第27話【7月10日その2】芥川賞に必要なこと
「次は芥川賞だけど、正直なところ偉そうなことを言えるほど読んでいない。それでも受賞作は本になるからまだマシなんだが、候補作だとそうはいかない。さっきも言ったけど俺は文芸誌までは手を出していないんだ」
結城先輩は恐縮しているが気にする必要はないと思う。もちろんわたしは読んでいないし、早苗先輩も亜子ちゃんも読んでいないようだからだ。
「平気、平気。
早苗先輩が手をひらひらと振りながら声をかけた。
亜子ちゃんも力強く頷いている。
それで力を得たのかはわからないが結城先輩が言葉を続けた。
「芥川賞は新人に与えられる賞で純文学が対象だな。あと意外と知られていないんだが短編、中編に限定されている。といってもこれらの規定は全部曖昧なんだ。いつまでが新人なのか、何をもって純文とするか、具体的数字を出せる長さですら明確には決められていない。実際に例外もある」
これには驚いた。わたしが知っていたのは純文学が対象ということだけだが、芥川賞のように有名な賞でも規定がそんなに曖昧だったとは。
「新人が対象だから直木賞のように作品ではなく作家で選ぶというようなことはない――と言いたいところなんだが、こちらでも商業主義が顔を出してくる。特に最近はその傾向が強い。
なにせ関係者が「いま芥川賞に必要なのは作者のキャラクターです」と言ったそうだからな。もちろんこれは冗談だろうけれどシャレになっていない」
それは当事者である作家としては冗談では済ませられないだろう。作者のキャラクターとなるともはや小説とは関係がない。
「作者のキャラクターがセールスポイントになることに気づいたのは『苦役列車』で受賞した西村賢太以降だと思う。
この人は受賞時の会見で「そろそろ風俗に行こうかなと思っていました」と答えて一気にマスコミから注目を浴びたんだ。まさか芥川賞作家がそんなことを言うとは思っていなかったからインパクトがあった。それ以降もあけすけな性癖や逮捕歴を口にして話題になっている。
コメンテイターをやっていたこともあるし、テレビでの露出も多いから見たことがあるんじゃないか?」
わたしは頷いた。クイズ番組に出ていたのを観たことがある。その時はごく普通の人に見えた。まさかそんな過激な発言をしていたとは。
「『スクラップ・アンド・ビルド』で受賞した羽田圭介も積極的にメディア露出をして顔を売ったひとりだな。若くてルックスも良いし語り口も爽やかなんだが、そこはやはり作家というべきか、この人もなかなかの変人だ。
もっともそのギャップが受けて一時期はテレビに出ずっぱりだった。密着番組に出演していたのを観たことがあるが、いろんな意味でおもしろかったな」
羽田圭介さんも知っている。ただどちらも本は読んだことがなかった。
「実際にどちらの受賞作も平均的な芥川賞作品よりはかなり売れた。かく言う俺も作者に興味を持ってから読んだ人間だ。
それでもこのふたりに共通しているのは、あくまでもメディア露出は宣伝と割り切っていることだ。過激な発言も変人アピールもいわばサービスだ。ピエロもやるが本業は作家だという自負があるんだと思う」
結城先輩ですら作者買いをするということは宣伝としては成功しているのだろう。そうなると作者のキャラクターが重要だというのも、あながち間違っていないのかもしれない。
「それでもこのふたりみたいに作者自らが意図的に広告塔の役割をするだけなら、キャラクターが必要なんていう話にはならなかったと思う。基本的に物書きなんて人前で話すのは苦手だろうし、その気のない作家に無理強いするわけにもいかないからな。
ところが意図的じゃないのに作者のキャラクターに注目が集まり、結果的に本が売れたとなると、そこに目を付ける人間が出てくるわけだ。
その例となったのが『共喰い』で受賞した田中慎弥だな」
わたしはその人のことは知らなかったが、早苗先輩と亜子ちゃんには思い当たることがあるらしい。
「たしか受賞時の会見で「自分がもらって当然。もらっといてやる」みたいな発言をしたんだっけ?」
早苗先輩が記憶を思い出すように口にした。
それが本当だとするとなかなか強気な発言だ。人によっては傲慢と受け取る人もいるだろう。
「要約するとそうなんだが、細部が重要なんでちょっと待ってくれ」
そう言うと結城先輩はスマホを取り出して検索をしている。
「ああ、これだな。『アカデミー賞でシャーリー・マクレーンが「私がもらって当然だと思う」と言ったそうですが、だいたいそんな感じ。四回も落っことされた後ですからここらで断っておくのが礼儀ですが、私は礼儀を知らないので。もし断ったりして気の弱い委員の方が倒れたりしたら、都政が混乱するので。都知事閣下と東京都民各位のために、もらっといてやる』
この都知事というのは石原慎太郎のことで、当時の芥川賞選考委員でもあったんだ。石原は知事の定例会見で「芥川賞候補作を苦労して読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ」と発言したらしく、それを受けてのコメントとされている。
石原慎太郎といったら文学界、政界、芸能界に多大な影響を持つ大物だ。それに一介の新人作家が喧嘩を売ったということでマスコミが飛びついたわけだ」
たしかにメディアが喜びそうな話題だ。ただ先輩たちも亜子ちゃんも、はっきりと覚えているわけではないらしい。
「ちなみにそれはいつのことでしょう?」
「二〇一一年の下半期だから七年半前だな」
わたしが小学校二年の時だ。記憶にないのも仕方ないだろう。
「言っておくが俺が詳細を知ったのも中学になってからだぞ。当時は芥川賞の存在すら知らなかった」
おや、結城先輩でもそうらしい。少し勇気をもらえた。
「とにかく田中慎弥の個性は強烈だった。インタビューでは基本的に不機嫌でさっさと終わらせようとする。芥川賞の贈呈式でのスピーチも「ありがとうございました」の一言ですませたぐらいだ。
パソコンや携帯も持たずに原稿も手書き。母親と二人暮らしだが一度も働いたことがないそうで、まさに昭和の文豪を地で行く人物だ。
石原に喧嘩を売ったこともあいまって『共喰い』は芥川賞としては異例の二十万部を売り上げたそうだから、出版社が作者のキャラクターに目を付けたのも無理はないな」
小説は読むまで内容がわからない。時間をかけないと良さが伝わらないわけで、そう考えると作者のキャラクターというのは、興味を持ってもらう第一歩ということで大切なのかもしれない。
素直に肯定はしたくないが、一概に否定するのも良くないことかもと思った。
「ところがだ、実はこの話には裏というかオチというか、一般に知られていることとは別の真相があるんだ」
結城先輩はそう言うとなんとも複雑な表情を浮かべた。
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