第23話【6月21日その2】一年前の出来事
先輩たちの話は去年の部活動見学から始まった。
見学初日、早苗先輩は意気揚々と図書準備室を訪れたという。
そこにいたのは二年生の女子が二人。ということは文集の小説の作者はその人たちなのだろう。
お互いの自己紹介が終わると、当然のようにどんな本を読んでいるかの話になった。早苗先輩は今年と同じように愛する本格ミステリ、特にクイーンについて滔々と語ったという。
しかし二年生たちの反応は芳しくなかった。
「今どき誰がそんなの読むのよ。くっだらない」
一人がうんざりした顔でそう言ったという。
「あたしも悪い癖が出てたのは認める。でもさすがに頭にきたね」
早苗先輩は当時を思い返して腹立たしそうだ。
それでもなんとか抑えて、どうくだらないかを尋ねたという。しかし笑いながら返ってきた答えは「読んでないから知らないよ」だったそうだ。
「ホントぶん殴ろうかと思ったわよ。読んだうえで否定するのならどんなにふざけた言い分でも受け入れるけど、読んでないときたからね」
早苗先輩は怒り心頭のまま図書準備室を出たという。
それでも他の部活に入るという選択肢はなかったそうだ。
「運動苦手だしさ、本しか読んでこなかったから他にできることないんだよね」
早苗先輩の部活選択もわたしと似たようなものだったのだ。
結局、入部届けは提出したがそれ以降図書準備室に行くことはなかったという。
それから二日後に結城先輩が部活見学に訪れた。
なんでも初日は陸上部の見学に、次の日は他の運動部を回っていたそうだ。
結城先輩は中学の頃には陸上部で長距離を走っていたというから、やはり少しは未練があったのだろう。
早苗先輩と同じく自己紹介が済むと読んでいる本の話になったが、こちらはあっさりと会話が終わったらしい。今年のことを思い返すとさもありなんと思う。
そこで結城先輩の方からどんな活動をしているのか質問したそうだ。
すると彼女たちは含み笑いをしながら意味ありげな目つきで先輩を見て、
「逆に聞くけどさ。わたしたちとナニをシタいの?」
そう言ったそうだ。
早苗先輩がそれを聞いて怒声を上げた。
「はぁ!? あいつらそんなこと言ってたの!? ほんっとサイテーな連中!!」
「まあ一年坊主をからかって遊びたかったんだろう」
結城先輩は気にしていないようだが、あまり品の良い人たちではないようだ。隣で亜子ちゃんも眉をひそめている。
少し迷ったそうだが結城先輩も入部届けを出した。そして早苗先輩とは違って入部後も一度だけ顔を出したそうだ。
しかしその時も同じような対応をされ、さすがにうんざりとしてそれ以降は行かなかったという。
こうして二人とも文芸部の幽霊部員となったのだ。
お互いの在籍を知らないまま、先輩たちが顔を合わせることになるのは夏休み明けの九月の初めだった。二年生に呼び出されたのだ。
「結城はその頃にはすでにちょっとした有名人だったからね。こいつも文芸部だったのかってびっくりしたな」
結城先輩のほうでも同学年の早苗先輩の顔は知っていたという。
放課後の図書準備室で告げられたのは文集への寄稿だった。
そこで先輩たちの反応は分かれたそうだ。
早苗先輩は勝手にやればと思っていて、寄稿するつもりはなかったという。
結城先輩は在籍している以上、最低限の義務だと思ったそうだ。
結局、結城先輩に説得される形で早苗先輩も不承不承ながら頷いた。しかしそこからまたひと悶着があった。
先輩たちが、できる創作は小説か評論だと答えると二年生たちは文句を言ってきたという。文集のバランス的に俳句や短歌、詩を寄稿しろというのだ。
しかしできないものはできない。そこは先輩たちも譲らなかった。
結局、先輩たちが評論を、二年生が小説を書くことに落ち着いた。それについても早苗先輩は不満があったそうだ。
「だってそうでしょ。自分たちだって詩や俳句ができないくせに、あたしたちにだけ押し付けようとしたのよ。小説と評論だってさ、こっちから選ばせろとは言わないけど、せめてジャンケンとかで決めるべきじゃない」
これについても結城先輩は「そうは言っても俺たちは何もしてこなかったからな」と、すんなりと受け入れたという。
そして締め切りは週明けを指定された。印刷所への入稿までは二週間ほどあるが、内容の確認や校正のためにということだ。
「実質五日しかなかったんじゃないかな。もっと早く言えって話よ!」
早苗先輩は徹底的に当時の二年生が嫌いみたいだ。もちろんその気持ちはよくわかる。
とにかく先輩たちは週明けにはきちんと原稿を提出した。
「あたしは馬鹿のひとつ覚えだけど、クイーンの『オランダ靴の謎』の評論ね」
「俺は
あれっ? と思った。
今わたしの手元にある『星霜』に載っている評論とは違うものだ。
「それがさ、あいつら没を食らわせたのよ」
二年生たちは評論を読むと「こんなの誰も知らないわよ」そう言って、原稿を突き返してきたそうだ。
「さすがに俺も頭にきた、というより呆れたな。知らないのはあんたたちであって、文集を読む人間には関係ない」
