第9話【4月26日】課題のテーマは


 今日が平成最後の登校日だった。

 文芸部の出欠が自由なのは最初に言われたことだ。ただ今日に限っては参加できるかどうかを昨日のうちに聞かれていた。

 こんなことは初めてである。明日からの大型連休ゴールデンウィークのことを考えると、何かしら連絡事項があるのだろう。

 なんだろうと疑問を抱きつつ、わたしは図書準備室のドアを開けた。

 いつものように早苗先輩が一番乗りで待っていたので挨拶をする。

 ほどなく亜子ちゃんと結城先輩も来て部員一同が揃ったところで、早苗先輩が立ち上がった。


「明日からは十連休っていう冗談みたいに長い休みだけど、二人は長期旅行の予定とかある?」


 わたしも亜子ちゃんも首を振った。

 受験のあった去年は夏休みにも出かけなかったので、両親は日帰りでもいいからどこかに行こうと話をしていた。ただ長期旅行の予定はないし、今から計画を立てても宿や移動のチケットが取れないだろう。

 それに学校からはどっさりと宿題を出されていたし、中間考査に向けての勉強もしなくてはいけない。

 早苗先輩はそんなわたしたちを見て怪しげな笑みを浮かべた。


「よしよし、二人とも暇ではないけれど時間はあるっていう感じかな? それじゃあ文芸部から課題をプレゼントしようではないか」


 課題のプレゼントとは不穏である。


「部活動見学の時にちょっとだけ言ったけど、文化祭の文集へ向けて創作の練習をしようと思うの。この休みを利用して作品を書いてきてくれる?」


 一気に背筋が伸びた。いつかはやるだろうと覚悟していたのだが、まさかここでくるとは思わなかった。


「それで確認なんだけど、二人とも創作は小説でいいのかな?」


 これについては少し考えていた。

 文集に寄稿するのは小説以外にも詩や俳句、それに評論でもよいと聞かされていた。わたしはそのいずれも書いたことがない。

 俳句や短歌は字数は少ないが、だからといって簡単だということはないだろう。それに一句、一首だけ作ればよいということでもないと思う。

 なにより文芸部に入って先輩たちや亜子ちゃんと話したことで、わたしは自分でも小説を書いてみたいと思うようになっていた。


「はい」


 わたしと亜子ちゃんは合わせたわけでもないのに綺麗に揃った返事をした。顔を見合わせ照れたように笑い合う。

 早苗先輩もそれを見て満足そうに微笑んだ。


「よかった。あたしも結城も詩や短歌はまったくの門外漢なんだよね。小説なら少しはアドバイスできると思う」


 それは心強い。なにせわたしは創作のイロハのイも知らない。


「初めてだからまずは三千から四千字以内の短編で様子をみようと思うの。基本的な文章作法は知ってる?」

「段落下げとかでしょうか?」

「そうだね。他にも三点リーダーとかダッシュの重ねとかいろいろあるけど」


 そこで文章作法の一通りのレクチャーを受けた。わたしには知らないこともあったので勉強になる。

 もっとも結城先輩は「あまり神経質にならなくていいよ」と言ってくれた。ありがたい言葉だが最低限のことは守ろうと思う。


「ちなみに二人ともパソコンは持ってる?」


 早苗先輩の質問にわたしも亜子ちゃんも首を振る、同時に「でも」と発した言葉が再び綺麗に揃った。また顔を見合わせ笑いあう。


「あんたたち仲良いよねー」


 そういう早苗先輩も笑っている。結城先輩はポーカーフェイスだ、呆れているのかもしれない。箸が転んでもおかしい年頃ということで許して欲しい。

 わたしも亜子ちゃんも自分のパソコンは持っていないが、父親が所有しているとのことだった。プリントアウトもおそらくできるはずということで、休み明けにそれを持ちより読み合いをすることに決まった。

 しかし、そこで恐ろしい疑問が浮かんだ。


「それって、みんなに読まれて批評されるっていうことですよね?」

「もちろん」


 早苗先輩が大きく頷く。

 わたしは目だけを動かして結城先輩を見た。読み合いということは当然のことだがこの人にも読まれるということを意味する。そしてただ読まれるだけではない、批評されるのだ。

 それは、それは――はっきり言って怖い。針の筵というか、ある意味拷問と言ってもいいのではないか。

 そんなことを考えていたら結城先輩と目が合ってしまった。慌てて視線を逸らしたが遅かった。


「……取って食われそうな顔をしているな」


 まずい、心の中を読まれてしまった。

 早苗先輩がそんなわたしを見ておもしろそうにけしかける。


「瑞希、大丈夫だって。結城に酷評されたら仕返せばいいのよ。あなたの小説のここがつまらないですって」


 そんなことができるわけがない。しかしあることに気づいた。


「先輩たちも参加されるのですよね?」

「うん」


 そうなのだ。二人の先輩が書いた小説を読めるのだ。これはちょっと、いやかなり楽しみである。いったいどんなものを書くのだろう?


