Programmed Cell Death

 差別主義者からの自殺願望について書くので、読む人間によっては不快になるだろうからここで警告しておく。

 簡潔に説明するなら、周囲の環境についていけず発狂して自殺した人間の話だ。

 内容の一部は、差別的な要素を含まなければ、おおよそ興味深いものだった。それについて書こうと思う。


「見渡せばマトモな日本人は一人もいない。やれK-POPだやれハリウッドだ、日本人はもう海外に対して尻尾を振っているようにしか見えない。そんな無様な国にはもう住みたくない。そう思って電話しました」

「なるほど、辛いですね。あなたの味方がどんどん減っているような気がしていると」

「実際にそうなんですが、大体合ってます」


 バカバカしいから彼の言いたいことだけを抜粋する。


「アポトーシスです。プログラムされた死なんですよ、要するに」

「はあ」

「癌を防ぐために、この機能が人間には備わっているわけです。癌細胞が見つかれば、その細胞はプログラム通りに死ぬ。死ななければどんどん増えて癌を発症するに至る。これって、人間社会にも言えることだと思うんですよね」

「一定数の品質を保つために間引きをするのと同じことですね」

「そうです。作物だと、その行為は一方的に行われますが人間の場合は違います。自主的にそうなっている。間引きとアポトーシスはこの点で違います。自分が異分子であると自覚し、その上で死を選ぶわけです」

「細胞の機能としてアポトーシスというのは存在しますが、それが人間社会にも適用しうるというのがあなたのお考えというわけですね」

「そうです」


 一旦ここで。

 彼は人間社会をヒトの細胞に例えて話をしてきた。

 周りに適応できないと言った旨の話をした後に、唐突にアポトーシスと呟いたのである。

 ここで疑問が浮かぶ。

 彼は死にたいのか。

 自身が異分子であることを自覚し、人間社会から排除されるべき存在であることもまた自覚している。

 だから電話をしてきたのか。

 自殺願望を扱うここに電話をしてきたのか。

 散々社会に対する怨みつらみを述べ、アポトーシスについて話をし、自身が社会に適応できない癌細胞だと自覚をして。

 それで電話をかけてきたのか?

 最初に持った疑問がそれだ。

 以下にまた続ける。


「疑問なのですが」

「はい」

「あなたが今こうして電話をかけてきているということは、自殺をしたい、ということですよね」

「自殺するか迷って今電話をしています」

「社会そのものにもアポトーシスが適用されうるというのを前提として、あなた自身もそのアポトーシスに沿って自ら死のうとしているわけですね」

「そうなりますね」

「あなた自身が、いわば社会にとっての癌細胞ということになりはしませんか。自らが異分子であると自覚している、と」

「そうではないんです」

「と、言いますと」

「死にたいわけではありません。死ななければならないと考えているわけでもありません」

「はあ……」

「それなのに、私は何故か手首を切ってしまいました」

「もう切ったのですね」

「はい。頭がぼうっとします。少し眠気もあります」

「血はまだ流れていますか」

「まだ流れています。助けてください。私はまだ死にたくありません」

「救急車は呼びましたか?」

「いえ……呼ぶ前にここへ電話をしているのです」

「でしたらすぐに電話を切りますので、すぐに救急車を呼んでください」

「無駄ですよ……私はもうだめです」

「自殺を希望しない人間が自死行為をしたのであれば、我々は助ける必要があります」

「面倒事は避けたいのですが」

「希望してもいないのに自ら死んでしまうことがどれほど面倒かわかっていないからそんなことを言えるのです。電話はもうこのままでいいので場所を教えて下さい。救急車を向かわせます」

「いいんです」

「よくはありません」


 文字だけだとわからないだろうが、この時点で息も絶え絶えで声も掠れていた。呼吸と一緒に声も出している。だから文面上は簡潔に見えても、実際はかなり長い会話だった。

 この時代の中で奇しくも彼が使っていたのは固定電話だったため、幸いにも場所の特定に時間はかからず、救急車も手配こそできた。間に合ったかどうかは……。

 サイレンの音を電話越しに聞いたときは少しだけ安堵の気持ちが押し寄せたものの、それでも一命をとりとめたかどうかは……。

 

「場所を特定したんですか」

「固定電話だったので時間はかかりませんでした」

「お兄さん、これは多分本能的なものなんですよ」

「本能……自殺が、ですか?」

「そうです。プログラムされた通りに、死んでいってるだけなんです。意思とは反対にね。

 私は色んなものに対して異常だの何だの言ってきましたが、私もそうだったみたいなんです。

 何かきっかけがあったのかはわかりませんが、とにかくそれが引き金となって、プログラム実行を決定する羽目になったんだと思います。

 そうして自分の意思とは無関係に、気付いたら手首を切っていました、

 もうハッキリと見えないしわからないんですが、これがアポトーシスなんだと思います、

 プログラムされた細胞死ってのは三種類あるんです、一つはアポトーシス、一つはオートファジー、そしてネクローシスです、

 ネクローシスってのは要するに壊死なんですけどそれよりはマシですよね、

 だって別の人間も巻き込んでしまう、

 警察はオートファジーみたいに、

 死刑と称して排除することもしますよね、

 なんだか似てるとは思いませんか、

 人体と社会って恒常性を、

 より良く質を保つために、

 一定数が犠牲になるんです、

 私には何もありません、

 それこそ身体中に爆弾でも巻きつけて、

 スクランブル交差点のど真ん中で、

 なんて考えていましたし、

 もしかしたらその考えが浮かんだことで、

 自己破壊が始まったんでしょうかね、

 プログラムされた死、

 多分始めから私の中に、

 あったんだと思います、

 予定された死だと思います、

 社会をより良く、

 保つための機能が、

 こうやって存在するんだな、

 ってのは、

 こうやって、

 初めて、

 知るもの、

 なんですかね、

 人間も、

 進化、

 しましたよね、

 考えても、

 ないのに、

 死ぬ、

 なんて、

 、

 」


 恐らく。

 恐らくだが。

 彼のやや偏屈とも言える思想が引き金となったわけではないんだろうと思いたい。思想一つに生殺与奪を握られていたのかもしれないなんてことは考えたくない。

 自爆テロを考えたからなのかもしれない、なんてのもまた同じようなもので。


 人間社会を一つの人体と考えたのは間違いだ。

 一つ一つの細胞に意志なんてあるはずもないからだ。

 細胞はプログラムに従ったに過ぎない。本来白であるべきところが、急に黒くなろうとしていたから、対処法としてプログラムされていた自己破壊が実行されただけだ。

 不意に考えた破滅的な出来事は、普通なら馬鹿馬鹿しいと思うし、実現しようとは思わない。さっきの電話は、多分その極端な例の一つだ。破滅的なことを考えたからと言って、意志に反して自死を選ぶ必要はない。いわば過剰反応とも言える。世界を見れば、さっきの電話の相談者みたいな人間はあちこちで生きている。死んではいない。

 だが仮に。

 そうした精神的な癌細胞が過激化しないよう、本来予め自己破壊するようにプログラムされていて、なおかつ正常に働いていただけの話で、そのプログラム自体が異常を起こし、増殖し肥大していったならと言われたら。

 やはり今まで通り詭弁だと一蹴するだろう。

 だが、どう答えたらいいかは考えるかもしれない。




 追記。

『タイトルを設定してください』というタイトルの手記を読んだところだ。

 自分の意志と反する自殺については、興味深い研究ができそうだ。

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