結城先輩でもそうなのだから、早苗先輩の怒りは相当なものだった。
とにかく先輩たちは、言われたとおりに提出したからあとは知らないと突き放したという。
そこで初めて二年生たちも少しではあるが
「せっかく寄稿するのだから文集を良い物にしたくはないのか?」
「できれば本をあまり読まない人間にもわかる、一般受けのするものがよい」
「文集に寄稿することは文芸部員の責務である」
硬軟織り交ぜて懐柔をはかってきたそうだ。
あまりのしつこさに先輩たちも辟易として、その結果お互いが妥協したところで書かれたものが、『星霜』に掲載されている評論だという。
「本当に妥協の産物よ。だってあいつら、最初は本の指定までしてきたんだから。
さすがにそこまで言いなりになるのは嫌だったから、あたしはミステリについて、結城は近代文学について書くことは譲らなかったの」
「どんな内容にするのかも聞かれたんだ。その上で細かく注文もつけてきた。そこまで綿密に打ち合わせをするのなら最初からしてくれと思ったな」
なるほど。あの評論は二年生の意向を多分に含むものだったのだ。
締め切りはなんと三日後だったがそれでも先輩たちは書き上げたという。
「提出したあとはせいせいしたね。これでこいつらと顔を合わせなくてすむと思ったから」
しかし早苗先輩の望みは叶わなかった。
この話はここからが本番だという。
文化祭を迎える三日前、水曜日のことだ。
早苗先輩はお昼休みに図書準備室に忍び込んだ。目的は出来上がった文集を見ることだった。
「自分の書いたものが本になるっていうのは初めてだったからさ、やっぱりこの目で見たいじゃない」
その気持ちはよくわかる。わたしでも同じことをするだろう。
放課後では二年生と顔を合わせることになる。文化祭当日は売り子を頼まれてはいなかったし、先輩も手伝う気はなかった。
となると昼休みにでも行くしかない。
すでに文集が届いていることは知っていたので、早苗先輩はお弁当を掻き込むと、気分は忍者のように図書準備室へ向かったという。
『星霜』は探すまでもなく、その一冊が長机の上に乗っていた。足元にはダンボールに入った在庫もある。
早苗先輩はいそいそとページを開いた。
巻頭の特集には顔をしかめたが、自分の評論を見ると思わず笑みがこぼれたという。
しかしその笑顔は続かなかった。あることに気がついたからだ。
最初は何かのミスか、手違いかと思ったそうだ。
そこでダンボールから在庫を取り出して見てみたが、そのすべてが同じようになっている。
早苗先輩は時間が経つごとに事の重大さに気がついた。
すぐに図書準備室から飛び出すと、先生の注意も無視して廊下を全力疾走で一年生の教室へと向かった。
「結城いる?!」
教室に駆け込むなり早苗先輩は大声で叫んだという。
予鈴まで時間はなかったのでほとんどの生徒が教室にいた。その全員から注目を浴びても気にするそぶりもみせず、早苗先輩は結城先輩を見つけると問答無用で拉致したそうだ。
「こいつが文集を持ってきていれば話は早かったのに、手ぶらで「ちょっときて! いいから早く!」としか言わないもんだから何事かと思ったぞ。
しかも無理やり連れていかれてそのあとの授業はサボったからな、しばらくの間はいろいろと聞かれて面倒だった」
「慌ててたからそんなことにまで頭が回らなかったのよ!」
たしかに違うクラスの女子にいきなり連れ去られたとしたら噂にもなるだろう。しかも授業をサボったらしい。
そして図書準備室まで引きずられて来た結城先輩も『星霜』を見て眉をひそめたという。
「何があったかわかる?」
早苗先輩がわたしたちを見ながら聞いてきた。
わたしには見当もつかない。だが亜子ちゃんが青ざめた顔でそれに答えた。
「……ひょっとして、先輩たちの書いた評論が改竄されていたのですか?」
改竄。
もしそうだとしたらたしかに大問題だ。
「半分は当たっているかな。でも内容についてはまったく書き換えられていなかった」
早苗先輩の言っていることは謎だ。
内容については書き換えられていない。もしそうだとしたら、他に改竄する箇所などあるだろうか?
亜子ちゃんも困惑しているようだ。
「名前がね、書き換えられていたのよ」
それを聞いてもやはりわからない。
「ペンネームのようなものにされていたということですか?」
早苗先輩は首を横に振る。
「名前が入れ替えられていたの。あたしたちの評論にはあいつらの名前が、そしてあいつらの小説にあたしたちの名前があった」
名前の入れ替え。
すぐにはそれが意味する重大さがわからなかった。
先輩たちの書いたものを横取りしたというのは酷いと思う。でも、それだと自分たちの小説は先輩たちが――
それに気づいて、わたしは手元にある『星霜』を凝視した。
そうだった、ここに掲載されている小説はどちらも完結していない。
顔を上げると結城先輩と目が合った。
「そういうことだ。俺たちは未完の小説の作者にされたんだ」
わたしは図書準備室の温度が一気に下がったように感じた。
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