第26話【7月10日その1】直木賞の幻想をぶち壊す


 早いもので来週にはもう一学期の終業式だ。

 入学前には授業についていけるか不安だったが、いちおうなんとかなっている。そして勉強以上に心配していた学園生活は文句なしに充実していた。

 それはもちろん文芸部のおかげだった。


「そういえば芥川賞、直木賞って来週だっけ?」


 いつものように放課後の図書準備室。早苗先輩がスマホを取り出しながら尋ねてきた。


「ああ、たしか十七日じゃなかったか?」


 打てば響くように結城先輩から答えが返ってくる。もっとも顔は上げずに目はずっと文字を追っている。今日の本は『タタール人の砂漠』ブッツァーティ。

 素朴な疑問だがどういう基準で選んでいるのか興味がある。機会があったら聞いてみよう。


「うーん、ノミネート作品で読んだことがあるのはないなあ」


 早苗先輩は両賞の関連ページを検索したらしい。わたしも失礼して横から覗き込んだ。

 どちらの賞もノミネートは五作品。その中の直木賞候補のひとつで目が留まった。


「あっ。この澤田瞳子さんの『落花』って結城先輩が読んでいましたよね? わたしが入部してすぐの頃です」


 それを聞いて結城先輩が顔を上げた。驚いているようだ。


「よく覚えているな。俺自身、いつ読んだかまでは曖昧なのに」


 あれは文芸部に正式入部した日だったはずだ。結城先輩が本を薦めない理由を聞いた時だったので印象に残っている。たしか将門の乱が舞台になっている話とのことだった。

 それにしてもノミネートの段階で読んだ作品があるのはさすがである。これは普段から広く本を読んでいる結城先輩だからこそだ。見習いたいと思う。


「他にも読んだ作品ってありますか?」


「俺は文芸誌を読む習慣がないから芥川賞候補はどれも未読だな。直木賞候補だと朝倉かすみの『平場の月』も読んだことがある。まあ、どちらも受賞は難しいだろう」


「あまりおもしろくなかったのですか?」


「いや違う。どっちも版元が文藝春秋じゃないからだよ」


 わたしはそれを聞いて目を瞬かせた。


「受賞に版元が関係するのですか?」


 すると今度は結城先輩が同じように目を瞬かせてわたしを見つめた。そして苦笑しながら本を閉じた。


「有村も世間一般と同じ誤解をしているみたいだから、ちょっと芥川賞、直木賞について話そうか」


「……ひょっとして、また無知をさらけ出しましたか?」


 わたしは首をすくめた。顔が赤くなったのがわかる。


「べつに知らないことは恥ずかしいことじゃない。誰だって最初はそうなんだからな。恥ずべきなのは無知を居直ることと、知らないままでいることだよ」


 結城先輩がそう慰めてくれる。しかし温かい言葉をかけてくれたその口から、とんでもない言葉が発せられた。


「まず前提として芥川賞、直木賞なんてたいしたことがないってことだな。ありがたがる価値なんてまったくないぞ」


 これには絶句してしばらく固まってしまった。

 ようやく衝撃から立ち直って反論してみる。


「で、でも日本で一番権威のある文学賞じゃないですか? それに本読みだけでなく広く一般にも知られていますし、毎回ニュースにもなりますよね」


 しかし結城先輩はまったく動じず、余裕の笑みを浮かべている。


「いいな、その反応。まさに世間の誤解を代弁してくれている。でもそれは賞の性質を知らないだけだ」


「……性質」


「まず芥川賞、直木賞ともに菊池寛が創設したっていうことは話したよな?」


 わたしは頷いた。菊池寛については早苗先輩が風邪で休んだ時に結城先輩が詳しく説明してくれた。


「創設理由は菊池の友人である芥川龍之介、直木三十五の業績を記念して――ということに表向きはなっているが、本当の理由は販促のためだ」


「販促……ですか?」


 いきなり生々しい言葉が出てきて戸惑ってしまう。


「賞の創設は一九三五年。これは昭和恐慌からは何とか脱したけれど、日中戦争の影が差してきている頃だ。今も出版不況が叫ばれているが当時も本が売れなかったらしい。そこで発行編集兼印刷人、ようするに社長と編集長を兼ねていた菊池が知恵を絞って考え出したのが二つの賞だった。

 もちろん芥川や直木に対する想いがあったのも事実だろうし、日本にもノーベル賞のような権威ある文学賞を作るべきだという意見にも後押しされたとは思う。

 だけど本当のところは受賞を理由に文藝春秋の評判を高めるのが狙いだ。実際に菊池自身が「半分は宣伝のためにやっている」と明言している。そもそも年に二回も受賞があること自体がその証拠だと思わないか?」


