文化祭と希死念慮
休憩室のソファで夢を見てた。
夢というにはあまりにも現実的で、無意識に走馬灯でも見ていたと言ってもおかしくないほど、記憶をそのまま再生していたようでもある。
きっとこれには理由があって、ソファの座り心地が、高校の図書館のソファのそれとほぼ一致しているからなんだと思う。何の因果があってこのソファは図書室を飛び出してここまでやってきたのだろう?
図書室は条件付きで好きだった。
放課後で一人きりなら、本を読まずにソファで休憩することができて、それは高校生活の中で一番の至福の時間だった。
下校時間になり、部活動も終わって、人がどんどん減っていき、校舎の中に残っているたった数人のうちの一人になって、ようやく僕はいつも帰っていた。玄関までの道のりの中で、空の教室を眺めたり、電気の消えた廊下を通ってみたりして、一人で帰り道を楽しんでいた。
さっきの電話相手は高校生だった。受験が辛くて死にたいと押し殺した声で泣いていた。
その前の電話相手は会社員。学生時代に戻りたくて、死んだからと言って戻れるわけではないけどそれでも死にたいと咽び泣いていた。
多分、明日のニュースには彼らのことが出てくるだろう。受験ノイローゼ。ブラック企業。多分そんなところで片付けられる。社会問題とはいえ、死ぬのを決めるのは自分自身だ。個人の問題でもある。
死んで高校時代に戻ったとしても。
その先にある未来をまた生き続けるだけだ。
……受験ノイローゼで死んで最悪の高校時代か、それともブラック企業に押し潰されて最悪の人生リタイアか。過酷な未来が待っているとわかっているなら、それを回避して楽をするかもしれないな。
この二人が同一人物だったなら、志願課案件なんだろうな。
ソファに座ると高校時代を思い出す。図書室の、陽射しの差し込む位置に置かれたソファの上で過ごす至福な時間と、そこそこ充実していた青春時代も一緒にやってくる。
体育祭の感動とか達成感とか。
あとは文化祭のライブでバンドを組んだ在校生が披露していたロックナンバー。僕はボーカルに一目惚れしたし、しばらくは図書館のソファでその歌と顔を思い出していたりもした。だけどあの文化祭で見かけた時点で、あまりにも距離が遠い存在に思えてしまったこともあり、すぐにその気持ちを墓場まで持っていこうと決めたりもした。
思い出補正は強く入ってると思う。ステージで歌ってたあの子が、今どうなってるかはもう知らない。数年前にメジャーデビューを果たしたというところで、僕の認識は止まっている。記憶には残ってるけど。
こういうものも、溢れ出す多幸感の前には、多少の誤差でしかない。
死ぬタイミングで最も最適なのは、こういう幸せな瞬間なのだということを改めて実感した。前から思ってはいた。図書館のソファで陽に当たりながら、「死ぬなら今だ」と思ったり「心臓が止まってはくれないだろうか」とか思ったりしていたのだから。
今は無理だ。
多幸感は、もう得られる機会を失った。
+ + +
気になって調べてしまった。
文化祭の彼女たちは、そこそこ売れてるバンドになっていた。
メジャーデビューアルバムに、文化祭で聴いたあの曲が入っていた。
僕は今休憩室のソファに座ってそれを聴いている。
久しぶりに、「今だ」と思った。
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