Q.464 自殺+家庭内不和=幸福?
「オフィーリアは自殺したのではないか?」みたいな説を友達と話をしたことがある。ただの転落死にしては不自然だと思っていた。水を吸った服が重く沈む中で、どうして歌っていられるものかと、ずっと疑問なんだ。
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自己消滅願望が顕著になってきた。これは自殺願望とは違うと俺は思っている。
跡形も無く消えてしまいたいと思ったり、初めから存在しなかった世界に変えてしまいたいと思ったりしているだけで、死体を残したくはないし、生きていた痕跡も残したくない。誰の記憶にも残らないようにひっそりといなくなりたいのであって、家族や知人に悼まれたいわけではない。
だから死ねない。現状、全ての人間から気にかけられずにいなくなるということがほぼ不可能な、今の状況だと。
いなくなるというのは幸福なことだ。
初めからいなかったことになれるのは。
存在が消えた後のことを想像すると、それだけで少しだけ楽になる。
でも俺にはできないだろう。
俺がいなくなれば、悲しんでくれる人がいる。
悲しんでもらう価値があるかどうかなんて関係ない。
そんな人達を裏切るような真似はできない。
……いや、違うか。単に自分が傷つきたくないだけだ。
自分にとって都合の良い解釈をして、自分を慰めているだけの卑怯者だ。
その証拠に、こうやって自問自答してる今も、まだ死ぬ勇気がない。
この前も、自殺しようと思って飛び降りる場所まで行ったけど結局何もせず帰ってきた。
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家から逃げ出したという相談者との話を今も思い出す。境遇こそ違ったが、俺と同じ考えの道筋を辿っているように思えて、シンパシーを感じたよ。
相談者は家庭内の両親の喧嘩が原因で逃げ出したと言う。
居場所を探してあちこちのコミュニティを転々としてきたと言う。
しかし最後にどうするかは、最初から決めていたのだと言う。
彼女は笑っていた。
通話の序盤は涙ぐんでいるような弱々しい声だったのに、話していくごとに感情が良い方向へ向かっているのを声色から感じ取れた。
悲しませたいわけでも、憎んでほしいわけでも、両親に争わないでほしいわけでもなければ、自分のことでもっと争ってほしいわけでもない。
ただ、嫌になったから死ぬのだと。
楽になるために死ぬのだと。
自分は卑怯者だとも。
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彼女の話を思い出すたびに、俺は卑怯者になろうと決意を固める。何度もやってる。
それでも死ねない、別パターンの卑怯者。
それが俺と、彼女の違いなんだろう。
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