5月

第10話【5月1日】令和初日と初めての創作


 朝からテレビの各チャンネルは令和関連の話題でもちきりだった。

 わたしも両親といっしょにリビングで即位の礼を観ていた。

 平成が終わるというのはちょっぴり寂しい。自分が生まれ育った時代だ、やはり愛着がある。

 よく「昭和のセンス」などと言われるが、総じて古臭い、ダサいというネガティブな意味で使われている。これからは平成がそういう風に言われるようになるのかもしれない。

 テレビを観ながらそんなことを考えていると、


「生前退位というのは良いことかもな」


 父が誰に聞かせるというでもなく呟いた。


「どうして?」


 わたしは少し迷ってからそう聞いてみた。

 普段は父親とそんなに会話をするほうではない。もっともこれはわたしぐらいの年頃なら当然かなと思う。かといって仲が悪いというわけではない。お互いに接し方を掴みかねているといった感じだろうか。

 父もわたしから質問が返ってくるとは思っていなかったのか、ちょっと意外そうに、それでもどことなく嬉しそうな表情で答えた。


「世の中全体が素直に改元を祝福できるからな」


 これには違和感を覚えた。改元ということは新天皇の即位ということである。特別な政治信条でもない限り祝福するのは当然の反応ではないだろうか。


「平成の時は違ったの?」


 わたしは平成という時代のちょうど真ん中で生まれた。当たり前だが改元を経験するのは初めてのことである。


「平成の時は改元よりも、天皇陛下が崩御されたということのほうが圧倒的に重大事だったんだ」


 そう言われてもピンとこない。たしかに今は一世一元制だ。生前退位でない限り元号が変わるということは天皇陛下が亡くなったことを意味するけれど、それは表裏一体でどちらが重大ということではないような気がする。

 わたしが腑に落ちない表情をしていたからだろう、父が説明を加えた。


「昭和は長かったし戦争もあった。日本が大きく発展した時代でもあったし、昭和天皇はまさにその象徴だったからな。とにかく世の中が自粛ムード一色だった。新元号を祝うなんていうのはまったくなかったな。テレビCMなんかでも不謹慎だからと音声がカットされて流されていたのがあったぐらいだぞ」


 驚いた。そこまで自粛するというのはやりすぎではなかろうか。そして父には平成への改元時の記憶が鮮明にあるらしい。


「お父さんはその時いくつだったの?」


 父は計算をするように少し考えていたが、わたしを見て照れたように笑った。


「偶然だけど今のおまえと同い歳だったみたいだ」


 わたしは思わず父を見つめてしまった。

 当たり前のことだが父にも高校生時代があったのだ。どんなことを考え、何をしていたのだろう。悩んだり迷ったりすることはあったのだろうか。

 時代は別だが二人の十五歳が改元を経験して、それぞれの感慨を抱いている。そしてそれは親子なのだ。不思議な気持ちだった。




 

 夕食後に自室に戻ると勉強机の前に座った。

 机の上には教科書や参考書、ノートが重なるように置かれている。学校からは山ほどの宿題を出されているし、中間考査へ向けて復習もしなくてはいけない。

 大型連休ゴールデンウイークも中盤に入ったが勉強漬けの日々だった。正直受験生だった頃と変わっていない。霧乃宮高校の授業はやはりというかレベルが高く、ある程度理解していることが前提で進められる。予習は必須で少しでも気を抜くと置いて行かれる危険があった。


 しかし今のわたしにはそれらの勉強よりも気がかりなものがある。休みに入ってからずっと、わたしの頭の中を占めていたのは文芸部で出された課題だった。

 机の片隅には連休初日に父から借りたノートパソコンが教科書に埋もれるようにして置いてある。文芸部の課題で使うというと父は喜んで貸してくれたが、まだその電源を入れたことはなかった。


 入学してしばらくしてから文芸部に入部したと告げた時のことを思い出す。両親ともどことなく安堵した様子だった。

 運動の苦手な娘が経験したことのない競技に手を出したりするのは不安だったのだろう。文科系の中でも文芸部というのは一般的にも馴染みがある。楽器や用具も必要としないので、それらを揃えるための出費もない。

