第15話【5月17日】テスト勉強の合間にライトノベルに文句を叫ぶ


「なんで最近のラノベってつまらないくせに、あんなに売り場が広いのよ!」


 静寂を破っていきなり早苗先輩が叫んだ。

 いつもと同じ放課後の図書準備室である。いつもと違うのは、わたしたちはお喋りをせずに教科書や参考書を広げていたことだ。


 来週には中間テストがある。文芸部は活動日が決まっていないために休みの日も決まっていない。そのためテスト前でもなんとなく出席してしまう。それでもみんな焦りはあるのか、ちょっと勉強しようかという流れになった。

 ちなみに広げている教科書がすべて数学だというのは文芸部らしい。みんな文系で数学が苦手なのだ。

 もっともそれは女性陣だけで結城先輩はいつもと変わらず本を読んでいた。今日の本は『ボタン穴から見た戦争』外国の著者なのだろうカタカナの長い名前が書いてあった。


 そんなふうに放課後の図書準備室としては珍しく静かな時間が流れていた。

 ちょっと休憩したいな。わたしがそんなことを思ったタイミングで早苗先輩が叫んだのだ。

 わたしと亜子ちゃんはびっくりして早苗先輩を見る。当人は教科書を長机に放り投げて大きく伸びをしていた。


「なんだ、いきなり」


 結城先輩があからさまに迷惑そうな顔で声をかけた。早苗先輩はそんな結城先輩に噛みついた。


「あんたね、テスト前だっていうのにアレクシエーヴィチなんて読んでるんじゃないわよ。それでなくても気が滅入ってるのに、難しい顔してるあんたを見てると余計にイライラする」


 ひどい言いがかりだ。もっとも結城先輩は呆れた様子だったが怒ってはいない。二人の先輩はよく言い争いをするけれど、根っこの部分では通じていると思う。


「笑いながらこの本を読んでたらサイコパスだろうが。というか、おまえ読んだことあるのか?」

「『戦争は女の顔をしていない』はなんとか読んだ。そっちはさらに重そうだから敬遠してる」

「その見立ては正しいな。『戦争は女の顔をしていない』には部分的には微笑ましく感じられるエピソードもあるんだけどな」


 どうやらその人が書く本はかなり重い内容らしい。あとで調べてみようと思う。


「で、なんでいきなりラノベに喧嘩売ってるんだ?」


 結城先輩は話が長くなると思ったのか、本を閉じて足を組みなおした。


「そうだ、聞いてよ! ハヤカワと創元の棚がおもいっきり縮小されたのよ。その代わりに勢力を広げたのがラノベ棚ってどういうこと!?」


 早苗先輩の説明によると行きつけの本屋が売り場の改装をしたらしい。

 その本屋はわたしも知っている。霧乃宮の近県では有名なチェーン店だ。そこが改装をした時に、早苗先輩の愛する出版社の棚が大幅に減らされ、その代わりにライトノベルの棚が増えたということらしい。


「出版不況で本が売れない中でもラノベは売れているからな。経営側からすれば当然の判断だろう。逆に海外のミステリやSF、ファンタジーは完全に一部のマニアしか読まないものになっているぞ」


 結城先輩の言葉は身も蓋もない。早苗先輩はいまにも地団駄を踏みそうだったがぐっとこらえた。


「たしかに書店も商売なんだから売れるものを置くのは仕方ない。じゃあ聞くけどなんでラノベが売れてるのよ!? 特にwebラノベを書籍化したやつ。あれってそんなにおもしろい!?」


 興奮する早苗先輩とは反対に、結城先輩は冷静だ。


「それは違うだろ。おもしろいから売れているんじゃなくて、売れるのを出版しているだけだ」

「……それってどう違うの? 売れてるんだからおもしろいと思ってる人間がいるってことでしょ?」


 わたしもそう思う。結城先輩の言っていることはまるで謎かけだ。


「web小説だとフォロワーやポイントが数字となって表れるだろ。それが高いのを書籍化すれば一定数のファンが確実に買うんだよ。ネットだと作者との距離が近いから応援したくなるし、なんなら自分が育てたと思ってるんじゃないか。

 出版社からすればローリスクで安定したリターンが見込める。そうやって出した本の中からアニメ化にでもなれば一般層にまで広まってハイリターンだ。新興出版社だけでなく老舗まで群がるのも道理だな、ボロい商売だ。

 そんなだからぶっちゃけ編集部はいちいち中身を気にしない。おもしろかろうがつまらなかろうがどっちでもよくて売れるから出版してる。それだけだと思うぞ」


 結城先輩の声は落ち着いているが内容はかなり辛辣だ。早苗先輩も毒気を抜かれたようだった。


「たしかにあらかじめ売れる数がわかっていれば絶対損しないもんねえ」


「一時期大量に出版されたブログ本とか、最近だとツイッター漫画なんかも同じだな。固定ファンの数が把握できるから版元としては安心して売りに出せる」


 たしかに売る側からすれば安定した商売なのだろうけれど、それだと流行っているものを売るだけで目先の利益しか見ていない気がする。もっと理念を持って欲しいと思うわたしは甘いのだろうか。


「webラノベが売れてる理由はわかったけどさ、それ以外のラノベも似たような内容でつまらなくなってない? 昔はもっとおもしろいのがあったと思うんだけど」


「それはどうしたって流行りに寄るからだろう。作者はそうしたくなくても編集部が口を挟む。漫画でもあるらしいが「今の流行りはコレですからこういうのを書いてくださいよ」って露骨に言う編集者もいるらしいぞ。そこまでくると害悪でしかないな。自分が新たなブームを作ってやるぐらいの気概を持てと言いたい」


 早苗先輩の陰に隠れていたが、実は結城先輩もけっこうな毒舌家だということがわかった。わたしと亜子ちゃんは少し戸惑い気味だが早苗先輩は嬉しそうだった。


「じゃあさ、結城がおもしろいと思うラノベってなに? あんたの他人に本は薦めないっていう主義はとりあえず置いておいて」

「唐突だな」

「勉強して疲れたの。息抜きの話題ぐらい提供してくれたっていいじゃない。瑞希と亜子だって興味あるよね?」


 また随分と勝手な言い草だが興味があるのはたしかだ。わたしも亜子ちゃんも頷いた。でも結城先輩が教えてくれるだろうか?


