第17話【5月23日その2】二人きりの放課後


 ひととおりの話が済んだので帰ることになった。

 廊下側のドアに鍵をかけてから図書室へ行く。球技大会があったからか、いつもよりは勉強をしている生徒の姿は少ない。

 わたしと結城先輩は当番の図書委員さんに挨拶をして本を返却した。その時に先輩がわたしの本に目をやるのがわかった。

 ドアを支えてくれている結城先輩にお礼を言いながら図書室を出る。紳士なのだ。

 廊下を並んで歩き始めると結城先輩が口を開いた。


「あの本、読んだんだね」

「はい。やっぱり本屋大賞の受賞作は読み続けようと思って」

「良いことだと思うよ」


 わたしがさっき返却した本は、瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』である。今年の本屋大賞作品だ。

 読みたいとは思っていたのだが買うには単行本は高いし、文庫落ちまでには何年もかかる。それが連休明けに図書室に入ったのを見つけて迷わず借りることにした。市立図書館だとかなり長い順番待ちだからこれはラッキーだった。


 本屋大賞に関しては最初に文芸部を訪ねた日に先輩たちと話をした。

 結城先輩からは指針にするのはよいけれど、妄信はしないほうがいいとアドバイスを受けた。

 自分でもいろいろと考えた結果、大賞作品は読み続けようと決めた。その代わりノミネート作品には手を出さずに、そのぶんを未読作家へと広げようと思う。


「先輩は読みましたか?」

「読んだよ」


 これは愚問だった。ノミネート作品の七割は読んでいる人である。それも賞とは関係なくにだ。

 そこで気づいた。これはチャンスだ。

 結城先輩は未読の人の前では本の評価をしない。だから文芸部ではまったくと言っていいほど先輩の批評を聞くことはできない。全員が読んでいる本というのがほとんどないからだ。……もっともその原因はわたしにあるのだが。


 しかし今は二人きりで、お互いに読んでいる。

 早苗先輩の言葉を思い出した。「日和見なことを言ってると相手にされないけれど、こっちが真剣ならそれが見当外れの意見でもあいつは馬鹿にしたりはしない」

 わたしが自分の意見をきちんと伝えれば、結城先輩もこたえてくれるはずだ。


「わたしも読んだ感想を言いますから、先輩の評価も教えてくれますか?」


 軽く微笑みながら頷く結城先輩を見て胸が躍った。

 よし、まずはわたしからだ。階段を下りながら口を開く。


「えっと、良い話ですよね、登場人物がみんな優しくて。あ、クラスメイトとの関係ではちょっとつらい時もあるけれど。それでも物語を通してずっと温かいです。わたし泣きそうになりましたから、ギリギリで耐えたのですけれど」


「耐えられたんだ」


 結城先輩がわたしを見て笑った。

 あれ、泣いたって言ったほうがよかったのかな? でも嘘は言えない。

 もっとも先輩の笑い方は馬鹿にしたようなものではなく、優しい笑い方だった。


「それで、えーっと。……良い話です。わたしは好きです!」


 もっと上手く言えるかと思っていたのだけれど、いきなりのことで何も準備をしていなかったので酷いことになった。最後の締め方なんて強引すぎる。


「すみません。ちゃんとまとめてきますから今度あたらめてお願いします」

「なんで? ちゃんと伝わったよ」


 本当だろうか。実のあることは何も言えていない気がする。軽くあしらわれるものと思っていた。

 わたしたちは階段を下りたところで立ち止まった。一年生と二年生の昇降口は別々のところにあるので、会話を続けるにはそうするしかないのだ。

 放課後のこの時間だと校舎を移動する生徒はほとんど見かけない。わたしと結城先輩は長い廊下に二人きりだった。

 なんだか恋人同士が逢引きをしているみたい。


「じゃあ俺の感想だけど、そうだな」


 いけない。馬鹿なことを考えていないで集中して聞かないと。


「まず設定勝ちだなと思った」

「設定勝ち、ですか?」


 先輩の造語だろうけれど、なんとなく意味はわかる。


「そう。小説に限らずドラマや映画でもいいんだけど、従来の物語だとこの話の主人公が置かれた状況って絶対に不幸話になると思うんだよな」

「ああ、それはそうですね」


 『そして、バトンは渡された』の主人公優子は、十七年間で四回名字が変わり、家族の形態は七回も変わっている。血の繋がらない親の間を転々としているのだ。


「おそらく従来型の展開だと継母にいじめられ、義父には虐待されてというパターンだと思う。ところがこの小説はその真逆をいく。義理の父母はみんな優しくて惜しみない愛情を注いでくれる。血の繋がった親以上にだ。

 なにせ冒頭の主人公の独白が「全然不幸でなくて困っている。この状況に申し訳なく思う」とかだったはず。

 この設定を思いついた段階で、おもしろくなることは約束されたと言ってもいい。そういう意味で設定勝ちだな」


「なるほど」


 たしかにフィクションではありがちなシチュエーションではあるけれど、その中身が従来のパターンと正反対というのは盲点かもしれない。


「しかも不幸話を良い話にしているというのが上手い。これが逆で従来は良い話だったものを不幸話にしたんじゃ、そこまで支持は得られないと思う」


 これにも納得だ。

 結城先輩は物語の構造部分にまで着眼しているのだ。やはり凄いと思う。


「ただなあ」


 ところがそこで一転、歯切れが悪くなった。


「俺も良い話だとは思う。だけれども、どの親にもツッコみを入れたくなるんだよな。特に梨花と森宮。いくらなんでも現実味リアリティがなさすぎる。まあフィクションにそこまで目くじら立てるなよっていう話だし、この小説を好きな人間はあの二人にこそ魅力を感じていると思うけど」


 結城先輩の言いたいことはわかる。

 梨花さんは二番目の母親でバイタリティあふれ行動力があるが、かなり強引で周囲を引っ掻き回す人だ。

 森宮さんは三番目の父親だが頭が良いくせに天然だ。良い人だけれど人の気持ちに少し鈍感なところがある。

 わたしも登場人物の誰が好きかと問われたら梨花さんをあげるだろう。自分にはない部分に惹かれるのかもしれない。


「鈴木が本屋大賞は無難な作品が多いって言ったことあったろ?」

「はい」


 わたしが初めて文芸部を訪ねた日だ。


「俺も否定しなかったけど、この本なんかもまさにそうだと思うんだよな。これを読んで「つまらない」「くだらない」と言う人間はまずいないだろう。

 でも逆に大絶賛する人間もそこまで多くない気がする。ほとんどは「良い話だった」どまりなんじゃないかな。

 有村さんが「泣きそうだったけれどギリギリで耐えた」というのに俺が笑ったのは、ああやっぱりちょうどそのくらいの話なのかなと妙に納得したからなんだ」


 そんなふうに思われていたのかと知るとちょっと恥ずかしい。


「これは個人的な読書観だけれども、たとえ後味が悪くても読後に放心してしばらくは何も手につかない、数日は新しい本を読むことができない、俺はそんな本が読みたい。

 読み終わった直後に「良い話だったな。じゃあ次は何を読むか」とすぐに切り替えられるような本よりもね」




 わたしは上履きから靴に履き替えると昇降口を出た。

 校門へと向かいながら最後に結城先輩が語った言葉を思い返す。きっとあれが先輩の本音だろう。以前言った「ただの暇つぶし」などではない、心に深く刺さる物語を本当は求めているのだ。

 結城先輩がそんな本にたくさん巡り合えるといいなと思う。

 そしてわたしも。


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