第30話【7月17日】意外な合宿プラン


 今年は梅雨寒の日が多く、七月も半ばになるというのに夏らしい天気がまったくない。それでも夏休みはちゃんとやってくる。

 終業式を明後日に控えた放課後の図書準備室。全員が揃うと、亜子ちゃんが遠慮がちに口を開いた。


「あの、昨日のお話のことなのですけれど」


 控えめな亜子ちゃんが率先して話題を振ってくることはほとんどない。珍しいことなので、みんなが少し驚いたように亜子ちゃんを見た。

 わたしは記憶を遡る。はて、わざわざ亜子ちゃんが翌日に再び話題にするようなことがあっただろうか?


「ごめん亜子。昨日のどの話?」


 早苗先輩も思い当たることがないようだった。

 みんなの視線を集めて恥ずかしそうな亜子ちゃんが小さな声を出す。


「早苗先輩が言っていた合宿の件なのですが……」

「ああ、あれね」


 たしかに合宿の話は出た。昨日の話題では一番盛り上がってもいた。でもあれは立ち消えになったものと思っていた。

 それはいつものように早苗先輩の一言から始まったのだ。





「夏休みに文芸部で合宿に行こうよ!」


 話題が途切れた瞬間を狙いすましたように早苗先輩が声をあげた。

 わたしと亜子ちゃんはいきなりのことに驚きつつも、その提案に興味を持った。

 ところが結城先輩は我関せずといった態度で本を読み続けている。今日の本は新潮選書の『経済学者たちの日米開戦』牧野邦昭。本当に何でも読む人だ。


「ちょっと。あんたにも聞いているんだけど」


 早苗先輩が結城先輩を睨む。

 それでも結城先輩は本を閉じずに、ちらと視線を寄越しつつ面倒くさそうに返事をする。


「そういう実現しなさそうなことを思い付きで言うなよ」

「なんで最初から実現しないって決めつけるのよ!」


 早苗先輩は早くも臨戦態勢だ。


「じゃあ聞くけどな、合宿っていうからには泊まりなんだろ。宿泊施設の目処ぐらいついているんだろうな?」

「…………」


 結城先輩はため息をつくと再び本に目を落とす。


「それくらいこれから見つければいいでしょ! それにさ、ラノベとか日常系のアニメだとこういう時にお金持ちのメンバーが一人はいて、別荘とかに招待してくれるのがお約束じゃない」


 早苗先輩はそう言うと期待を込めた目をわたしたちに向けた。わたしも亜子ちゃんも慌てて首を横に振る。


「残念だったな。どうやら俺たちはフィクションの登場人物じゃなくて、現実世界に生きているらしい」


 結城先輩の皮肉に早苗先輩は憎々し気な表情を向ける。


「見切り発車なのは認めるわよ。でも合宿事体は良い案だと思わない?」


 それにはわたしも同意見だ。聞いた瞬間にわくわくした。

 ところが結城先輩は合宿そのものに反対らしい、ようやく本を閉じて話す体勢になったのだがその表情は冴えなかった。


「合宿っていうけど、どんなプランを考えているんだ?」


「そうだなあ、できればコテージを借りたいよね。一泊か二泊が限界だろうけど、そこで避暑を兼ねながら創作と読み合いをするのよ」


「つまりわざわざ交通費と宿泊費を払って出かけながら、やることは部屋に篭っての創作活動なんだろ?

 わざわざそんなことしなくても、学校開放日にここに集まってやればいいだけの話じゃないか。遠出をする意味がわからん」


 たしかにそう言われると無駄が多い気もする。


「あんたロマンがないわねえ。いつもと違う非日常なのがいいんでしょ。それに夜には怪談で盛り上がれるじゃない」


「それのどこにロマンがあるんだよ。怪談だってここでやればいいだろ。夏休みの開放日なんて生徒がいないだろうからよっぽど非日常空間だぞ」


 結城先輩は論理的に否定してくるので隙が無い。


「だいたいな、俺は男だから問題ないけど、学生だけの泊りがけ旅行を有村と北条の親御さんが認めてくれるかもわからないだろう?」


「ちょっと待った。なんであたしが入ってないのよ? あたしも女なんだけど」


「……なんで言い出しっぺが駄目だと思うんだよ」


 結城先輩は脱力したようにうなだれた。

 たしかにわたしの両親が許可してくれるかは微妙なところだ。特別厳しい親ではないけれど、学生だけの旅行でしかも男女がいっしょだ。


「あとケチくさいかもしれないが、たとえ一泊でもコテージなんて借りたらいくらすると思っているんだ? 交通費や食費も含めたら一人で二万はいくだろう。それだけの金があるなら本を何冊買えるんだっていう話だぞ」


 お金の換算が本というのはいかにも結城先輩らしいが、その気持ちはわたしにもわかる。

 たたみかけられて早苗先輩は不機嫌そうだ。


「あんた、さっきから文句ばっかりじゃない。だったら対案を出しなさいよ」


「対案っていうのは前提としてそれに賛成している奴が出すものじゃないのか。俺はそもそも合宿に反対なんだぞ」


 そう言いつつも結城先輩は腕を組んでしばらく考えたのちに口を開いた。


「日帰り旅行でいいんじゃないか? 旅先では観光なり遊ぶなりして楽しめばいい。その体験を元に創作をしてここで読み合いをするんだ。泊まりじゃなければ親の許可も出やすいだろうし、旅先で部屋に篭るよりかは有意義だろう?」


 さすがと言うか、妥当かつ建設的な意見だ。


「えー。それじゃあ夜の怪談ができないじゃない」


 早苗先輩はどうしても怪談がしたいらしい。泊まりにこだわるのもそのせいだろう。そんなに怖い話が好きなのだろうか?


