第36話【8月3日その6】結城先輩のスクエアー解決編
「正解。どうしたペーシェンス?(※エラリイ・クイーンの小説に登場する女探偵) 後輩に先を越されたぞ」
結城先輩は亜子ちゃんの答えを聞くと早苗先輩を挑発した。
早苗先輩は開いていた口を引き結ぶと再び考え始めた。わたしはすでに考えるのを放棄している。
しかし、しばらくして時間切れとなった。
早苗先輩は不満そうだが、あまり遅くまで騒いでいるのは北条家のご迷惑になるので潮時だろう。
「せっかく四人いるんだから実際にやってみるか」
結城先輩の指示でわたしたちは部屋の四隅に座った。
「俺の位置がAだと思ってくれ」
結城先輩はそう言うと壁を伝って歩き出した。そしてBの位置に座る亜子ちゃんの肩を二回叩いた。
すると亜子ちゃんが立ち上がり、やはり壁伝いにCの位置の早苗先輩の元へと歩いて行く。
同じように肩を叩かれた早苗先輩が立ち上がり、Dの位置に座るわたしのところへと来ると肩を叩いた。
わたしは立ち上がりAへと歩き出そうとして思わず声を上げた。
そこには誰もいない。
最初にAの位置にいた結城先輩はBへと移動しているのだからいないのは当然だった。どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。
「そういうことだ。本来これは四人じゃ無理なんだ、だが五人いれば成立する」
結城先輩はそう言うと、部屋の中央にある布団を見つめた。
だがそれは布団を見ているのではない。あくまでも比喩だ。
話の中で小屋の中央には何があったか?
布団ではない。そこにはエドガーの遺体が置かれていたはずだ。
それに思い至るとわたしの全身に鳥肌が立つのがわかった。
次の瞬間――
「こわっ!!」
耳元で叫ばれてわたしは飛び上がってしまった。
叫んだ早苗先輩はわたしの腕にしがみつきながら結城先輩を睨む。
「あ、あんた馬鹿じゃないの!? な、なにこんな怖い話をしてるのよ!!」
……物凄く理不尽なことを言っている自覚はあるのだろうか?
結城先輩も呆れた表情をしながら、わたしたちに座るように促した。
再び車座になったのだが早苗先輩は背中が心細いのか、頭から布団を被っている。
どうも早苗先輩の怪談好きというのは、怖いのが平気ということではなく、怖がりだけれども聞かずにはいられないというものらしい。
結城先輩が再び口を開いた。
「時間を戻して、四人が無事に朝を迎えたところから再開する。
夜が明けると吹雪も収まっていて、これなら問題なく下山できそうだった。そこで再びエドガーの遺体をどうするかという話になった。
この山小屋なら場所もわかっているし、雪崩に巻き込まれる可能性も低い。回収に時間がかかったとしても猛禽類に食べられることもない。
置いていくということに決まりそうだったんだが、一人だけ呆然として会話に参加していない者がいた。
それに気づいた他のメンバーが問いかけると、青ざめた顔をしたその男は昨夜の自分たちの方法が四人では成立しないことを説明した。
それを聞いて全員の視線が小屋の中央にいるエドガーに集まった。
四人は話し合った末、エドガーを連れて下山することに決めた。
もしエドガーが助けてくれていなかったら、自分たちは凍死していた筈だと思ったからだ。そのエドガーを置いていくことなんてできない。
彼らの中では昨夜の正体不明の五人目がエドガーだというのは、疑いようのないことだった。
そして苦労しながらも四人はエドガーの遺体を担いで下山したんだ」
そこで結城先輩が言葉を切って、ひと呼吸いれた。
「ここで終われば怪談だが俺はロマンのない人間だからな、どんな話でも合理的説明をつけたくなる。というわけでここからは解決編だ。現実的なスクエアの説明と、誰が何の目的でそれをしたのかを答えてくれ」
先程は考えるのを放棄したが、やっぱり自分で謎を解き明かしたいところだ。わたしは必死で考える。
結城先輩はこれを怪談だとは思っていないらしい。誰が何の目的でと言っている。心霊現象でないのなら犯人は当然、四人の中の一人だろう。