「これでフォーマットの説明は大体したかな。ジャンルを含めてどんなものを書いてもいいけど、いちおう学校の文集に載せられるようなものにしてね」


 それは当然だろう。まさか官能小説やスプラッタを載せるわけにはいかない。


「具体的なアドバイスだけど推敲は大切だよ。それも時間をおいて読み返した方がいいね、冷静になって客観的判断ができるようになるから。

 それとパソコンの入力時は横書きだろうけど文集は縦書きだからそこは意識してね。あとは最初なんだし自由に書けばいいかなあ。好きな作家や作品の模倣だって構わないしね。結城からは何かある?」


 女性陣の視線を受けて結城先輩は組んでいた腕をほどいた。


「そうだな。二人は小説に限らず物語ストーリーがあるもので最も大切なことは何だと思う?」


 少し考えた後に亜子ちゃんが答えた。


「……起承転結でしょうか?」


 なるほど、たしかによく聞く言葉だ。


「当たらずも遠からずといったところかな。これは俺の個人的見解だけどだと思う」


 反応しづらい意見だった。亜子ちゃんも同様らしく戸惑ったように瞬いている。そんなわたしたちを見て結城先輩が苦笑した。


「何を当たり前のことをっていう表情だな。でもこれが案外難しい。例えば怪談ホラー滑稽話コメディなんかは最後にオチがあるからわかりやすい。ミステリなんかもそうだな、事件が解決すれば終わりだ。

 じゃあ純文学や日常系ホームドラマなんかはどうだろう。読み終わった後に「ここで終わり?」と思ったことはないか?」


 結城先輩の言っていることはよくわかる。たしかに作品の中には消化不良というか、ここでエンディングを迎えていいのと疑問に思うものがある。


「そういう物語ストーリーが完結しているか、していないかの基準は何だと思う?」


 これにはわたしも亜子ちゃんも答えが出てこない。結城先輩はひとつ頷いてから言葉を継いだ。


「それは作中の伏線をすべて回収しているかだと思う。書き慣れていない人間はこれができていないことが多い」

「でも純文に伏線とかある?」


 早苗先輩がそこで疑問を挟んだ。


「一口に伏線といってもミステリにある謎解きのためのヒントだけじゃない。話の本筋に関係ない描写はすべて伏線だと言っていい。逆に言えば必要のない描写は書くべきじゃない。

 例えば自宅での朝食の場面を書いたとする。その朝食を誰が作ったのか、献立は何か、それだけである程度の家庭環境がわかる。もし自炊したのなら一人暮らしか母親が不在かもしれないと推測するだろう? パンと牛乳ですませずにきちんと米を炊いて味噌汁を作っていたらマメな性格だと思うし、女主人公ヒロインなら家庭的だと印象付けられる。

 ところがその朝食の場面はなんとなく書かれただけで、得られた情報に意味がないとしたら読み手は混乱する。これが伏線を回収していないということなんだ」


「そんなこと言ってたら描写なんて書けなくない?」


 早苗先輩が呆れたように反論した。


「もちろん今のは極端な例えだけどな。ただ風呂敷を拡げて畳むことをいっさいしないというのは初心者にありがちだと思う。短編と銘打っているものが、どう読んでも長編の序章です。なんていうのは投稿サイトなんかでもよく見るぞ。

 書いたことには必ず意味を持たせて回収する。そうすれば自然と物語は収束する。それが俺からのアドバイスだな」


 結城先輩の話は目から鱗というか考えてもいなかったことだ。

 何でも書けばいいというものではなく、必要のないことは書いてはいけないという。なかなかに難しい。

 早苗先輩がひとつ手を打った。


「よし、アドバイスはそんなものかな。それじゃあお題は何にする? 自由だと逆に書きづらいし、読み合いならやっぱり同じテーマがいいよね」

「まずは二人に聞いてみたらいいんじゃないか?」


 先輩たちの視線を受けてもそこまで頭が回らない。「お任せします」と言うしかなかった。

 早苗先輩は腕を組んで唸りだした。


「うーん、何がいいかなあ。絞り過ぎても難しいし、広いとお題の意味がないんだよねえ。結城はアイディアある?」

「世間の話題は改元だからな。枠を広げて『転換点ターニングポイント』なんてどうだ?」

「いいね。解釈の仕方によっていろいろと使えそうだし」


 早苗先輩が背後のホワイトボードに大きくお題を書いた。


 転換点ターニングポイント


 それがわたしが初めて書く小説に与えられたテーマだった。


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