自殺願望研究所について

失格者

　実利的に作られた私たちの人生は実に虚無的で作業的だと、電話口の相談者はまず言った。

「私たちは美を追い求めて暮らしてきているのだと思っていたし、自殺をしたいという私の願望も、その延長線上にあるのだとばかり思ってた。

　自殺も美の追求として、あるいは生きることに美を見出す一種の方法として考えていた。

　人に話した私が迂闊だったと言われればそうかも知れないが、彼らは皆一様に狂人でも見るかのような目で私を見た。

　それがどんなに辛いかわからないだろう。これは私にしかわからない。

　私は、人に認められようとして今まで生きてきた。自分があくまでも人間であると認めてもらうために。勿論、私が人間であることは疑いようのない事実だろうが、それは私が私自身を人間であると断じることができる材料にはならない。あくまでも周囲から人間であるという証明が欲しかった。

　私は人間でいたかった」

　おそらく、物事の全てが、一つの真円を作るための構成要素としてのみ存在していると思っていた可能性が高い。彼の思い込みが瓦解した可能性も考えられる。

・周りの人間はどのような反応をしたか？

「それはもう、私を人間扱いすることはなかったさ」

・こうして自殺することも、彼らの思惑の一部だと思うか？

「そう思う。彼らは多分私のことを、他の人間よりもコントロールが利きやすく、そして馬鹿に従順な人間だと思っている」

・自殺はあなたの思惑ではない？

「私にそのような意志がなかったかと言えば嘘になる。だが、そうさせたのは間違いなく彼らだ」

・自殺を、本当にしたいと思っている？

「今は早く死んでしまいたいと思っている」

・死にたいほど苦しんでいるのではなく？

「死にたいほど苦しいのではない。実際、死にたい」

・死ねば解決すると思う？

「何が言いたい？　この電話は私の自殺に関する悩みを聞くための窓口ではないのか。自殺を止めようとしているのか？」

・それでいい？

「私が解放されるには、これしか方法はない」

・本当に？

「本当に」

・死ぬ手順をどう考えている？

「首を吊ろうと思っている」

・首吊りを合理的だと考えている？

「考えうる限り、それが最善だと考えている」

・合理的だと考えた理由は？

「自分でもわからない」

・ここに電話してきた理由は？

「あなたみたいな人間と話してみたかった、という最後の望みだ」

・私のような人間と話せる保証などなかったが、それでも？

「それでも、だ。今まで何度もかけ直してきた」

※備考：最近報告されてきているイタズラ電話の張本人かもしれない。

・あなたにとって、何が合理的なのか？

「無駄のないこと。それに尽きる」

・ここに電話をかけてから自殺を図るのは、無駄ではなかった、と？

「それを問われると困る。だが、これは必要な電話であり、必要な行為だったと考えている」

・酷なことを言うようだが、死ねば周りからの評価も変わるかもしれないと思っている？

「そうは思わない。だが、人間は死ぬことができる。私が死ねば、彼らも私を人間だと思うはずだ」

・人間である証明がほしいとさっきも言っていたが、あなたは何故、周囲から人間扱いされないと思っている？

「周囲は「感情を読み取れない」と言う。ロボットと話してるみたいだ、みたいなことも言われる」

※備考：口調は実際、淡々としている。抑揚も殆ど無いと言っていいだろう。声だけで感情を判断するのは非常に難しい。

・思うに、「無駄のないこと」を徹底しているからそういう印象を持たれているのでは？

「そこはよくわからない。確かに、感情は無駄な機能だと思っているが、それを表に出そうといつも努力している」

・感情は出そうと思って出すものではないのが一般的とされているがどうか？

「自然に出る、というのは知っている」

・自然に出たと感じたことは？

「一度もない」

・恐怖という感情は？

「恐れは抱いたことがある。だが実際に怖いと感じたことはない。ただ自分自身が恐怖しているのだという事実を感じ取ることができるに留まっている」

・死への恐怖も？

「恐怖を感じるのは合理的ではない」

・恐怖しているという事実は？

「ある。身体がいくらか震えている」

※備考：声は全く震えていない。

・死ぬときの苦痛への恐怖も同様？

「変わらない。苦痛を伴うことは想定済みだ」

・その苦痛がいかほどなものかを味わったことは？

「一度もない。だが、最小限に抑える方法も知っている」

・その方法は？

「教えてしまうと効果がなくなる」

・どういう意味？

「誰にも口外することなく実行するのが最も苦痛を伴わない方法だという意味だ」

・ここで言ってしまうと苦痛が生じる？

「生じると言うより、もっと強い苦痛が起きる」

・どこでその方法を？

「知ったのかって？　自分で編み出した理論に基づく方法だ、とだけ。済まない、時間が迫っているようだ」

・時間が関係している？

「時刻が関係してくる」

※備考：現在時刻は午前二時前。

・午前二時に行動を起こす？

「…………」

・午前二時に首を吊ると、何が起こる？

「答えられない」

・首を吊るとどうなる？

「死ぬことができる」

・死んだ後に何か起きる？

「何かはわからない。起きるのかどうかもわからない」

・何故その方法を選んだ？

「私が純粋に人間であるという証明をするためだ」

・最後の質問。あなたは人間？

「人間だ。最初から最後まで」

　終話。

　ただ単にこだわりが強いのだと見て良いものかどうかはわからない。

　彼、あるいは彼女の声が独特だったとだけ。

　高音と低音、あるいは男声と女声を同時に発しているような不思議な声だった。