さっき自分たちでやったスクエアの動きを思い返した。わたしがDの地点から移動しようとした時にAには誰もいなかった。成立させるには誰かがAにいなければならない。もちろんそれはエドガーではないはずだ、となると――。
「あの、質問してもいいですか?」
わたしの問いかけに結城先輩が頷く。
「Aの地点に居たのは誰でしょう?」
「それぞれの
「もうひとつ。このスクエアを提案したのは誰ですか?」
「それもアランだよ」
やっぱりそうだった。これでスクエアのやり方はわかったと思う。
その目的はあくまでも想像になるが、ひとつしか思いつかない。
「答えがわかったと思います」
わたしが言うのと同時に亜子ちゃんも手を上げていた。
「なんだ、また鈴木が最後か」
結城先輩が憐れむような目で早苗先輩を見る。巷間言われることだが、好きと得意は別らしい。
結局、早苗先輩は再び時間切れとなった。
「さっきは北条だけが正解だったからな。今度は有村に答えを見せてもらうか」
結城先輩の言葉で、わたしたちは再び部屋の四隅に散った。
ただし今度はAの地点にわたしが、Dの位置には結城先輩だ。
そしてAから出発したわたしはBの亜子ちゃんの肩を叩く。そして亜子ちゃんを見送るとバックをするようにAの地点に戻った。
亜子ちゃんはCの早苗先輩に、そして早苗先輩からDの結城先輩に。結城先輩は歩いて来るとAの地点にいるわたしの肩を叩いた。
わたしは歩き出すとBへと向かい、到着すると自分の肩を叩いた。そしてそのまま歩き出しC地点の亜子ちゃんの元へと向かった。
「正解だよ。Dの人間が二回連続で動くことでも可能だが、今回の提案者はAにいたアランだからな。そのアランの目的は何だったと思う?」
「想像ですが、エドガーといっしょに下山したかったからだと思います」
「それは友情ということか?」
「そう……ですね」
わたしたちは
結城先輩はわたしたちを見て話しだす。
「有村は友情と言ったし俺もそれに異論はないんだが、付け加えるならもっと即物的な理由があったとも考えている。結論から言うと金銭面だ」
金銭とはたしかに即物的理由である。
「救急車を病院への無料タクシーと思っている日本人には馴染みがないだろうが、海外だと救急車は基本有料だ。当然、遭難時の捜索隊や救助ヘリなんかも実費を取られる。もちろん国にもよるけどな。恐らくアランにはこのことが頭にあったんだと思う。
同じ山岳部仲間でもアランとエドガーが特に親しく、お互いの家庭の事情にも詳しかったとしよう。たとえばエドガーの家が貧乏だったり、母子家庭ということを知っていたとしたら、息子を亡くしたうえに金銭面の負担をかけさせることを忍びないと考えたのも納得できる。
アランは多少の無理をしてでもエドガーを連れ帰ろうと思った。だが他のメンバーが納得してくれるかは難しいところだ。そこで一計を案じて情に訴えることにしたわけだ。それがあのスクエアだった。
これはあくまでも俺の想像だけど、そう考えるとわざわざあんなことをした理由も、無事に下山できた後も仲間に真相を話さなかったことも説明がつくと思う」
なるほど納得できる。
そして怪談にまで合理的な説明をつけようとする結城先輩はやはり凄いと思う。
本人はロマンがないと自虐しているが、どんな物語でも自分が納得いくまで読み込んでいるのだ。
こうして全員の話が終わり、わたしたち女性陣は奥の和室に戻ろうとしたのだが、結城先輩が急に動きを止めて早苗先輩の背後を凝視している。
どうしたのだろうと思い、わたしもその視線を追って同じように固まった。
亜子ちゃんもわたしたちに気づいたらしく、そちらを見つめて動きを止めた。
「え、なに!? ちょ、ちょっとなによ! そんな手に引っかからないからね!」
早苗先輩が歯の根が合っていない声で抗議するが、わたしたちは早苗先輩の背後を見つめたままだ。
「いい加減にしないと怒るわよ! ちょっと聞いてるの!? ムリ、ムリ、ムリ。ねえ、ホントにやめてったら!」
それでもわたしたちは固まったままだ。
早苗先輩は我慢ができなくなったらしい。恐る恐る振り返り始めた。
そこに二本の腕が伸びていく。
しかし布団を被っている早苗先輩はそれに気がつかない。
