、結城先輩は座卓の下で早苗先輩に蹴られていた。




「しまった。食い過ぎた」


 和室へと戻って来た結城先輩はベルトをゆるめると畳に横になった。

 昨晩まったく同じ光景を見た気がする。


「あんた実は馬鹿でしょ」


 早苗先輩の視線はこれ以上ないぐらい冷ややかだ。

 結城先輩はおいなりさんはテーブルにのっているものだけと油断していたらしい。ところが食べ終わると当然のように追加が出てきたのだ。

 亜子ちゃんはしきりに謝っているが、今回はあまり同情できない。


 わたしたちは創作の続きを始めたが、結城先輩は横になったまま動かない。食休みだと思っていたのだが、まったく起きる気配がないので近づいてみると寝息を立てていた。

 小説は完成したが推敲は残っていると言っていた。どうしたものかとわたしたちは顔を見合わせる。


「とりあえず完成してるんだから寝かせておいてあげよっか。ただエアコンがついているから何かかけたほうがいいね」


 早苗先輩の言葉に、亜子ちゃんがタオルケットをもってきてかけてあげた。

 そして結城先輩はそのまま三時まで起きなかった。



「何で起こしてくれなかった」


 目が覚めた結城先輩が開口一番そう文句を言う。

 これには早苗先輩だけでなく、わたしと亜子ちゃんまで不満顔だ。


「何よその言い草は! あんたが気持ちよさそうに眠っていたからそっとしておいてあげたのに。それに完成したって言ってたでしょ!」

「推敲がまだとも言ったぞ」


 結城先輩は延長を申し出たが多数決で却下された。

 これは起き抜けの一言がいけなかったと思う。

 そして合評をしたのだが、はっきりいってみんな出来が良くなかった。

 やはりそれなりの時間をかけないと良いものは書けないらしい。結城先輩にも、らしくない誤字や二重表現があった。

 結局、推敲は大切という無難な結論を得て終わりとなった。



 そのあと四人で散歩に出た。

 亜子ちゃんの通った小学校へ行くと懐かしい遊具が置いてあり、久しぶりに童心に帰って日が暮れるまで遊んでいた。

 そのせいであやうく夕飯に遅れるところだった。



 合宿最後の食事は焼肉だった。

 霜降りの高そうなお肉がホットプレートといっしょに用意されている。

 結城先輩には当然のようにお肉が溢れるほど盛られた焼肉丼もある。

 その結城先輩は食事中おじさんと会話をしていた。

 なんの話をしているのだろうと聞き耳を立てていたのだが、最初は先代までの石材店についてだったのが、しばらくするともうすぐ開幕する甲子園の高校野球の話になっていた。

 わたしの父もそうだが、なんで男の人はあんなに野球が好きなのだろう?


 おばさんは結城先輩を取られて手持ち無沙汰そうだったが、そのうち早苗先輩と話し出した。

 こちらも話し好き同士で気が合ったのか盛り上がっている。


 必然的にわたしは亜子ちゃんとお祖母さんと話をしながら食事をした。

 そして気づいた。この二人は外見だけでなく内面も似ているのだ。もちろん知識に差はあるのだが、感性がとても近いのだと思う。

 わたしが「双子みたいですね」と言うと、亜子ちゃんとお祖母さんが嬉しそうに微笑んだのが印象的だった。




 辞去する時間となり、玄関まで見送りにきてくれた北条家のみなさんに、深々と頭を下げてお礼を言った。


「寂しいわねえ、もっと居てくれていいのに。みなさんまた来てね」


 おばさんの名残惜しそうな言葉に、おじさんとお祖母さんも頷いている。

 ちなみにおじさんは駅まで車で送ってくれると言ったが丁重に断った。これ以上ご迷惑はかけられない。

 わたしたちが玄関を出ようとすると、おばさんが結城先輩に風呂敷包みを手渡す。


「恭平くん、これおいなりさんが入っているからお夜食にでもして。お母さんにも味見してもらって作ってもらうといいわ。レシピも入れておいたから」


 昼の分は完食したはずだからこのためにまた作ったのだろう。結城先輩はこれ以上ないほど恐縮している。

 お祖母さんを含めて全員が、わざわざ門のところまで見送りに出てくる。

 わたしたちはもう一度お礼を言って歩き出そうとすると、おばさんがわたしに声をかけてきた。


「瑞希さん。ひとりでも遠慮しないで遊びに来てね」

「はい。ありがとうございます」


 わたしは微笑むと丁寧にお辞儀をして、北条家をあとにした。



 熱気が消えない夜道をわたしたちはゆっくりと歩いた。

 結城先輩と早苗先輩が並んで先に立ち、わたしがその後をついていく。

 わたしは駅までの道を覚えていないが、先輩たちに任せておけば安心だろう。

 結城先輩がお腹をさすった。


「この二日で間違いなく三キロは太ったな。明日から走る距離を増やすか」

「愛想よくしていたんだから自業自得よ。だいたいあんたは外面が良すぎるのよ」


 早苗先輩はこの二日言い続けた文句をここでも繰り返した。

 そして胸を張る。


「でも合宿をして良かったでしょ? あんたは反対してたけどさ」

「なんでおまえが得意そうなんだよ。全部北条のおかげだろうが」

「はあ!? 合宿をしようって言ったのはあたしなんだけど?」


 わたしはため息をついた。

 先輩たちは最後まで喧嘩をするつもりらしい。

 幸い回りに人通りはないし、気の済むまでやってもらおう。

 わたしは空を見上げる。

 夏の夜空はもやがかかっているようで星はよく見えないが、わたしの心は晴れやかだった。


 あっという間の二日間だったが、わたしが想像していた以上に楽しく、みんなの新たな一面も知ることができた。

 結城先輩が本を読むようになった理由。

 早苗先輩の怖がりなところ。

 亜子ちゃんの将来の夢。

 絵日記を書きたくなるような夏休みの良い思い出ができた。


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