「そうだな。やっぱり小野不由美の『十二国記』は別格だと思う」


 意外なことに答えはあっさりと返ってきた。それなのに早苗先輩は不満そうだ。


「えー。あれをラノベに入れるの?」

「初出はX文庫ホワイトハートだぞ。どう考えたってラノベだろう」

「それにしたってそんな超メジャー作品いわれてもさあ。あれを読んでいない人間なんている?」


 先輩たちの視線がこちらを向いた。


「わたしも好きです」


 そう答えたのは亜子ちゃんだ。

 う、裏切り者め。海外古典を愛する亜子ちゃんまでもが、まさかライトノベルを読んでいるとは。


「……すみません。読んだことないです」


 気まずい沈黙が流れた。

 どうやら結城先輩がポリシーを破ってまですんなりと答えてくれたのは、全員が読んでいるだろうと推測したかららしい。


「……えーっと、読んでも絶対損はないかな。貸してあげる、来週持ってくるね」


 早苗先輩が必死にフォローしてくれるのがいたたまれなかった。わたしは無理やり笑顔を作って聞いてみる。


「ありがとうございます。それでどんな話なのでしょう?」


 ごく普通の質問をしたつもりだが、三人は固まって顔を見合わせている。


「うーんとね。シリーズ物なんだけど全体の説明をしようとすると最初の巻のネタバレになるんだよね。だからとりあえず最初のを読んで。事前知識がまったくないなら逆にラッキーだよ、楽しめるから」


 そこまで言われたらいっさい情報を入れないまま読んでみようと思う。結城先輩を含めて文芸部のみんながおもしろいという作品がどんなものか楽しみだ。


「ちなみにどの巻が好き? あたしさあ『風の万里 黎明の空』の最後がめちゃくちゃ好きなんだよねえ。あそこだけ繰り返し読んでる」

「わたしは『風の海 迷宮の岸』が好きです」

「わかる。泰麒かわいいもんねえ」


 漢字が特徴的なタイトルだなと思いながら、早苗先輩と亜子ちゃんが楽しそうに話しているのを聞いていた。そこに加われないのはやっぱり悔しい。


「結城は?」

「俺は『図南の翼』だな。通しでも七、八回は読んだと思う。オールタイムのベストファイブに入るかもしれない」


 これには驚いた。オールタイムということは過去に読んだすべての本の中でということだ。ライトノベルが結城先輩からそこまでの評価を受けるとは意外だった。

 早苗先輩もわたしと同じように思ったらしい。


「へぇー。凄い高評価じゃない。どこらへんが好きなの?」

「架空の世界の旅行記という意味でもおもしろいんだが、境遇、立場、考え方がまったく違う登場人物たちのやりとりが出色だな」


 結城先輩にそこまで言わせる本をすぐにでも読みたかった。だが来週はテストだ。しばらく我慢しなくては。

 そこで休憩も終わりとなって再び教科書を開こうとした時、亜子ちゃんが遠慮がちに声をかけた。


「あの、結城先輩。読書のお邪魔かもしれませんが、よろしかったら少し教えてもらえませんか?」

「いいよ。どこがわからないの?」


 結城先輩は気軽に応じると席を立つ。

 亜子ちゃんから話を聞くと実際に問題を解かせて詰まったところを確認すると、レポート用紙に自分で問題を書いてさらにそれを解かせた。横から覗くと中学の時に習った数式もある。

 それを繰り返すと亜子ちゃんの理解できていない部分を把握したらしく、ひとつずつ丁寧に教えていった。


「これでたぶん大丈夫だから問題集を解いてみて。少しでも詰まるところがあったら遠慮せずに言ってきていいから」

「ありがとうございます」


 亜子ちゃんが深々とお辞儀するのに頷いて結城先輩は席に戻ろうとする。それを逃すまいとわたしも声をかけた。


「先輩っ! わたしもお願いします!」


 結城先輩はわたしが問題を解くのを見ると、後ろから手を伸ばしシャープペンを握ると説明をしていく。すぐ横に先輩の顔があるので緊張するが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 結城先輩の教え方は論理的で非常にわかりやすい。わたしは自分が何を理解できていなかったかがはっきりとわかった。

 わたしたちを教え終わった結城先輩が席に戻ると、ずっとそわそわしながらその様子を見ていた早苗先輩が口を開いた。


「えっと、結城クン。もしキミがどーしてもっていうのなら、あたしも教われてあげてもいいんだけどナー」


 結城先輩は冷酷にそれを無視して本を開いた。

 早苗先輩が凄い勢いで机に両手と額をくっつける。


「すみませんでした! 神様、仏様、結城様、どうかお願いします。この馬鹿で無能で無駄飯食らいの早苗にも是非とも御教示下さいませ」

「普通に頼めないのか?」


 結城先輩は呆れたように言って立ち上がった。

 これは早苗先輩の気持ちがわかる。やっぱり同い年で、それも仲の良い人にあらためて頼み事をするというのは照れ臭いのだ。


 結城先輩の隣で幸せそうに説明を聞いている早苗先輩を見ていると、テスト前ぐらいは勉強会でもいいかなとわたしは思った。


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