第6話【4月10日その5】読むべき本なんてない


「じゃあ最後は有村さんだね」


 鈴木先輩に言われて一気に緊張してきた。それと同時に北条さんのことは名前で呼ぶのに、わたしは苗字呼びなのがちょっと悲しい。

 なんとかこの自己紹介で挽回したいところなのだが……。実は先程から逃げ出したかった。


 結城先輩こそ自分の嗜好を話さなかったが、鈴木先輩と北条さんは自分の好きな本や作家への愛にあふれていた。ジャンルは偏っているのかもしれないがその読書量もわたしとは比べ物にならないだろう。

 わたしは部活動紹介の冊子に書いてあった、最後の一文を思い出していた。


 本を愛する方お待ちしています。


 わたしは文芸部ここにいる資格があるのだろうか?

 勝手にもっとゆるい部だと決めつけていた。

 恥ずかしい話だが、わたしは自分が好きな本が何かすらわからないのだ。


「大丈夫?」


 俯いて黙り込むわたしを心配するように鈴木先輩が声をかけてくれる。


「大丈夫です」


 顔を上げて返事をするがその後が続かない。

 助けてくれたのはやはり結城先輩だった。


「変に肩肘張らなくていいよ。北条さんが海外の古典をあげていたから臆しているのかもしれないけど、俺や鈴木は普通にベストセラーやラノベも読むから。自分が好きな本、普段読んでいる本を言えばいい」

「はい」


 そのとおりだ。変に見栄を張っても意味がない。嘘をついても結城先輩にはすぐに見抜かれるだろう。

 わたしは覚悟を決めた。


「一年四組の有村ありむら瑞希みずきです。はっきり言ってわたしの読書量は多くないと思います。皆さんの話を聞いていて井の中の蛙だったことを思い知りました。

 小学生の頃から読書感想文用に親が買ってくれた本は読んでいました。夏になると各出版社がやる『夏の百冊』みたいなフェアから日本の近代文学を選んで買ってくれてたんです。正直おもしろいとは思いませんでした」


 三人は真剣な表情で聞いてくれている。


「積極的に本を読もうと意識したのは中学に入ってからです。わたしは運動が得意じゃないし趣味もなかったので、せめて本ぐらいは読んでいないと自己紹介の時にアピールするものがなくて困ったからです。不純な動機ですね。

 いざ自分で本を選ぶようになると何を読めばいいのかわからなくて、最初はドラマや映画の原作から手を付けて次に参考にしたのが本屋大賞でした。さっき鈴木先輩が触れましたけれど、わたしが『謎解きはディナーの後で』を読んだのはまさに本屋大賞の作品だからなんです」


 鈴木先輩がばつの悪そうな顔をした。


「ごめん。否定的な意味で言ってたね」

「いえ、実はさっき納得したんです。ネットで検索すると本屋大賞に批判的な意見も結構あって、わたしが特に気になったのは「本屋大賞は普段本を読まない人間のための賞で、本当の読書家はあんな賞は相手にしない」って。だから鈴木先輩の反応を見て、やっぱりそういう賞なのかなあって」

「そんなことないよ。ノミネート作品にはミステリだって結構あるんだから」


 鈴木先輩が手を振って否定した。結城先輩も口を開く。


「タイミング良くというべきか昨日本屋大賞が決まったな。受賞作は瀬尾まいこの『そして、バトンは渡された』か。去年ほどじゃないが票差がかなり離れていたのが興味深かったな」

「個人的には文句なしに『ベルリンは晴れているか』なんだけどなあ。まあ翻訳部門は『カササギ殺人事件』が獲ってくれたからよしとしよう」


 先輩たちの言うとおり、まさに昨日が今年の本屋大賞の発表日だった。


「本屋大賞って今年で第十六回でわたしと同い年なんです。だから思い入れもあって読んでいるのですが、やっぱり参考にしない方がいいのでしょうか?」


 わたしの問いかけに結城先輩は不思議そうな顔をする。


「なぜ?」

「えっと、もっと読むべき本があるのかなと……」

「読むべき本? 世の中にそんな本があるとは思わないんだけど」

「いえ、何て言えばいいんでしょう。読む順番とか……。まずは基本として古典を読むべきとか」


 結城先輩はガシガシと頭を掻いた。この人らしくない仕草であり、ひょっとしたら苛立たせたのかもしれない。


「有村さんは読書について物凄い勘違いをしていると思う。普段本を読まなくて読書は高尚な趣味だと思っていたり、ラノベやエンタメしか読まなくて純文学に対してコンプレックスを抱いている人間と同じだね。

 はっきり言うけど読書なんてで、それ以上でも以下でもないよ。もしそれ以外に何か意味付けする輩がいたら、少なくともそいつは本が好きなんじゃない。付加価値を利用しているだけだ」