 結城先輩は忍び笑いを漏らしている。権威ある賞の創設理由が、理念よりも販促だったということにおもしろみを感じているらしい。

 それはともかく年に二回というのはたしかに多い。頻繁に受賞ニュースを見るなあと思っていたのは気のせいではなかったのだ。


「もっとも菊池の努力もむなしく、しばらくは両賞とも相手にされなかったらしい。今のようにマスコミに取り上げられて注目を浴びるようになるのは、一九五六年に石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞してからだそうだ」


 石原慎太郎は知っている。東京都知事をしていたこともある人だ。たしか弟さんが有名な俳優さんだったらしい。息子さんたちも政治家やタレントをしている。


「そしてこれが肝心なところだが、その選考方法は当初は文藝春秋に関わりのある作家が集まってそれにあたり、三年後には日本文学振興会という財団法人が設立されてそこで決めるようになった。この日本文学振興会は今でもその事務所が文藝春秋内にあって、その理事長は文藝春秋の社長が兼ねている」


 そこで結城先輩は言葉を切ってわたしを見つめた。まるで話した内容が頭に浸透するのを待つように。


「……え、ということは」


 わたしはようやくそれだけを絞り出した。結城先輩はにやりと笑う。


「そういうことだ。芥川賞も直木賞も創設当初から終始一貫、に運営されているんだよ」


 そ、それはいいのだろうか?

 例えるのならスポーツで審判を身内の人間にするようなものではないか。

 だから結城先輩は自分が読んだ本はどちらも受賞は難しいと言ったのだ。文藝春秋が版元ではないから。


「それじゃあ過去の受賞作は全部、文藝春秋の本なのですか?」


「いや、さすがにそれだと他の出版社から相手にされずに、候補作にすることを拒否されるだろう。だから半分は文藝春秋以外の本が受賞している。

 版元ごとに出版される本の比率からして、それを多いとみるか、少ないとみるかは言わずもがなだな」


 わたしは心の中で「うーむ」と唸った。

 結城先輩の話を聞くと芥川賞、直木賞がたいしたことはないというのにも納得してしまう。なにせ賞の性質が自社本の販促だというのだ。


「それでも候補作を選考期間内に発表された優秀な作品の中から選んでいるのならまだわかる。ところがそうじゃないところが始末が悪い」


 どうやらまだ続きがあるらしい。わたしだけでなく早苗先輩も亜子ちゃんも興味深そうに聞いていた。


「そうだな、まず直木賞から説明するか。以前は芥川賞と同じく無名、新人作家を対象としていたんだが、今ではキャリアは関係なくてベテランでも受賞している。

 選考対象は大衆小説全般だけど、時代小説や人情話が比較的選ばれやすい。九十年代以降はミステリからの受賞作も増えてきたけれど、逆にSFは不遇で受賞してしかるべき作家がことごとく落選している。筒井康隆はそれに腹を立てて風刺小説を書いたぐらいだ。

 これなんかはわかりやすいよな。ようするに文藝春秋が得意としている分野、苦手としている分野で受賞作がはっきりとわかれているわけだ」


 ますます選考が不平等に思えてきた。


「そして有村が最初に権威のある賞だって言ったけれど、これはそうなるように受賞作を選んでいるからなんだ。

 たしかに直木賞を受賞すれば箔がついて売れ行きも伸びる。ただその逆もしかりで、直木賞の方でも箔がつくような作家を選んでいる。具体的に言うと人気が出てきた作家、一般にも名前が知られてきた作家、直近の作品がヒットした作家だ。そういった作家を受賞させることで直木賞の権威を高めているんだよ」


 わたしはそこであることに気づいた。結城先輩は言葉を選んで喋っている。

 そして先輩と目が合った。


「有村が思ったことは正しい。俺は意図的にとは言わずにと言っている。これはそのままの意味だ。はっきり言ってしまえば直木賞は作品に与えられる賞じゃなくて作家に与えられる賞なんだ。

 だから直木賞受賞作にはその作家の作品の中では出来が悪いものも多い。当然だな、作品では選んでいないんだから。もし直木賞作家を読んでみようと思ったのなら、俺なら直木賞受賞作の一作前か二作前を薦める。それこそが直木賞を獲るきっかけとなった当たり作だからだ。

 もちろん直木賞受賞作にも名作はある。それは脂の乗り切った時期が続いたことで書けたものだろう。ただ直木賞が名作で直近の作品がつまらないということはない。その逆は多くてもな。これは断言できる」


 なるほど。結城先輩は直木賞作家は認めていても直木賞作品には懐疑的なのだ。

 もちろんあくまでも結城先輩個人の意見だ。だが、先輩は受賞作や直近の作品を読み比べてそう結論付けたはずだ。

 先輩の読書量や読解力を知るわたしとしては十分に説得力のあるものだった。

 わたしの中で偉大なものという直木賞の幻想が壊れた。


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