第35話【8月3日その5】結城先輩のスクエア


 いざ怪談ということで話す順番を決めようとすると、早苗先輩が待ったをかけた。


「怪談の定番でさ、最後のオチのところで「それはおまえだーっ!」とか「おまえの後ろにーっ!」って驚かせるやつがあるけどあれはなしね。文芸部らしく純粋に物語の怖さで勝負しよう」


 わたしと亜子ちゃんは頷いたが、結城先輩が顔をしかめた。


「なんで直前になってそういうことを言うんだよ」


 各自がオリジナルの怪談を披露することはあらかじめ言われていたが、細かい条件は決められていなかったので結城先輩が不満を表すのもわかる。


「なにあんた、そんな邪道なことをしようと考えていたの?」

「どこが邪道なんだよ。おまえも定番だって言っただろうが」


 先程のお風呂の順番を引きずっているのか、先輩たちは喧嘩腰だ。


「邪道よ。だってあれは怖がらせているんじゃなくて驚かせているんだから」

「邪道かどうかは主観の話になるから置いておく。俺が問題にしているのは直前になって条件を追加したことだ」


 これはたしかに結城先輩の言うことに理があると思う。

 だがせっかく楽しもうという時に喧嘩はしてほしくない。わたしは説得を試みた。


「結城先輩の話はそういうオチだということを、いま言ってしまったので怖さが半減ですよね。だから先輩の順番は最後にするということで、その間に別の話を考えてもらえませんか?」


 他の人間ならともかく、結城先輩なら即興でもなんとかなると思うのだ。

 先輩はしばらく考えていたが了承してくれた。

 ということで女性陣はジャンケンをする。トップバッターは早苗先輩、次が亜子ちゃん、三番目がわたしに決まった。

 早苗先輩は嬉々とした表情で、声を低めて話し始めた。


 早苗先輩の話は都市伝説で有名な『きさらぎ駅』系かと思わせて、そこから捻ったものだった。近所の駅から助けを求めてきた人を、主人公が確認しに行くというもので、怖くておもしろかった。さすが怪談好きなだけはある。


 亜子ちゃんの話は旧家の大家族で育った女性が、僅かに空いた襖の隙間に気がつくことから始まる物語だった。これは予想外のオチでとても怖かった。

 可愛い見た目に反して、亜子ちゃんには怪談の才能があるらしい。


 わたしの話はトラックドライバーがパーキングエリアで出会った少女の物語だ。

 実は最初の予定ではオチはハッピーエンドだったのだが、早苗先輩と亜子ちゃんの話を聞いて急遽アドリブで怪談っぽくした。

 正直なところ二人に比べると出来は良くなかったと思う。反省しつつ次回に活かしたい。

 そして結城先輩の番となった。


「即興でオリジナルは無理だから、元ネタがある話に俺の解釈を付け加えたやつになるぞ。元の話を知っていても文句は受け付けないからな」


 結城先輩は牽制するように早苗先輩を睨んだ。


「驚かせるオチよりはマシよ。それで元ネタってなに?」

「『スクエア』っていう都市伝説だ。『山小屋の四人』という呼ばれ方もしている」


 わたしは知らなかった。亜子ちゃんも同じように首を振っている。

 そして早苗先輩も知らないらしい。


「なんだ鈴木も知らないのか、じゃあちょうどいいな。あらかじめ断っておくと、最初に聞いた段階だと何が怖いのかわからないかもしれない。ちょっとしたミステリでもある。謎の判明と同時に怖くなって、最後は何故そういうことが起きたのかという俺の解釈だ」


「いいじゃない、おもしろそうで」


 ミステリと聞いて早苗先輩が身を乗り出す。わたしも興味を持った。

 結城先輩は気負った様子も見せず、いつもと変わらないトーンで話し始めた。


「怪談ではよくある枕だが、これは実際にあった話らしい。六十年代のヨーロッパが舞台と言われている。

 大学の山岳部の仲間五人が冬山登山に向かったんだ。マッターホルンみたいな高峰を目指したわけじゃないが、それなりの頂が目的地だったらしい。三日分のキャンプ用具を準備して出発した。

