第7話【4月17日その1】文芸部の決まり事


 図書準備室のドアには鍵が掛かっていた。

 どうやら今日はわたしが一番乗りらしい。

 廊下を歩いて隣の図書室へと入る。

 カウンターに座る図書委員さんに挨拶をしながらその横を通って図書準備室へと繋がるドアを開けた。こちらには鍵が掛かっていない。

 薄暗い室内をぶつからないように歩いて電灯のスイッチを入れると、廊下へと繋がるドアの鍵を開けた。

 これがその日、最初に来た文芸部員がやることだった。


 本来は事務室で鍵を借りてきて開けるべきなのだろうが、誰もそんな面倒くさいことはしない。なにせ図書室側のドアは開いているのだ。

 当然ながら帰る時にも図書室から出る。必然的に文芸部の活動時間は図書室の解放時間内となっていて、他の部よりも終了時間が少し早い。

 図書室の閉鎖は図書委員の仕事だから文芸部員は楽をさせてもらっていた。


 これは図書委員からしてみたら利用されているようで、感じが悪いのではないかと先輩に聞いてみたことがある。

 だがそんな心配はしなくてもよいとのことだった。

 図書委員の当番が都合が悪くなった時には文芸部員が代わりを務めてあげているのだそうだ。持ちつ持たれつということらしい。

 もっともその際の仕事も貸し出しや返却された本を書架に戻すぐらいで、新着図書の準備や本の修復など複雑なものには手を出さないという。

 まだ一週間しか経っていないので経験はないが、いつかカウンターに座るのはちょっと楽しみでもある。


 もうひとつ校則でこそないが決まりがあって、文芸部員は図書委員にはなれないのだそうだ。

 なんでも過去に文芸部員が図書委員をしていた時に、購入図書をすべて自分たちの独断で決めていたことがあったそうだ。一般生徒からクレームが出たのは当然だろう。これには会ったことのない文芸部の先輩を擁護することはできない。

 今では文芸部員も正規の手続きで希望購入図書の申請をするのだが、これはかなりの確率で要望が通るのだそうだ。それだけこのシステムを利用する生徒がいないということだろう。

 読みたい本が入るのは嬉しいが、少し複雑な心境でもある。


 わたしが鞄を長机に置いてパイプ椅子に腰を下ろしたタイミングでドアが開き、結城先輩が姿を見せた。そしてわたしだけの室内を見て微笑んでくれる。


「今日は有村さんが開けてくれたんだね。ありがとう」

「いえ、一度やってみたかったので」


 文芸部員が図書準備室にくる順番はだいたい決まっていて、早苗先輩が最も早く、次にわたしと亜子ちゃんが、最後に結城先輩というのが定番だ。

 だから今日はかなりのレアケースといえる。


「結局一週間の部活動見学期間は皆勤賞だったね」


 結城先輩の言うとおりで、わたしと亜子ちゃんは他の部の見学行くことはせず、毎日文芸部に来ていた。


「でも結城先輩たちもずっと来ていましたよね?」

「俺たちは新規の部活見学の一年生が来るかもしれなかったからね」


 たしかにそうだ。これは馬鹿なことを聞いてしまった。


「鈴木のお喋りに付き合わされて大変だったんじゃない?」

「そんなことないです! わたし中学の時は部活に入っていなかったので、先輩との会話がとても楽しいです」


 これは本心だ。二人の先輩の人柄によるものも大きいのだろうけれど、放課後に文芸部に来ることが高校生活での最大の楽しみになっていることは間違いない。


「それならよかった。でも正規入部したからといって毎日顔を出さなくてもいいんだよ」

「はい。でもたぶん毎日来ると思うんですけれど、構いませんか?」

「もちろん」


 結城先輩が屈託なく笑ってくれたので安心した。

 そうなのだ。部活動の入部届け提出は今日が締め切りで、わたしは正式に文芸部員になったのである。

 ちなみに新入部員はわたしと亜子ちゃんの二人だけだった。先輩たちがどう思っているかはわからないが、個人的には大所帯よりもこのほうが嬉しかった。


 結城先輩はパイプ椅子に腰を下ろすと、さっそく鞄から本を取り出す。

 今日のセレクトは単行本で『落花』澤田瞳子。たしか昨日は『空白の五マイル』という文庫本だった。

 部活動見学期間中、わたしたちへの説明と自己紹介をした初日以外は結城先輩はずっと本を読んでいた。そしてそれは毎日違う本だった。つまり最低でも一日一冊は読んでいることになる。