「対案は出したぞ。それでも泊まりがいいならあとは自分で探せよ」


「あたしひとりにやらせる気!?」


「おまえが言い出したんだろうが。もっとも今からじゃ予約が取れるか怪しいけどな。それとみんなのスケジュールのすり合わせもしろよ、夏休みだからそれぞれ予定があるはずだからな」


 それだけ言うと結城先輩はさっさと本に戻ってしまった。

 早苗先輩は口の中でぶつぶつと文句を言いながらも、しばらくはスマホでいろいろと調べていた。けれどその表情は芳しくない。

 最終的には「やっぱり今からだと厳しいね」そう言って文字通り手を上げたのだった。





 そんなだったから、合宿の話は流れたものとばかり思っていたのだ。


「ひょっとして亜子のところに別荘があるのがわかったとか?」


 早苗先輩が目を輝かせる。

 それは渡りに船だけれども、そんな上手い話があるだろうか。


「いえっ、ちがいます!」


 亜子ちゃんが慌てて否定する。となると何だろう?

 首を傾げるわたしたちに、亜子ちゃんは予想外の提案をしてきた。


「あの、みなさんがよろしければわたしの家に来ませんか?」


 わたしと早苗先輩だけでなく、結城先輩までもが瞬きをして亜子ちゃんを見つめた。


「それは亜子の家で合宿をするっていうこと?」

「はい。もちろんみなさんがよろしければですけれど……」


 亜子ちゃんは小さな体をますます縮めて顔も真っ赤だ。


「合宿をするのにちょうどいい離れみたいなのがあるとか?」

「いえ。普通にわたしの家で……です」


 亜子ちゃん以外の三人で顔を見合わせてしまった。


「あのっ、わたしの父は普通に会社勤めなのですけれど、祖父の代までは石材店を営んでいたんです。田舎で古い家ですけれど広さは十分にありますので、みなさんが寝泊りするスペースには困りません」


 霧乃宮の近くには石の名産地があって採石場も数多くある。最盛期は過ぎたけれど、今では採石場跡が貯蔵施設として使われていたり、映画やミュージックビデオの撮影にも活用されている。

 亜子ちゃんの家でもその石を扱っていたのかもしれない。


「うーん、あたしがいくら図々しくてもさすがに人様の家で合宿はできないなあ」


 早苗先輩の意見はごく自然なものだろう。


「そう……ですよね」


 しかしそれを聞いて亜子ちゃんはしゅんとして俯いてしまった。

 早苗先輩が慌てて声をかける。


「勘違いしないでね。べつに亜子の家が嫌だっていうんじゃなくて、ご家族に迷惑をかけてまでやるようなものじゃないってことだから」


 それまで黙って会話を聞いていた結城先輩が口を開いた。


「そもそも北条は、合宿の話をどんなふうにご家族に伝えたんだ?」


 亜子ちゃんが顔を上げて結城先輩を見た。


「わたしの母は話し好きで普段から学校での様子を聞いてくるんです。それで文芸部のことはよく話していて、昨日も合宿の話をしたら「それだったらうちに来てもらいなさいよ」って。いつもお世話になっているお礼も言いたいそうなので是非とも、ということでした」


 それを聞いて早苗先輩が照れている。


「恐縮しちゃうなあ、べつにお世話なんてしていないのにね」

「たしかにおまえはどちらかと言えば迷惑をかけているよな」


 冷ややかなツッコみに早苗先輩が噛みつこうとしたが、結城先輩はそれを無視して話を続ける。


「お袋さん以外の人はなんて言っている?」


「父は母とは反対に無口な人ですが、それでも同じように言っていました。あと祖母がいるのですが、やはり来てもらいなさいと。みなさんに会えるのが楽しみだそうです」


 結城先輩はそれを聞くと天井を見上げて考え始めた。

 わたしも北条家では文芸部を過大評価しているような気がする。もちろん亜子ちゃんの主観で伝わっているのでそうなるのかもしれない。

 少なくともわたしに限っていえばお礼を言われるようなことは何もしていない。

 結城先輩は視線を亜子ちゃんに戻した。


「ご家族はともかく北条自身はどうだ? 仲の良い友達が――たとえば有村がひとりで遊びに行くのとはわけが違う。少しでも迷惑ならそう言ってほしい」


「いえ、まったく迷惑だなんて思っていません。昨日、早苗先輩から合宿の話を聞いた時は楽しみでしたし、それが無理かもしれないとなった時にはがっかりしました。だから合宿ができるということが嬉しいですし、場所が自分の家だということにも抵抗はありません。

 それからわたしの家族はみなさんをお招きすることを本当に楽しみにしていますから、そのことについては遠慮しないでください」


 亜子ちゃんが屈託なく微笑むのを見て、結城先輩も納得したようだ。


「わかった、返事は一日待ってもらえないか。各自、親の許可をもらわないといけないからな。北条の家に泊まるということになると、学生だけの泊まりとは別の意味で難色を示すと思う」


 これは実際にそうだった。

 わたしがその晩に親に相談すると「御迷惑じゃないのか?」と繰り返し聞かれたが、亜子ちゃんの言葉を伝えてようやく認めてもらえた。

 こうして思いもよらない話の流れによって、文芸部の夏合宿は亜子ちゃんの家で行われることに決まったのである。


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