第39話【8月23日その1】完璧な物語


 わたしが図書準備室のドアを開けると結城先輩が読んでいた本から顔を上げた。

 今日のセレクトは『明るい夜に出かけて』佐藤多佳子。


「早いな。急がなくてもよかったんだぞ」

「いえ、こちらこそわざわざすみません」


 昨日、結城先輩から泳ぎと遊園地に誘われたわたしはそれを断った。代わりに指定した場所はいつもと変わらない図書準備室だ。

 もっとも今日は学校開放日ではないので厳密に言うと校内は立ち入り禁止である。しかし部活に来る生徒はいるし、三年生は自主的に課外授業を行っている。


 それでも図書室は解放されていないので、事務室で図書準備室の鍵を借りてこなくてはいけなかった。わたしには未経験のことだし説明もいる。

 すると結城先輩が先に来て開けておくと申し出た。そこまでされたら待たせるわけにはいかない。かなり早めに来たのだがそれでも少し待たせたようだ。

 結城先輩は本を閉じると苦笑しながら聞いてきた。


「本当にここでよかったのか? 周りに誰もいないところで二人きりは抵抗があると思って泳ぎや遊園地に誘ったんだけどな」


 わたしは座ろうとしていた動きを止めて、中腰のまま先輩の顔を見つめた。

 たしかに隣の図書室は無人だ。さらにいえばこの階にだって、わたしたちの他は誰もいないだろう。

 そこでようやく気がついた。先輩がわざわざ泳ぎや遊園地に誘ったのは遊ぶためではないらしい。わたしに気を遣って二人きりになるのを避けたのだ。


「でもそれならファーストフードとかでもよかったのでは?」


「ああいうところは結構他人に話を聞かれるぞ。どうでもいい話ならともかく、創作に関しての相談はセンシティブな内容だと思ったんだが、俺の気の回し過ぎだったか?」


 いや、結城先輩のいうとおりだと思う。

 聞くつもりがなくても周囲の声というのは入ってくるものだ。


「その点プールや遊園地なら、みんな遊ぶことに夢中で他人の話なんて聞いちゃいないだろうからいいと思ったんだけどな」


 これは反省しなくてはいけない。わたしは邪推していたが、結城先輩はあくまでも相談する場所として相応しいかを考えていたのだ。


「……すみません。そこまで考えていませんでした」

「いや、有村が気にしないならここでいいんだ。半分は俺が遊びたかっただけだしな」


 結城先輩はそう言って笑ってから、表情を変えると真剣な声を出した。


「さて本題だが、メッセを読んだけどまったく書けていないんだって?」


 わたしは頷くと、現在どのような状況なのかを詳しく説明した。

 結城先輩はそれを聞くと少し考えてからわたしを見た。


「鈴木たちが言うようにまだ時間はあるからそこまで焦る必要はない。俺だって何も書いていないしな。ただ昨日もちょっと話したが『時代を超えた邂逅』が枷となっているのが問題だと思う」


「それは『時間ときにまつわる物語』とテーマが同じものをすでに書いているということですよね?」


 わたしの書いた『時代を超えた邂逅』は平成と令和、それぞれの時代の最初の日に、神社に参拝にきていた二人が時間を越えて巡り合う物語だ。

 同じテーマの小説をすでに書いていて、さらにそれが良い出来だった――自分で言うのは恥ずかしいが結城先輩も褒めてくれている。

 自己分析では文集の小説を書けないのはそれが原因だと思っていた。


「もちろんそれもあるがそれだけじゃない。俺に言わせるとあの小説は完璧すぎるんだよ」


 わたしは目を瞬かせた。

 昨日から結城先輩の発言には驚かされてばかりいるが、これは極めつけだ。


「いや、すまない。ちょっと誤解させたな。文章や描写などには改善するべきところが多々ある。完成度という意味ではプロの小説には到底及ばない。ただ構成的には非の打ち所がない。物語の王道だし特に素晴らしいのは終わり方だ。もし有村がすべてを意図的に書いたとしたら文句なしに才能がある」


 予期せぬ絶賛にわたしは顔が赤くなった。

 しかし残念ながら――。


「褒めていただいたのに申し訳ないのですが、わたしは意図的には書いていません。先輩が仰ったことの意味すらわかりませんから」


 結城先輩は慰めるように微笑んだ。


「今日はそれを説明しようと思って来た。そうだな、まず物語を書くにあたってベストな題材は何かというところから話すか。

 これは壮大なテーマに聞こえるが実は簡単なんだ。小説だけでなく、映画、ドラマ、漫画、アニメ、すべてに共通することだが人と人との出会いを描けばいい。むしろそうでない作品をさがすのが難しいくらいだ」


 それについて考えてみる。

 たしかに無くはないだろう。だが出会いのない物語というのが圧倒的な少数派だということは疑いようがない。


「まあ当たり前だよな。人が作る物語なんだ、人が出てきて当然だし二人いればそこに出会いがある。しかし他人というのはもっとも理解が難しい存在だ。それでいて人は他人のことを理解したいと思っている。これは普遍的なものだろうから物語になるんだ。

 なんか哲学じみたが、要するに物語を作ろうと思ったら出会いを描けばそれだけで形になるということだ」


 わたしは頷いた。

 否定するところはない、すんなりと納得できる。


「次は出会う人間についてだが、異質な相手ほど理解するのが難しく、それを乗り越えた時の感動が大きくなる。

 身分差や貧富の差、別の国の住人、SFやファンタジーなら異星人や異種族との邂逅が物語に多いのはそういう理由だからだ。

 だがもっと身近に最も異質な相手が存在する。異性だ。

 個人的には『スタンド・バイ・ミー』みたいな男の友情物が好きなんだが、幅広く支持を集めるとしたらやっぱり恋愛物だろうな。俺だって別に恋愛話が嫌いなわけじゃない。

 人が恋愛物語に惹かれるというのは、生物である以上異性を求めるという本能的なものを別として、さっき言った他人を理解したいということを突き詰めたものだからだと思う。

 男と女は一生わかり合えないと昔から言われているだろ。俺だって女が何を考えているかなんてさっぱりわからない。有村だってそうじゃないか?

 それなのに男女はお互いに惹かれて相手を理解しようとする。つまり恋愛物というのは出会いの物語の究極系なんだと、俺は思っている」


 いきなり深い話になったが、結城先輩が言っていることはわかった。

 異性を理解するのは難しいのに、恋に落ちれば必死にお互いを理解しようとする。そこに濃密な物語が生まれるのだと先輩は言っているのだ。

 わたしが咀嚼した内容を述べると結城先輩は笑顔で頷いた。


「素晴らしい理解力だよ。そしてここまでは有村だけでなく世間一般でも賛同してもらえると思うんだが、問題は次だ。俺は男女の出会いを描くのなら、大人よりも少年少女のほうが相応しいと思っているんだ」


「それはたしかに意見が割れそうですね」


 単純な数でいったら大人の恋愛話のほうが圧倒的に多いだろう。


「だがジャンルでいえばちゃんと確立している。わかるか?」

「ボーイミーツガールですね」


 わたしが答えると結城先輩は頷いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます