第24話【6月21日その3】今日からここは
名前の入れ替え。
何故そんなことをしたのか、先輩たちはその理由がわからずに困惑していた。
ただ各作品のタイトル下にある名前だけでなく、目次にある名前まで書き換えられていることを知ると、ミスや手違いでなく確信犯であることはわかった。
それに気づくのは授業をサボって『星霜』を最初から読み始めて、しばらく経ってからのことだ。
二年生の小説を最後まで読んで、それが未完であることを知ったのだ。
文化祭まではわずか三日。先輩たちのとれる選択肢は少なかった。
ひとつはすべてを諦めてこのまま『星霜』を世に出すこと。
もちろんこれはすぐに却下された。
早苗先輩に言わせれば「それなら死んだほうがマシ」ということになる。
嫌っている相手が書いた小説の、それも未完の作品の作者にされるなど我慢ができなかったのだろう。
ふたつ目は『星霜』を処分することである。
これはかなり有力だったそうだ。
そうした場合には文芸部は活動実績なしとみなされて、翌年には廃部が決定的だが、先輩たちにとっては知ったことかという感じだったそうだ。
ちなみに先生や学校に訴えるという考えはまったくなかったという。
これは霧乃宮高校の部活の形態によるものだろう。
霧高の部活はとにかく自主自立を重んじている。普段の活動で顧問の先生が顔を出すことはない。練習メニューを始め、レギュラー選び、遠征の手配、すべてが生徒によって運営されている。
わたしも文芸部の顧問を見たことはおろか、誰なのかも知らなかった。
大人の責任者が必要な時には顧問が同伴するが、運動部の大会などでも指示やサインを出すことはなかった。
これは県内トップといわれる高校だからこそだと思う。もちろん生徒にもその自負がある。だから何か問題が起きても自分たちで解決する。当然、先輩たちもそのつもりだった。
先輩たちがふたつ目の選択を取らなかったことは、今ここに『星霜』があることからわかっている。
先輩たちは困難な第三の道を選んだのだ。
その原動力は怒りだったという。
「正直、文芸部のことはどうでもよかったの。でもあいつらにやられっぱなしなのは我慢ができなかった」
決断をすると先輩たちの行動は早かった。授業中にも関わらず学校を抜け出すと、文集を依頼した印刷所へと駆け込む。ダンボールには送り主の名前があったし、中には明細も入っていたから特定は簡単だった。
印刷所の責任者の人は、土下座すらしかねない必死の形相の学生に驚いていたというが、話を聞くと特急の印刷を通常料金で請け合ってくれた。
先輩たちにとって誤算だったのは、『星霜』のデータが印刷所にはなかったことだ。これは悪用や流出を防ぐために、顧客から預かったデータは納品が終わるごとに消去する決まりがあるからだ。
自分たちの評論はすぐに用意できるが、まさかその他を二年生から借りるわけにもいかない。
翌朝一番に届けることを印刷所に約束すると、先輩たちは手分けをして『星霜』の内容を新たに打ち込んだ。
ここで先輩たちにはいくつかの選択肢があった。
ひとつは自分たちの評論を最初に書いた『オランダ靴の謎』と『砂の女』に差し替えること。
もうひとつは、特集の二十タイトルを自分たちで選び直すこと。もしくは特集そのものをやめてしまうこと。
そして最後のひとつは、二年生の小説を――改竄すること。
しかしそのいずれをも先輩たちはしなかった。
そのことでは二人の意見は完全に一致していたという。
「たしかに彼女たちのしたことは許せるものではなかった。でも同時に俺たちにも責任があると思ったんだ。
どんなに衝突しようが、俺たちも文集制作に関わっていればこんなことにはならなかったはずだ。言ってみれば自業自得だよ。
だから戒めとして名前だけを元に戻して、あとはそのままにした。この『星霜』にまつわる汚点は、俺たちの汚点でもある。それを忘れないためにそうしたんだ」
そう語る結城先輩の表情には自責の念が見えた。
贔屓目かもしれないが話を聞く分には先輩たちに非はないと感じる。
それでも結城先輩は後悔しているのだ。それがこの人の優しさであり、強さなのだと思う。
そして文化祭当日。
先輩たちは朝一番に新しい『星霜』を持って図書準備室へときた。ちなみに古い『星霜』は後夜祭のファイアーストームの焚き付けとなったそうだ。
先輩たちが待ち構えているところに二年生がやってきた。
少し驚いた様子だったが、すぐにそれが笑い顔に変わる。
「何しにきたの? べつに売り子の手伝いはいらないわよ」
「いえ、必要になると思ったので」
彼女たちは結城先輩の言葉に不審な表情を浮かべたが、長机に置いてある『星霜』に目を留めると再び笑みを浮かべた。
「文集は読んだ? 良い出来でしょ?」
「ええ、素晴らしい出来だと思います」
その返事を聞いて、我慢できないというように彼女たちは爆笑した。
しばらく笑い続けたあと馬鹿にしたように声をかける。
「結城だっけ。どこに目を付けてるのよ。もっとちゃんと読んだら?」
「ちゃんと読んだつもりですけどね。先輩たちの小説も素晴らしいと思いましたよ。特にラストが」
それを聞いて一瞬だけ彼女たちの表情が強張ったが、すぐに余裕を取り戻して挑発するような声を上げる。
「それでちゃんと読んだつもりだっていうのが馬鹿なのよ。もう一度タイトルから読み返してみなさいよ」
結城先輩は『星霜』を手に取るとページを繰る。
そして手を止めると小説のタイトルと、その下に書いてある名前を読み上げた。
彼女たちもそこに至ってようやく、何かがおかしいことに気がついた。
ひとりが結城先輩の手から『星霜』を奪う。
そこに書かれていることを確認した目が驚愕にみるみる見開かれていった。
しばらく静寂が続いたあとに絞り出すような声が聞こえてきた。
「……あんたたち、よくもやってくれたわね」
震えているその手から、結城先輩が『星霜』を取り返す。
「売り物なんで大切に扱って下さい」
それを聞いてもうひとりの二年生が在庫のダンボールへと駆け寄ろうとしたが、その前に早苗先輩が立ち塞がった。
睨みつけてくる眼を正面から受け止め、結城先輩は静かな声をだす。
「未完の小説が載っている文集を、自らの手で売るのはつらいだろうと思ったのですが、それでも売り子は必要ありませんでしたか?」
彼女たちの顔は怒りに歪み赤く染まっていたが、自分たちの負けはあきらかだった。
踵を返したその背中に結城先輩が鋭い声をかける。
「今日から文芸部の運営は俺たちがやります。そこには――」
言葉を切り、振り返った二年生を見据える。
「あなたたちの居場所はない。そのことを忘れないでください」
何か言い返そうとした言葉を飲み込むと、ドアを勢いよく閉めて彼女たちは図書準備室を出て行った。
外からは文化祭の開催を告げる喧噪が聞こえてきていた。
先輩たちの長い話が終わっても、しばらくは誰も口を開かなかった。
いま聞いた話は一年前にこの場所でおきたことなのだ。
早苗先輩は結城先輩のことを戦友と呼んでいた。今ならその意味がわかる。
沈黙を破ったのは亜子ちゃんだった。
「ひとつだけ聞いてもいいですか?」
結城先輩が静かに頷く。
「当時の二年生たちは最初から名前の入れ替えをするつもりだったのでしょうか?」
「いや、俺はそうは思っていない。むしろ最初は俺たちの手なんか借りずに、全部を自分たちでやるつもりだったと思う。小説や評論だけでなく、詩や俳句なんかもな」
結城先輩は再び背後のスチールキャビネットから一冊の文集を取り出した。
〈平成二十九度『星霜』第七十一号〉
一昨年の文集である。先輩はその目次を開いた。
あの二年生たちの名前もあった。この時は一年生だったことになる。
しかしそれよりも目を引いたのは遠野司という名前だった。なぜならこの人は
小説、評論、詩、短歌の四作品を寄稿していたのである。
おそらく〈とおのつかさ〉と読むのだろう。男性とも女性ともとれる名前だった。
「前の年にこういう人がいたからな。それで自分たちも何とかなると思ったんじゃないか。ちなみに彼女たちもこの年の小説はちゃんと完結させている」
きっと遠野さんという先輩がいたからだろう。わたしだって結城先輩たちがいなければ何もできないはずだ。
「ところが九月になっても文集完成の目処が立たなかった。そこで俺たちを呼び出したんだが、この時点でも名前の入れ替えは考えていなかったと思う。もし考えていたら二度目の時のように細かい指示を出したはずだからな。おそらく小説だけは書き切ろうと思っていたんじゃないか」
「でもさ、あの小説ってあれで話の半分ぐらいじゃない? 元々文集に載せるには長すぎると思うんだよね」
早苗先輩の感想はわたしが感じたものと同じだった。
「書いているうちにどんどん長くなるっていうのは、物書きなら誰でも経験があるだろうから強くは責められないけどな。まあ見通しが甘かったのはたしかだ。
完結は無理だと悟った彼女たちだが、おあつらえ向きに幽霊部員の一年が二人いた。部活動に参加していないこいつらなら犠牲にしても構わない、と思ったかどうかはわからないが、その時に名前の入れ替えを思い付いたんだろう」
もし結城先輩の言うとおりなら勝手な話だ。先輩たちが部活に参加しなかったのは彼女たちの対応に問題があったせいだと思う。
「ところがその一年の評論は彼女たちでは絶対に書かないような内容だった。そこで没にして、細かく注文をつけて自分たちでも書きそうな題材に変えさせた。おそらくそういうことだったんだと思う。
あくまでも俺の推測だ。真相はまったく違うかもしれない」
結城先輩はそう言ったが、わたしには納得のいくものだった。
そしてやりきれない気持ちになった。彼女たちが最初から先輩たちに相談していたらどうなっていただろう。
きっと先輩たちは文集制作に協力したはずだ。少なくとも彼女たちが未完の小説を掲載するようなことにはならなかったと思う。
これで結城先輩が今年の文集に、好きなものを好きなだけ書けばいいと言った理由がわかった気がする。去年にそんなことがあったからなのだ。
わたしが結城先輩を見ると目が合った。
先輩が照れたように微笑む。
「そんなわけだから俺は今年の文集は良いものにしたいと思っている。有村と北条にも協力してほしい」
「はいっ!」
わたしと亜子ちゃんはこれ以上ないくらい強く返事をした。
返事だけじゃない。心からそうしようと思っている。
「鈴木もだ。さっきも言ったけど嫌なものを無理に書く必要はない。自分の好きなものを書けばいいんだ」
「あんたがそこまで言うならそうしよっかな。よし! じゃあ今年の『星霜』は小説特集号に決定ね!」
早苗先輩の言葉にわたしと亜子ちゃんが拍手をした。
結城先輩も微笑んでいる。
わたしは自分の幸運に感謝した。もし去年の文芸部にひとりで入部していたらどうなっていただろう?
それは想像したくないことだった。
しかし今年入部したわたしには、尊敬できる先輩とかけがえのない友達がいる。
その幸運は返さないといけない。
まずは今年の『星霜』を素晴らしいものにするために頑張ろうと決意した。
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