ファイアフライ症候群
【手記の概要】
スピリチュアル思想に取り憑かれてしまった親の洗脳を取っ払うために無理矢理渡された護符と一緒に死ぬ話。
+ + +
親は子を選べるが、子は親を選べないというのは生き物が生きる上でどこにでもついて回る理である。しかし、当然のように誰も彼もが簡単に命を投げ出せるわけではない。
『死』とは特別なものであり、『生』の延長線上にある。だからこそ、人は誰かに殺されることを良しとしない。
だが、どうしようもないこともある。
たとえば、自分の両親が新興宗教にハマってしまって、その教えを信じないと食事を与えてもらえず餓死してしまうような状況ならば、子どもはその教義を受け入れざるを得ないだろう。
あるいは、親から虐待を受けていて、もうこれ以上耐えられないという限界まで追い詰められていたら、たとえそれがどんな内容であっても逃げられるなら逃げたくなるかもしれない。
『死』はとても特別で、それこそ奇跡的なことなのだ。
だから、もしそんなときが来たとしたら、きっと誰もが何かしら行動を起こすはず。奇跡であり、特別だから。
そして、それは同時に世界の在り方を変えるきっかけになるかもしれない。
「もしもし」と電話口の相談者は言った。「……えっと、これはいったいどういうことなんでしょうか?」
「この電話では、自殺を手助けさせてもらうことになってますね」
「あの、私、別に死にたいと思っているわけではなくてですね……」
「ご安心ください。我々はただあなたを助けようとしているだけです。なにも、あなたの両親や友人の命を奪っているとかそういうことはありませんよ。あくまでもあなたの意思を最大限に尊重します」
「……そうですか」
結論から言うと、相談者は、自分の親から渡された護符と一緒に、自らに火をつけて焼身自殺を遂げた。
相談者は、両親共にとあるスピリチュアル思想を教義とする宗教の信者であり、日々両親から半ば虐待のように教義を守ることを押し付けられていた状況であった。
現時点でまだこの宗教団体は健在であるものの、昨今の報道機関による糾弾、また事態を重く見た政府によって、ある程度の規制を設けられているとのことだ。既に関連ニュースにおいて、広く知れ渡っているため、今後似たような事例が出てくることも鑑みて、簡潔に書き記しておく。
団体は既に事件に対して「ファイアフライ症候群」と名前をつけて、新たな対処法を見出しているそうだが、これが暴かれるのも時間の問題か。
飛んで火に入る夏の虫、と言う諺に由来するこの「症例」を、団体側は明確に背信行為として非難を続けている。自ら危険に飛び込み死ぬことを指しており、諺の本来の意味とは少し離れていること、そして諺には特に関連性のない蛍の英訳を採用していることも含めて、名付けは多分熟慮されたものではないことが伺える。
元々団体の教義として自殺を明確に禁じており、非難の理由もそのためであるが、護符焼身自殺の一件に関しては、少し事情が違うため、話題が大きくなった発端になったことは確実だ。
渡された護符は端的に言えば「肉体の死を防ぐ」ためのものであり、信者一人一人が一枚ずつ持つものであった。
団体からすれば自己を守るべきアイテムが、自己の死に利用されたわけである。わざわざ新たに病名を考案するまでに至った説得力を、この一件が持たせる結果となった。
長々と書いたが、この事態に関係しているのが私だ。相談相手に自殺を勧めた。護符と一緒に燃えようと言うのも私が考案した。
その方がドラマチックでセンセーショナルな話題になるし、何より両親の信仰心を揺らがせたいという相談者の思いが踏み躙られるようなことがあれば、それを許せないだろうし一生悔やむだろうと思ったからだ。
半ば書き殴るような形になってしまい、多分字も汚いと思う。この手記を自分がいなくなった後に読むのであれば、一度ファイアフライ症候群について調べてみるといい。
キャンプファイアの炎に自ら飛び込む集団自殺が最近起きていたが、彼らもまた団体の言うファイアフライ症候群に罹患していたんだろうな。
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