第34話【8月3日その4】波乱の夕食とお風呂


 わたしたちが亜子ちゃんの部屋で話していると、おばさんの呼ぶ声がした。

 夕食ということで階段を下りる。

 居間に通されると冬は炬燵なのだろうテーブルの他にもうひとつ座卓が出されており、それらの上にはお祝いごとでもあるのかというほどのたくさんの料理がのせられていた。


「今日は手巻き寿司だから遠慮しないで好きなものをどんどん取ってね。あと生ものが駄目な人がいたら言って、すぐにお肉を焼くから」


 わたしたちは全員「大丈夫です」と返事をした。食べ物の好き嫌いがないのは、わたしの数少ない長所だ。

 それぞれが席に着いてさっそくいただく。

 メインの手巻き寿司だけでなく、アサリのお味噌汁に筑前煮、たくさんのネギと生姜のかかった冷奴にアボガドのサラダ。御馳走でいっぱいだった。

 そのどれもがおいしい。

 そう思ったのはわたしだけではないらしく、結城先輩も「とてもおいしいです」と笑顔で伝えている。


「あらあら、お世辞でも嬉しいわあ。いっぱい食べてちょうだいね、おかわりもあるから」


 おばさんは頬に手を当てながら本当に嬉しそうだ。

 その陰で早苗先輩が座卓の下で結城先輩の足を蹴るのを見てしまった。


 食事は話し好きなおばさんを中心に、その質問にわたしたちが答えるといった感じでなごやかに進んだ。

 お祖母さんはにこにこと微笑みながらそれを聞いている。

 おじさんは事前に聞いていたように無口な人らしくほとんど会話に加わらない。だがこれはどこの家庭でもいっしょだろう。わたしの家でも父が積極的に話すことはない。

 ところがそのおじさんが唐突に口を開いた。


「おい。女の子はいいだろうが結城くんはそれだと遠慮して食べにくいだろう。専用に持ってきてあげなさい」


 わたしたちはびっくりしておじさんを見た。

 結城先輩も驚いたように「いえ、大丈夫です。ちゃんといただいています」と答えている。

 実際、特に遠慮しているようには見られなかった。


「あらあら、ごめんなさい。結城くんちょっと待っていてね」


 それでもおばさんは立ち上がると足早に台所へと消えた。

 しばらくして戻ってくると、その手には手巻き寿司用のお刺身が溢れるほど盛られた海鮮丼があった。


「わざわざ、すみません」


 結城先輩が恐縮した様子でそれを受け取る。


「テーブルにのっている好きな寿司ネタも遠慮しないで取ってね」


 おばさんの言葉に結城先輩が返事をして、わたしたちは食事を再開した。

 しかし、しばらくすると再びおじさんが口を開く。


「ほら、早くおかわりを持ってきてあげなさい」


 その言葉にわたしが結城先輩のどんぶりを見ると綺麗になくなっている。

 特に掻き込んでいた様子はないのに、いつの間に食べたのだろう。


「あらあら、気がつかないでごめんなさいね」

 

 おばさんも驚いたようで、慌てて立ち上がった。


「いえ、もう大丈夫です」


 結城先輩の制止に「遠慮しないで」と言って台所へ行くと、おかわりの海鮮丼を持って戻ってきた。

 しかしどんぶりごはんを二杯も食べられるのだろうか? それ以外のおかずだって普通に食べているし、お味噌汁もおかわりしている。

 そういえば先輩の食事姿を見るのは初めてだ。部活ではせいぜい飲み物を口にするぐらいである。

 わたしは先輩を注視することにした。


 結城先輩は会話をしながら普通に箸を運んでいる。

 やはり掻き込んだりはしていない。むしろ綺麗な箸使いで上品といってもいいぐらいだ。一定のペースで淡々と食べている。

 だけどそのペースがまったく落ちない。気がつけばどんぶりは空になっていた。

 今度はおばさんもそれを見ていたらしい。


「あらあら、凄いのねえ!」


 これにはまったくの同感だ。

 結城先輩は背こそ高いが長距離をやっていたというだけあってスリムだ。あまり食べるようには見えない。いったいどこにあの量が入ったのか不思議である。

 だがおじさんは、さも当然といったように頷いている。


「男の子はこのくらいの歳が一番食べるんだ。俺だって一日中、腹を空かしていたことを覚えている」


 わたしもおじさんの言うことには心当たりがある。

 運動部に入っているクラスの男子はお弁当を二つ持ってきていた。まず朝練終わりの一限前にそのひとつを食べる。そしてもうひとつは三限前に食べてしまうのだ。さらにお昼休みには購買でパンを買って食べている。

 いったいどれだけ食べるのかと呆れていたのだが、結城先輩も例外ではないらしい。


「ほら、さっさとおかわりを持ってきなさい」


 おじさんがどんぶりを取り上げるのを結城先輩が慌てて止めている。


「いえっ、本当にもう結構です!」

「遠慮しないで。じゃあごはんは少なめ目にしてくるから」


 おばさんは嬉しそうに台所へと消えて行く。

 三度みたび、海鮮丼を手に戻ってきたが、さすがに寿司ネタが足りなかったらしい。テーブルにのっているものからも手際よく取って結城先輩へと渡した。


「……ありがとうございます」


 さすがに先輩も困っているようだ。

 ところがペースこそ落ちたが、結城先輩は三杯目の海鮮丼も残さず食べてしまった。


「やっぱり男の子がたくさん食べるのを見るのは気持ちがいいわねえ」


 お祖母さんがにこにこと笑いながら感想を述べる。

 おじさんもそれに力強く頷いた。


「食事はエネルギーに変わるからな、食べる人間はそれだけ動けるっていうことだ。だから社会に出ると小食の奴は働かないんじゃないかと思われて、それだけで信用を得られない。亜子も見習ってもっと食べるようにしなさい」


