Both Sides, Now
「あなたの身体はあなただけのものではない。あなたが傷つけば必ず他の誰かも一緒に傷つく。死ねばなおさら。死のうものなら、あなたの周囲の人間はあなたよりも苦しむしあなたよりも一生苦しむことになる。
他人を傷つけるのはよくない。
あなたの周囲の誰かが傷ついたらあなただって傷つくはずだ、あなたには勝手に傷つけたり処分したりする権利などない。たとえそれがあなた自身であってもだ。
どうしても実行してしまいそうになったのなら、必ず相談すること。
そんなふうに言われたので相談しました」
最初は、相談相手が違うのではないかと思った。
だが、よく考えてみれば間違ってはいないんだった。
聞く限りじゃ、この人は相当杜撰な対応をされて、自殺願望を真っ向から否定され、聞き飽きたであろう常套句を聞かされて、相談とも言えない相談を終えたんだろうと。
そりゃあ、一層死にたくもなるってもんだ。
この相談者は悲嘆に暮れていて、そのうち泣き始めたので、「あなたにしかできないことを決断できるのは素晴らしいことです」と言ってやった。泣き止むまで肯定して慰めて、そうして相談者は通話中のまま自殺を遂げた。
+ + +
人に自殺を相談された時のことを書く。
まだ、自分の中に自殺を止めないという選択肢がなかった頃だ。
人を自殺させないってのが、案外簡単だと思っていたのは、恐らく相談してきた彼らが、本当はどこかに生きたいという思いを持っていたからじゃないかと思う。止めてほしくて、それこそ構ってほしくてそんな事を言ったんじゃないかと、今なら思うわけだ。
人を自殺させないコツ。
それは、彼らを自殺の話題から遠ざけることだ。
もちろんあからさまなはぐらかしは逆効果だ。自分の話を真剣に聞いてくれていないのだと思われてしまう。ゆっくりと時間をかけて、彼らの目的を変えていかなければならない。
彼らの最終的な目標は死ぬことだ。それが確固たる強い意志としてあるのなら手遅れかもしれないが、そうじゃない場合のほうが多い。経験上は。
だから、彼らの目標をすり替えてしまうのだ。
死ぬことから、もっと別のことへ。
死ぬというのは大きな決断だ。人生を終わらせる決断を誰かに言ってしまうってのは、要するに止めてほしいという気持ちが一ミリでも混じっている可能性が高い。揺るがぬ意志で下した決断ならば、そもそも誰かに相談することなく、報告することもなく、ひっそりと死ぬ。死期を悟った猫のようにいなくなる。
だから決断するのを躊躇っているのなら、もっと簡単に決断できる行為を提案してやればいい。その行為は、相談者と被相談者のどちらにも作用するものでなくてはならない。結果がどちらかにしか作用しないような行為は駄目だ。
例えばこうだ。
「死ぬという行為が難しいなら、まずはまた自分たちと会って何かを話すというのはどうだろうか」
と。
一人でできる行為ではなく、一人ではできない行為を提案してやる。自殺は一人でもできるが、会話は一人ではできない。会話の約束をまずは取り付けてやる。
それを提案された人間の大体は、次も会話に応じてくれて、また次の会話の約束を受け入れてくれる。
会話をすれば話題が尽きる。当然だ。
すると、彼らは話題を見つけようとする。
そのフェーズに入った時点で、彼らは自殺の話題を既に頭の片隅に追いやっている。再発に気を配りさえすればそれで上出来だ。
もちろん失敗だってする。死ぬのは彼らの勝手だ。目の前で死なれるならばともかく、実際のところ彼らの死を止めることなどできない。
限りなく死ななくなる可能性が高くなるという、それだけの話だ。
彼らはこう考えている。「死んでしまえば解決するのではないか」と。この場合、目的は死ぬことではない。何らかの問題が解決することを望んでいる。解決を放棄していればまだしも、問題が解決してもなお死にたい気持ちが残っている、なんて人間は今までほぼ居なかった。
「死にたい」という気持ちは大抵、彼らの頭の中で煮詰めに煮詰められた悩みの種を吐き出した結果に過ぎない。相談者が「死にたい」という彼らの気持ちを聞いた時点で、彼らは十分すぎるほど悩んでいて、その最後の選択肢として死を選んでいる。
つまり、厳密には「死にたい」ではなく「死にたいほど苦しい」である。
どれくらい苦しいか? 死にたいほど。
繰り返すが、彼らは本当に死にたいわけではない。残された選択肢として、選ばざるを得ない段階にまで追い詰められた末の「自殺」である。
彼らがこの研究所に電話をしてくることは、まあ無いとは言い切れない。死のうかどうか迷っているし、最後の選択肢として死のうと思うなんて相談もちょくちょくやってくる。
遠回しとはいえ、自殺の願望から彼らを遠ざけるよりは、より親身になって聞いてあげたほうがよほど彼らのためになるんじゃないかと、この研究所に来てから思うようになっていく自分がいる。もちろん、自殺を止めたい人間が親身になって話を聞いていないなんてことではなく、だ。
自殺を止めなくてはならない側としても仕方がないのである。彼らの願望を、あくまでも肯定はしないわけだから。肯定も否定も対応としては稚拙だ。彼らの願望を遠ざけるのが最善であり、触れないように、触れさせないようにするのが、止める側としてのベストである。
だから仕方がなく、どうしようもない。
やりきれないだろう、そんなのは。
話を聞いている素振りをしつつ、真正面から向き合っているわけではないのだから。とてもそういうふうには見えない。否定も肯定もせず、話題を逸らして別の提案をする。
自分のやっていることが、導きとしては圧倒的に絶対に正しいものだと信じて疑わない人間が多くいる。しかもその導きの根幹にあるものは、世間一般で共有されている「むやみに死ぬべきではない」という思想だから、疑いようもなかろう。
だが俺は疑いを持ってしまった。
だからそれ以降、自殺を止めることができなくなった。
だからここにいる。
この研究所に来て、彼らの話を聞いてきた。自殺願望について、それを抱える彼らについて、止める側と止めない側の両方の側から見てきた。
そうして俺が実感したのは、自殺願望者のことを何も知らなかったのだという事実だった。
多分、これから知ることになるんだろう。
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