 便宜上、五人の名前はアラン、ビリー、クリス、ディラン、エドガーにしておく」


 わかりやすくするためだろう、頭文字イニシャルがそれぞれA、B、C、D、Eだ。

 ところが早苗先輩がツッコみをいれる。


「なんかクリスティの『ABC殺人事件』みたいね。でもそれだとアメリカ人の名前じゃない? ヨーロッパが舞台なんでしょ?」


「細かいところに引っかかるなよ。別に日本が舞台で一郎、二郎、三郎でもいいんだぞ」


 結城先輩の反駁に早苗先輩は手をひらひらと振って話の続きを促した。


「麓の山小屋を出発してからの道程は順調だった。冬とは思えないほど晴れ渡っていて、雪からの照り返しで眩しいくらいだ。当初の予定よりもだいぶ早く、初日のキャンプ地に到着できそうだったがそうはいかなかった。地鳴りのようなものが聞こえたと思った瞬間、五人は雪崩に巻き込まれたんだ。


 不幸中の幸いだったのは雪崩が彼らのすぐ上で起きたことで、雪の量がそれほど多くはなかったことだ。もっともそのせいで逃げる暇もなかったんだが。

 メンバーは雪の中からそれぞれ自力で這い出してきた。そして声を掛け合ってお互いの無事を確認する。ところが一人足りないことに気がついた。エドガーがいないんだ。


 雪崩に巻き込まれた時の死亡原因は窒息と低体温がほとんどだ。だから迅速な捜索が生死を分ける。残された四人はリュックなどの装備を投げだして身軽になると、エドガーを必死に探し始めた。


 タイムリミットといわれる十五分が過ぎそうな時、一人が雪に埋まっているエドガーを発見した。彼は気絶しているのか仰向けに倒れていたが、これはよくない兆候だった。空気の確保ができていなかった証拠だからな。


 エドガーを雪の中から引き上げると、人工呼吸等の蘇生を試みようとしたんだがそれが無意味であることを悟った。エドガーの頭の下には尖った岩があり、彼の後頭部には致命的な傷があったんだ。

 窒息で苦しんで死ぬよりはマシだったかもしれないが、友人を失った四人には慰めにならなかった。


 気落ちした四人にさらに不運が降りかかる。先程も聞いた地鳴りのような音がしたかと思うと、再び雪崩が彼らを襲ったんだ。

 自分たちとエドガーの遺体は何とか無事だったが、代償として装備のほとんどを失ってしまった。


 さらに運が悪いことが重なって、あれほど晴れていた天気が急激に悪化していた。雲が立ち込め、風も強くなっている。このままだと吹雪くことは確実だった。

 彼らは素早い決断を迫られた。

 雪に埋まった装備を見つけてキャンプを張るか、装備を諦めてすぐに下山するかだ。


 彼らは下山を選んだ。若いから体力には自信がある。急げば間に合うと判断したんだ。

 そしてもうひとつの選択を迫られた。エドガーの遺体をどうするかだ。

 下山するには大きな負担となる。だがここで放置したらどうなるか?


 現代と違ってGPSなんてないから正確な場所の特定は難しい。雪が降れば遺体は隠れるだろうし、また雪崩がおきれば流されて場所も変わってしまう。放置すれば雪が溶ける春まで遺体の回収はされないだろう。

 さらに大型の肉食獣こそいないが猛禽類はいる。春になっても回収に手間取れば、それらにエドガーの遺体が食べられてしまう恐れもあった。


 四人は悩んだ末にエドガーを連れて下山することを選んだ。

 そして可能な限りのスピードで雪山を下り始めたんだが、天候の悪化は彼らの予想を超えていた。このままだと遭難の恐れすらある。

 その場でのビバークも考え始めた時に、一人が近くに山小屋があることを思い出した。


 下山ルートからは逸れて、むしろ引き返すことになるが背に腹は代えられない。彼らはそこを目指した。

 陽が沈む寸前にその山小屋は見つかった。それは夏登山で天気の急変時に使う待避所のようなもので、正方形の小屋の中には何もなかった。

 備蓄の食糧はもちろん暖炉や薪などもない。ただ雪と風を防げるだけだった。


 小屋の中央にエドガーの遺体を寝かせて、彼らはその周りを囲むように座り込んだ。腹が減ってはいたが、それについて文句を言ってもどうにもならない。四人は時間が過ぎていくのを待つしかなかった。