 おじさんに言われて亜子ちゃんは首をすくめている。

 しかし小柄な亜子ちゃんと、男性の結城先輩を比べるのはどうだろう。


「結城くんごめんなさいね。おばさん男兄弟いなかったし子供も亜子だけだから、男の子がどのくらい食べるか知らなかったの。明日からはいっぱい用意しておくから」


 それを結城先輩は必死で止めている。

 遠慮ではなく本心だろう。見ていてもかなり無理をして食べていたと感じた。

 でも、たくさん食べたことで北条家のみなさんの好感度が上がったのは間違いないと思う。

 



「しまった。食い過ぎた」


 和室へと戻って来た結城先輩はベルトをゆるめると畳に横になった。

 紳士な先輩としては珍しい光景だ。


「愛想よくしてる罰が当たったのよ」


 それを早苗先輩が冷たい視線で見ていた。

 亜子ちゃんはしきりに謝りながら心配している。自分の家族が無理やり勧めた責任を感じているらしい。

 結城先輩はそれに手を振って平気だと答えていた。


 食事のあとは入浴の時間だった。

 わたしたちは当然のように北条家のみなさんが先にと申し出たのだが、お客様からどうぞと言われて、固辞するのも失礼なのでお言葉に甘えることにした。

 しかしそこでひと悶着があった。


 亜子ちゃんはホスト側の人間でもあるから最後にというのは当然だろう。わたしも後輩であるから年長者である先輩たちに譲った。

 となると結城先輩と早苗先輩のどちらからということになるのだが、


「ちょっと食休みしたいから、鈴木が先に入ってくれ」


 結城先輩がそう申し出たのは、苦しそうな状態から見て納得できる。

 ところが早苗先輩がそれに猛反発したのだ。


「あたしの後に結城に入られるのなんて嫌よ! あんたが先に入りなさいよ!」


 そう言うのである。

 その気持ちはわからなくもない。トイレなども自分のすぐ後に入られるのは抵抗がある。特に親しい異性にというのは恥ずかしい。

 しかしそれも時と場合によるだろう。現状ではあまり我儘は言えないと思う。

 結城先輩も少し怒っているようだ。


「自意識過剰なんだよ。おまえが入った風呂の湯を、俺が飲むとでも思っているのか?」

「あんたそんなこと考えてたの!? 変態!!」


 学校ならともかく、亜子ちゃんの家で喧嘩はやめてほしい。仕方がないので、わたしが最初に入りますと言おうとしたところで結城先輩が立ち上がった。


「まったく面倒くさい奴だな。俺が先に入ればいいんだろ」


 そう言って着替えを持つと和室から出て行った。



 結城先輩はそれほど時間をかけずにお風呂からあがってきた。あとがつかえていることに気を遣ったのだろう。

 わたしはその姿を見てドキッとしてしまった。

 今日は課外活動の一環だからということで、きちんとした格好で来た。結城先輩もほとんど制服と変わらない、襟付きのシャツにスラックスだった。


 しかし今は、そのまま寝間着にもするのだろうTシャツにハーフパンツである。洗いざらしの髪と相まって妙にセクシーだ。まさに水も滴る良い男である。

 そう感じたのはわたしだけでなく早苗先輩や亜子ちゃんもだったらしい。なんとなく女性陣は挙動不審である。

 結城先輩はそんな空気に我関せずといった感じでお腹を撫でている。


「鏡で見たら凄いことになっていた。まるで妊娠したみたいだ」

「へえ、どんな感じ? 見せてよ」


 早苗先輩の言葉に、結城先輩は軽く応じてTシャツをまくりあげる。

 さすが今でも毎日走っているというだけあってまったく贅肉がない。その綺麗に割れた腹筋がぽっこりと膨れている。無駄な肉がないだけに余計にそれが目立つ。

 しかし筋肉があるから鼠径部のラインがくっきりと浮き出ていて、洗いざらしの髪どころではないセクシーさだった。

 わたしは目のやり場に困って思わず顔を伏せた。

 隣では亜子ちゃんも顔を赤くさせて俯いている。

 早苗先輩も顔が真っ赤だったが、こちらは文句を言うことで恥ずかしさを誤魔化すことにしたようだ。


「女の子の前でなに見せてるのよ! 早くしまいなさい!」


「……おまえが見せろって言ったんだろうが。だいたい男の腹なんて、水泳の授業で散々見ているだろう?」


 結城先輩はそう言うがシチュエーションが違う。

 裸が当たり前の水泳の時間と、服を着ている状態から不意に見せられるというのは別物だ。さらに面識のない人間と、親しい人間との違いも大きい。

 実際のところ肉親以外でわたしが一番親しい男性は結城先輩だ。その人の裸だということもある。それは早苗先輩も亜子ちゃんも同じだろう。

 早苗先輩は照れ隠しか、着替えを持つと怒ったように和室から出て行った。

 それを見送って結城先輩は首を振ると、扇風機の前に陣取って髪を拭き始めた。



 みんながお風呂からあがると、北条家の皆さんに先にお風呂を使わせてもらったお礼と就寝の挨拶をした。

 和室にはすでにおばさんを手伝って布団を敷いてある。

 手前の部屋に結城先輩、奥の部屋にわたしたち三人だった。せっかくだからということで、亜子ちゃんもいっしょに寝ることにしたのだ。

 そして結城先輩の布団を囲むようにみんなが車座になる。

 ここからは早苗先輩が待ちわびた怪談の時間だった。


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