カタストロフィリア
消極型自殺願望という種類の是非は、研究所内でもわりかし議論になりがちだ。今のところはあくまでも「暗黙の了解」として、自殺願望として看做し対応している。
議論の中で、この概念の持つ問題について何度も議論が交わされた。
一つは、「希死念慮と区別がつかない」こと。
これは研究所を飛び出して、提携している希死念慮観測所と共に、落とし所の模索が進んでいる。
一度その議論に参加したことがあるが、だいたいお察しの通りだ。会議は踊った。されど進みはしなかった。
もう一つは、「加害性の方向についての懸念」。
これは研究所内で議論が交わされている。
参加はまだしていない。なんとなくわかるからだ。
希死念慮というのは、自殺願望の一歩手前と言えばわかりやすいかも。そんな状態だ。自分の意思で死のうとまではいかないけれど、ただ単に死にたいという思いだけがある状態を言う。大抵は消えてしまいたいだとか、いなくなってしまいたいだとか、そんな感じの言葉に置き換えても成立するタイプだったりする。そうはならなかったものが、大体は自殺願望に発展する。
でもごく稀に、それが自分に向かわず他人に向かうこともある。
それがカタストロフィリア。
破滅性愛者みたいな字を当てられるだろうけど、性愛でないものを含んでもいい。
言葉の立ち位置としては、六道鐵昭が訳した『テンペスティズム』に出てくる「テンペスタリズム」や「テンペストロフィリア」に近い。
つまり造語だ。
そもそも「テンペストロフィリア」は、原著者である哲学者アルバ・ナム=ローゼンタールが提唱した、「自然災害や気候変動に対する畏敬の念や愛情を表す言葉」だった。「自然の力や力強さに畏敬の念を抱き、同時にそれらに対する愛情を感じることができるとされている」というもの。
そして、インターネット上にその概念が進出すると、瞬く間に「自然災害に対して性愛も含んだ愛情を抱く異常性癖」として、ネットミームとして調理されたのが、ごく最近のインターネット事情だ。
僕はそんなノリに乗じて「カタストロフィリア」を作った。
大量殺人、大量殺戮、災害や天変地異による大量死に快感を覚える異常性癖。
カタストロフィリアを解消するためには、とにかく死者を作り出さなければならない。
大量に。
短時間で。
盛大に。
殺すことでようやく、その欲求が解消される。
ただし、別に現実で無理に解消しなくてもいい。ゲームがある。銃で。爆弾で。ナイフで。時には巨大な機械に乗り込んで敵を一掃すれば、それが快感になる。
セーラー服の少女が機関銃を連射して「快感」と言う、そういうものに近い。それを大真面目に実現することによって快楽を得られるのだ。
ゲームだけでなくても、自分で小説を書いて、手っ取り早く世界を終わらせる結末を書いてしまえば、それだけでもいい。頭の中で人が一瞬で魂を失う光景を想像するだけでいい。書いたからと言って、それっきりではないし、読み返すだけでも同様に快楽を得られる、飽きたら新しく書けばいい。作ればいい。
正しく理解すれば、なんてことはない性癖だ。
手記に長ったらしくここまで書いているのは、直前まで電話をかけていた願望者が、似たようなことを言っていたからだ。
人が大量に死ぬ映像を映画か何かで見て、初めて自分の中に変な感情に気づいた。
ゲームで解消している。できている。できていた。できていたはず。なにか違う。
小説や漫画を書いた。映画も見た。解消できたが、すぐにどれも飽きてしまった。
VRを使ってよりリアルに殺戮を感じた。だがそれもすぐに解消できなくなった。
もしかしたら現実でなければ解消されないのかもしれないと考えるようになった。
でもそんなことはしたくない。するくらいなら自分で死ぬ。できないようにする。
だから死にたいんです。
そんな風に。ロープの準備も出来ていて、あとはもう輪っかに首を通して足場にしていた椅子を蹴るだけ。その状況で、願望者は電話をかけていた。
僕はその電話に対して、かなり平坦に、単調に返したと思う。もっと情を入れても良かったとは思うけど、僕も似たような感情を持っているだけに、されるかどうかもわからないのに影響されることを恐れた。
「大量に人を殺すのは、そんなに簡単じゃありません。包丁はすぐ刃こぼれするし折れやすい。何本予備を持ったところで、他の武器で殺したとしても、人間の体力には限りがあるんです。銃を持っていたとしても、冷静に人を狙えたとしても、弾には限りがある。銃だって軽くはない。人のたくさんいるところにそういう物を持って移動するだけで、人を殺す体力が残っているかどうかもわからない。そして何より、一人殺せばみんなあなたから離れていきますから、追いかける体力も考慮しなければならない。車で突っ込んでもすぐに止まります。人を大量に轢き殺そうとしたって、人の前に車が立ち塞がります。一番いいのは自爆です。あなたに知識があれば、の話ですが……今のあなたの状況を聞く限りだと、爆弾を今から作る余裕なんて無いでしょう?」
反論されたくなかった。口出しされたくなかった。
だから矢継ぎ早に、大量殺戮のデメリットを説いた。
「それがいいですよね。それによくよく考えてみたら、やっぱり死ぬのは怖いです。人を殺したくもありません。今の話を聞いて、なんだかちょっと考えが変わったような気がします」
自殺を止めてしまったのは、想定外だったけど。
「もともとは、誰かに殺される形で死にたいなと思っていたんです。でも運よく通り魔なんてやってこないじゃないですか。だからそれを待っているよりも、自分が通り魔になって大量に人を殺せば、警察かなにかに反撃されて死ねるんじゃないかなって思ったんでした。そうだ、それが元々の僕の思いだったんだ」
電話は自殺を果たすことなく終了した。
+ + +
同じページにこれを書いている理由はすぐにわかる。
次の日、ニュースで通り魔事件が発生したという報道があった。
運良く襲われた人間は助かったが、身を挺して助けた人間が変わりに致命傷を負って死んだ。
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一週間弱経った。
死んだ人間の家から、不自然な位置に置かれた椅子と、天井に吊り下がった、輪っかを作ったロープが発見された、というニュースが報道された。
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最後にインターネットの話。
身代わりに死んだ人間に対する毀誉褒貶と、本来の被害者である人間に対する同情と罵詈雑言、通り魔になだれ込む憎悪の濁流、消極的自殺願望を露わにする勢力とそれを諫める勢力の禍災、ハリボテのメサイア・コンプレックスに酔い痴れる愚か者の叫び。
渦を巻いて大災害の体裁を成していた。みんな巻き込まれて、進んで参戦し、ダメージを負い、死んでいく。
僕はそれをずっと眺めていた。
新しい解消方法を見つけられたような気がしたからだ。
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