 やはりあの読書量は日々の積み重ねのたまものなのだ。


 わたしはというと週末の休みを利用して『高慢と偏見』をやっと読み終わったところで、今は『赤毛のアン』を読んでいる。これらは学校の図書室にあったので部活動見学の初日にそのまま借りることにした。

 授業の予習や宿題もあるし、なかなか読書時間がとれないのが目下の悩みだ。


 その『高慢と偏見』だが、さすが結城先輩と亜子ちゃんが高評価を与える本である。とてもおもしろかった。

 わたしが特に感銘を受けたのが主人公エリザベスの友人であるシャーロットである。彼女は器量が悪くエリザベスのような知性もない凡庸な人物として書かれていて、いわゆるだ。あの時代では当たり前だが男性に隷属することにも疑問も抱かない。はっきりいって最初は好感を持っていなかった。

 ところがそんな彼女もエリザベスですら舌を巻くほどのしたたかさ――いや、したたかでは悪い意味になる。芯の強さと言い直したい――を持っているのだ。

 彼女の生き方の賛否はともかく、わたしには強い印象を残した。


 さて部活の時間だが、結城先輩が読書に勤しむ間、わたしたち女性陣は何をしていたかというと、ずっとお喋りをしていた。

 言い訳ではないが全部が無駄話というわけではない。

 それぞれのお薦め本を紹介したり、感想を述べあったりもしている。もちろん本に関係のない話も多かったのだが……。


 ただ親睦を深めたことは間違いない。現にわたしたちは名前で呼び合うようになった。早苗先輩に亜子ちゃんである。わたしは瑞希と瑞希ちゃんだ。ちょっと照れるが嬉しい。

 さすがに結城先輩は異性でもあるので名前呼びには参加していない。会話にも基本的には加わらないので、色々と聞きたいことがあったのもお預けにされていた。

 今ならまだ本を読む前だから邪魔にならないだろう。

 わたしは長机の上に身を乗り出すようにして質問する。


「それはどんな本ですか?」

「ジャンルで言えば時代小説だね。物語の軸になるのは宇多天皇の孫で仁和寺の僧寛朝と平将門。この寛朝の目を通して将門の乱を描いている。あと至誠の声や梵唄ぼんばいといった音楽も大事な要素かな」


 将門といったら平安中期だ。時代小説といえば戦国時代か明治維新前後と思っていたので新鮮だった。

 それにしても結城先輩は本当に何でも読むらしい。


「おもしろいですか?」

「まだ途中だよ」


 結城先輩は栞の挟まった位置を見せるようにして苦笑する。

 たしかにこれは尚早だった。質問を変えよう。


「早苗先輩にミステリを色々と薦められたのですけれど、まずは『モルグ街の殺人』から読んだほうがいいって言われて。結城先輩も読みましたか?」


 結城先輩は頷く。探偵小説の祖と呼ばれる作品らしいので、結城先輩が読んでいるのは当然だろう。


「どうでした?」

「それを決めるのは有村さん自身じゃないかな」


 やはり結城先輩は苦笑している。

 わたしはここでちょっと「あれ?」と思った。


「えっと、結城先輩からもお薦めの本をいくつか教えて頂きたいです。ジャンルはなんでも構いません」


 結城先輩は少しだけ真顔になってわたしを見た。


「初日にも話したけれど手にした本を数ページ読んでみて、少しでも感性に触れたならそれが求めている本だと思うよ」

「……はい」


 わたしの頭は混乱して、気分は落ち込んでいた。

 結城先輩に怒っている様子はない。だが受け答えがどうにも噛み合っていない気がする。なんというか対応が冷たいというか、あしらわれている感じがする。

 それとも何か気分を害するようなことを言ってしまったのだろうか。

 そういえば初日の最後に感じた違和感もこれと似ていた。

 そこでいきなりドアが開いたので、わたしはびっくりして椅子から飛び上がってしまった。


「瑞希、今日も来てるね。えらいぞー」


 溌剌とした声といっしょに早苗先輩が入ってきた。その後ろには亜子ちゃんが続く。


「階段のところで偶然いっしょになったんだよね。なんて運命的な二人」


 それを聞いて亜子ちゃんは笑っている。

 わたしも笑顔を作ったが、先程の結城先輩とのやりとりが気になって心から笑うことはできなかった。

 その結城先輩は挨拶だけ返すと、すぐに本へと意識を移していた。



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