 そのためか入学祝いとは別に五千円分の図書カードをくれた。ありがたく頂戴して大切に使わせてもらっている。


 文芸部に入部してから、以前よりも積極的に本を読むようになったし、本選びの幅も広がった。それは間違いない。

 しかし読むことと書くことというのがまったくの別物だということを、この数日で思い知らされた。

 休みに入った直後から課題の小説を書こうと手をつけてはいたのだ。最初にしたことはテーマである『転換点ターニングポイント』を広辞苑で引くことだった。


 ところが『ターニングポイント』で引くと「(重大な)転換点」と書いてある。

 そこで『転換点てんかんてん』で引いてみるとこちらは載っていない。

 さて困った。広辞苑以外の辞書でも似たようなものだった。

 ちなみに『転換てんかん』では「物事の性質・傾向・方針などが、それまでとかわること。また、かえること」と載っている。

 これは辞書を引くまでもないことだったのでがっかりした。まあ辞書から小説の発想が得られるのなら苦労はしない。


 その後は生意気にもプロットから作ろうとノートを拡げたのだが、これが一行も埋まらない。そもそもどんな話を書こうとしているのかすら決まっていないのだから当たり前だった。

 早苗先輩は好きな作家や作品の模倣でもよいと言ってくれたが、それすらもどうすればよいかわからなかった。

 結局、文芸部の課題から逃れる言い訳のために勉強をしていた感じだった。だがそろそろ手を付けないと本気でまずい。

 令和初日というのは初めての創作をする日としては最適だと思う。今日中に出だしだけでも書いておきたい。


 そういえば結城先輩は転換点というお題を出す時に、改元からヒントを得ていた。そう考えると改元について書けばいいのではないだろうか?

 少なくとも一から話を作るよりは取っ掛かりがある。そこで思い出したのが昼に父とした会話だった。

 偶然だが平成と令和、それぞれの改元の年に父とわたしは同い年だった。これはおもしろいと思ったし、運命的なものを感じる。

 ここから話を広げていけないだろうか。


 わたしはプロットノートを開くと「平成」「令和」と書き込む。

 親子がそれぞれの改元を経験しただけの物語では、さすがに当たり前すぎるだろう。冷静になって考えるとわたしたちと同じように三十一歳差の親子は世の中にいっぱいいるはずだ。

 ここは赤の他人にしたほうがドラマチックだ。同性でもいいけれどやっぱり王道は男女だろう。先程書いた元号の下に「男子高生」「女子高生」と書き込む。

 この二人が時代を越えて邂逅する。ということはSFの時間跳躍タイムリープものだ。さらにそう書き足した。


 わたしは自分の発想にワクワクしてきた。これならいけそうな気がする。

 さらに思い浮かんだことを次々とプロットノートに書いていった。手が止まったところで急いで原稿用紙を取り出す。

 頭の中にあることが消えないうちに、大まかでいいから文章にしたほうがよいと思ったのだ。

 わたしはキーボードを打ち慣れていないので、パソコンを使うのは清書の段階からにしようと考えていた。

 そのまま勢いにまかせてシャープペンを走らせていく。



 気がついた時には四百字詰めの原稿用紙が九枚ほど埋まっていた。時数的にはすでに規定を満たしている。

 ただエンディングが上手く書けないでいた。

 結城先輩は言っていた。物語で大切なのは完結させることだと。

 この小説はどう終わらせればいいのだろう?

 再び結城先輩の言葉を思い出す。たしか先輩は「書いたことには必ず意味を持たせて回収する。そうすれば自然と物語は収束する」そう言っていた。

 わたしは自分の書いた文章を読み返したが、何が伏線でどう回収すればいいのか見当もつかない。


 ため息を吐きつつ時計を見て驚いた。時刻は零時を回っている。

 わたしは四時間以上、休憩もしないで小説を書いていたことになる。我ながら凄い集中力だった。

 おもしろい本を夢中で読んでいる時は、時間はあっという間に過ぎていく。

 そして創作している時もそれと同じように時間は過ぎていくのだ。


 とりあえず今日はこれぐらいにしておこう。冷却期間をおいて推敲したほうがよいと早苗先輩が言っていた。

 わたしは充足感と、少しだけ誇らしい気持ちで椅子から立ち上がった。

 

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