 結城先輩の声のトーンは変わらないが、やはり少しは怒っているらしい。


「すみません」

「謝ることじゃない。ただ読むべき本なんていうものがないことだけは保証する。本の選び方なんて、自分の感性に少しでも触れるものがあったならそれを読めばいいんだよ」


 真剣な眼でこちらを見つめる結城先輩に、はっきりと返事をする。


「はい。肝に銘じます」


 結城先輩は苦笑した。


「そんな畏まるようなことは言ってないよ。じゃあ次は本屋大賞について話をしようか。そっちも誤解がありそうだしね。過去の大賞作品は全部読んだの?」


 わたしは頷く。


「毎年十作品がノミネートされているけど、そっちは?」

「大賞を獲った作家さんが別の年にもノミネートされていた場合は、そちらも読むようにしてました。全部ではないですけれど」

「どの作品がおもしろかった?」


 当然の質問だろうけれど、これが聞かれて最も困るものだった。

 悩むわたしに結城先輩は優しく声をかけてくれる。


「おもしろいで選べないなら有村さんが好きな作品でいいよ。複数あげてくれてもいい」


 そこでわたしはようやく選んで口に出す。


「三浦しをんさんの『船を編む』でしょうか」

「俺も好きだな。良い小説だよね」


 結城先輩は即答した。わたしに追従しているわけでもないらしい。

 目を瞬かせているわたしに笑いかけて結城先輩は続けた。


「本屋大賞なら俺も全部読んでいるし、ノミネート作品も七割は読んでいると思う。だけど別に本屋大賞にノミネートされたのを選んでいるわけじゃない。単に今の文芸本でおもしろそうなのを選んだら自然とそうなっただけ。

 逆に言うなら本屋大賞の本を読んでいない奴のほうが偏った趣味と偏見を持っていると思うね。もちろん読みたくない本は読まなくていい。だけど文句を言うぐらいなら本屋大賞ぐらい読んでおけよと言いたい」


 結城先輩にそう言われて気持ちが楽になった。

 それにしてもノミネート作品の七割を読んでいるというのは凄い。それだけで百冊は越える。

 そこで鈴木先輩が参加してきた。


「でもさ、あえて言うんだけど本屋大賞って無難すぎない? 平均的っていうか、普段本を読まない人のための賞っていうのも遠からずって気がするんだよね」


「それは俺も否定しない。一次選考が六百人以上の書店員からの投票。二次選考が上位十作品をすべて読んだうえで三つ選んでのポイント制。平均的になるのもむべなるかなだな。

 そもそも投票している書店員が読書の達人ばかりじゃないというのも理解しておく必要があると思う。読んだ本を本棚みたいに登録できるサイトがあるだろう?

 投票しているっていう書店員のそれを見たことがあるんだが、まあ偏っていて酷かったな。

 ただ最大公約数的に選ばれたものがつまらないとは限らない。そこはきちんとわけて考えるべきだと思う」


 鈴木先輩はその発言を吟味するようにしばし考えていたが、結城先輩を見据えると口を開いた。


「今のって一般論だよね。突っ込んで聞くけどさ、結城がその年に読んだ本で本屋大賞の作品がベストワンだったことってある?」

「ないな」


 即答だった。


「ベストテンには入ってる?」


 それには結城先輩は苦笑する。


「どうだろうな。昔のはリアルタイムで読んでいないし、あくまでも俺がその本を読んだ年でカウントするとして、おそらく入らないだろうな」

「でしょうね。あんたの場合は分母も大きいだろうし。でもそれを聞くとさ、やっぱり無難な作品っていう気がする」

「だとしてもかなり高いアベレージだと思うぞ。本選びの指針にして悪いことはないだろう」


 鈴木先輩はそこで肩をすくめた。話にならないというよりは、このへんで勘弁してやるというジェスチャーらしい。

 結城先輩はわたしに向き直った。


「有村さんが本屋大賞を参考にすることに引け目を感じる必要なんてないよ。ただ妄信はして欲しくないかな。絶対に読まなきゃと決めつけるんじゃなくて、あくまでも選択肢のひとつと考えて欲しい」

「わかりました」


 わたしは大きく頷いた。そしてこちらからも同じ質問をする。


「ちなみに結城先輩は本屋大賞の作品では何がおもしろかったですか?」


 結城先輩は曖昧に微笑んだ。


「どれもおもしろかったよ」


 わたしはこの返事に違和感を覚えた。結城先輩のそれまでの受け答えにあった明解さがない。なんというかわざとぼかしているような気がする。

 さらに気になったのは、それを見ていた鈴木先輩が大きなため息を吐いたのだ。

 なんだろう?

 わたしの文芸部初日は小さな疑問を残して終わった。


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