蟻が俺を嘲笑う
ふと踏み潰してしまったツツジの花びらが、蝶をかたどってアスファルトに張り付いている光景。
想像できるか?
花びらを踏むなど。
誰かが逆三角に並んだ三つの点を顔と認識してしまう現象を「シミュラクラ」と呼んでしまったせいで、俺の周りにはシミュラクラが溢れかえっている。
研究所へ歩いていくとき、道を蟻の行列が横切っていた。
彼らは黒いアスファルトの上で、黒い体を艶を出して輝かせ、ゆっくりと動く。
ふと、行列が顔を作る。一筆書きの顔。
列が交差し、円環を結び、誰かの顔になっていく。
ゆったりとうごめくその顔は、見下げた俺をゆっくりと笑う。
嘲笑う。
お前が自殺願望者と戦っている間、我々は生きるために動いている。
お前はどうなんだ?
死にたい人間なんてのは、欠陥品ではないのか?
断じて違うと言いたかったさ。
蟻に言葉が通じるのならば。
蟻の行列から目を逸らし、空を見る。雲を見る。影を見る。陰を見る。
あっという間に雲が顔を作り、俺を見下し嘲笑う。
お前は何のために生きる?
死にたくはならないのか?
なってるさ。
俺は猛烈に死にたい。死にたさに襲われてるんだ。
この場から電話をかけたっていい。相談者として。研究所に。死にたいんだと。
だが勇気がない。
何かが俺の背中を蹴飛ばしてくれなければ。
昨日アーカイブで読んだ『13』を思い出す。死にたくてもきっかけがないから死ねない相談者。結局自殺できずに電話を切ったあの相談者。『灰色』の相談者も自殺をやめたっけ。
そいつの気持ちが、俺にはよくわかる気がしてならない。
その前に読んだ『Programmed Cell Death』の相談者の話も、何故か俺の胸を抉る。アポトーシス。プログラム細胞死。プログラムされた自殺。
死にたくても死ねない彼らは、そのプログラムを刻まれていないから死ねないんじゃないかと考えてしまい、そうなると俺などはプログラムを刻まれていないかもしれなくて、どうしたってこの願望を成就させることができないんじゃないかと恐怖してしまう。
このまま一生、なあなあで生き続けて、途中で餓死か災害か事故か事件で死ぬ。悪ければ老衰死するまで生きることになる。
いずれにせよ、自分の意志で死ぬことは絶対にできないのだとしたら。
『遺書』のあいつみたいに、頭がおかしくなって実験とかなんとか言って飛び降りてしまうのか。心神喪失で統合失調症で狂ってしまって理性の欠片も失って。
『火葬場の煙突』も『水槽の底』も、俺には幻想でしかない。
『綺麗な眠り方』に書いていた通りだ。あれを書いた人間と、俺は話が通じるかもしれない。ろくな損傷なしに死ねるだなんて虫が良すぎることはよくわかっている。
それだけにつらい。
理想家は理想をより高く掲げることが得意だが実行は下手だ。
そもそも理想で完結する。
理想的な自殺を夢見ないまでも、せめて自分で、自分のタイミングで死ぬことができるようになりたい。『名誉に沈む』の例の有名人。彼にも同情せざるを得なかった。
とにかく、今まで多くの手記を興味本位で読んできた。
書いた人間たちは、誰一人として研究所には残っていない。だってそういう規則だから。この手記も、俺がいなくならない限り俺以外の人間が読むことはできない。
読んでるか?
同情してくれるか?
してくれなくてもいいさ。
どうせわかりはしないんだから。
頭の中は、ロールシャッハとシミュラクラが綯い交ぜになってる。
色んなものが顔になって俺を見るし、なんでもないシミや模様がいびつな絵に見えてくる。
そこに自殺願望が舞い込んでくる。
意味のないものに、わざわざ意味をつけてしまう癖が止まらない。
そのせいで俺の自殺願望にも意味があるんじゃないかとさえ思うようになってしまった。
これを読んでいるなら、俺はもうここにはいないし、この世にもいないだろう。
それとも死ねない体質を持ち合わせて足掻いているかのどちらかだ。
+ + +
ここまでを昨日書いたのだった。
研究所の自殺志願を扱う部署の存在を思い出した。
研究所に入った頃の簡単な研修の中で知ったが、彼らは何を研究しているのだろう。
願望と志願は違うと断言されたが、まだ両者の違いも俺には曖昧なままだ。
人体実験などを生きたままされるのでなければ、志願も考えてみようか。
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