 夜になると小屋の中は真っ暗だ。装備を失っていた彼らには灯りもなかったんだ。

 そして動かないでいることで自分たちの体温が急激に下がっていることがわかった。このまま眠ってしまえば凍死することは明らかだ。


 四人はそうならないように声を掛け合ったり、相手を叩いたりしていたんだが、なにせ暗闇の中でやることだ。起きているのに「寝るなよ」と言われたり叩かれたりするんだな。

 それが重なることで四人の雰囲気は険悪になっていった。そこで一人がある方法を考え付いた。


 まず四人が部屋の四隅、A、B、C、Dにそれぞれ座る。

 Aの人間は壁を伝ってBの位置まで歩いてBの肩を叩く。Aはそこに座って今度はBが同じように壁を伝ってCの位置へ、そしてCはDへ、DはAへというように一周する。

 こうすれば定期的に動くことが強制されるわけで、眠ってしまう心配はない。そして真っ暗な状態でもできるというわけだ。


 この方法を懐疑的に思う者もいたが、とりあえず試してみることにした。そしてこれが思いのほか上手くいった。

 自分の順番がきたら次に回さないといけないという使命感があるし、座っている間はうたた寝をすることもできる。僅かな時間でも眠れるのはありがたかったし、眠っても起こしてもらえる安心感がある。


 四人は時には肩を叩くと同時に「頼むぞ」「おまえの番だ」などと励まし合いつつ、それを繰り返していった。

 そうして長い時間が過ぎた頃、壁の隙間から光が差し込んできた。

 小屋の扉を開けると、稜線から朝日が昇るのが見える。

 彼らはそうして雪山での夜をやり過ごすことができたんだ。

 そしてエドガーの遺体を担いで無事に下山することができたとさ」



「…………え!? 終わり?」


 早苗先輩の言葉はそのままわたしの気持ちを代弁していた。


「ああ、とりあえずはこれでおしまいだな」


 とりあえず?

 そこで話を始める前の結城先輩の言葉を思い出した。「最初に聞いた段階だと何が怖いのかわからないかもしれない。ちょっとしたミステリでもある」たしかそう言っていた。


「つまり今の話のどこに怖い要素があるのか見つけろってことね」


 早苗先輩もわたしと同じことを思い出したらしい。


「そういうことだ。各自ちょっと考えてみてくれ」


 そう言われてわたしは腕を組んだ。

 やはり特徴的なのは山小屋での一夜だと思う。タイトルだって『スクエア』だ。これは小屋での四人のフォーメーションのことだろう。

 だがそこから先がまったくわからない。

 頭を悩ますわたしたちに結城先輩がヒントをくれた。


「四人の小屋での動きをトレースしてみるといい」


 やはり鍵となるのはあそこらしい。

 しかしいくら考えてもわからない。

 個人的には白旗を上げたいところだが、ミステリマニアの早苗先輩はなんとしても解き明かしたいらしく、唸りながら考え込んでいる。

 すると亜子ちゃんが「あっ!」と小さく叫ぶと、両腕を組むようにして二の腕をさすり出した。鳥肌が立ったらしい。


「北条はわかったみたいだな。鈴木と有村は降参か?」


 わたしは頷いたが早苗先輩は激しく首を横に振った。


「じゃあとりあえず北条の答えを聞かせてくれ」


 結城先輩はそう言うと耳へと手を持っていく。

 亜子ちゃんは先輩の隣に膝をつくと、手で口を囲うようにして耳打ちをした。

 改めて見ると耳打ちというのは物凄く親密さを感じさせる行為というか、ありていに言って性的なものを感じる。実際に亜子ちゃんも恥ずかしそうだ。

 早苗先輩に目を移すと、口を半分開けて羨ましそうにそれを見ていた。

 これって、もし正解がわかったとしてもわたしが先に答えたら、早苗先輩に恨まれるのでは?


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