そして早苗先輩が完全に後ろを向いた瞬間――
「パァーン!!」
鋭い音を立てて結城先輩の手が打ち合わされた。
「――――――――ッ!!!!!!!!」
早苗先輩は声にならない叫びを上げると、布団にくるまり畳へと伏せてしまった。
しばらく経ってもそのダンゴ虫状態から顔を出さない。
結城先輩が布団をめくって頭をつつくと、ようやく顔を上げた。
「な、なにがあったの?」
「蚊」
「……へ?」
「おまえの後ろに蚊がいたんだよ。潰そうとしたんだが逃げられた」
結城先輩は涼しい顔でそう言うと早苗先輩から布団を剥ぎ取り、自分の寝床を整え始めた。
呆然としている早苗先輩を見て、わたしは申し訳ないが噴き出してしまった。
亜子ちゃんも口を押えている。
さっき結城先輩が動きを止めた時に、これはイタズラだろうなあと気がついた。
静観してもよかったのだが、今日の早苗先輩は結城先輩に対してかなり理不尽なことをしていると思っていたのでそれに乗ったのだ。
亜子ちゃんも同じ考えだったのだろう。
「すみません、早苗先輩」
「ごめんなさい」
わたしと亜子ちゃんが謝る。
それで早苗先輩も事態を把握したらしい。
「……ふーん。ああ、そう。結城はともかく、瑞希も亜子もそういうことするんだ。二人ともいざとなったら結城の味方なわけね。よーくわかったわ」
あ、まずいかもしれない。早苗先輩の目が据わっている。本気で怒っているらしい。
わたしと亜子ちゃんは笑いを納めて真剣に謝ったが、早苗先輩は口をきいてくれない。
そんなわたしたちを見て結城先輩が助け船を出してくれた。
「おい鈴木、二人にそんな態度を取っていいのか? 夜中に便所に行きたくなっても付いて来てくれなくなるぞ」
はたしてそれで態度が軟化するのかと疑問だったが、
「……仕方ないわね。あたしは大人だから小さいことにこだわったりしないわよ。今回は許してあげよう」
早苗先輩はあっさりと翻意したのだった。
就寝の時間がきても、わたしたちは奥の和室で布団に横になりながらお喋りをしていた。
合宿前は女子トークや恋バナで盛り上がろうと言っていたのだが、襖が閉めてあるとはいえ隣には結城先輩がいる。結局、いつもの図書準備室と変わらない話題となった。それでも楽しかった。
眠気が襲ってきた頃、早苗先輩がわたしに声をかけてきた。
「ねえ、瑞希はトイレの場所は覚えてる? 亜子の家は広いから忘れてない?」
いくら亜子ちゃんの家が広くてもテーマパークではないのだからトイレの場所ぐらいはわかる。だが先程の罪滅ぼしをしないといけないだろう。
「ああ、ちょっと自信がないです。早苗先輩案内してくれませんか?」
「仕方ないなあ」
わたしと早苗先輩は立ち上がった。
襖を開けると結城先輩は布団にうつ伏せになって本を読んでいた。亜子ちゃんからさっそく借りた『神秘の島』らしい。
こちらにちらと視線を向けたが何も言わなかったのは武士の情けだろう。
わたしたちがトイレを済ませて戻ってきても結城先輩は同じ体勢だった。
早苗先輩はそのお尻を踏みつけてから奥の和室へと入る。そんなちょっかいをかけるから反撃がくるのだ。
結城先輩が本から目を逸らさずに呟いた。
「そういえば川の字で寝ていると真ん中の人間に寄ってくるらしいな」
それを聞くと早苗先輩がぎこちなく振り返って結城先輩を睨む。
「あんた馬鹿じゃないの。幽霊なんているわけないじゃない」
「だれが幽霊なんて言ったんだよ。蚊のことだぞ」
早苗先輩は勢いよく襖を閉めた。そしてわたしたちが寝ている布団を見つめる。
真ん中は早苗先輩の布団だ。
そのまま立ち尽くしている姿は、どう見ても蚊を気にしているのではない。
「あの、わたしは蚊に刺されにくい体質ですから」
そうしてわたしは真ん中の布団で眠ることになった。
まったく、先輩たちは変に子供っぽいところがある。喧嘩するほど仲が良いとは言うけれど少しは自重してほしい。
そんなことを考えていると欄間から漏れていた光が消えた。
どうやら結城先輩も寝たらしい。
それに誘われるようにわたしも眠りについた。
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