罪とか罰とか償いとか
「よく映画とかで、犯罪を犯した人が逮捕されずに死んでしまう展開ってありますよね。あれって、どう受け止めたらいいんでしょう」
「作品にもよるかもしれませんね」
「そうでしょうか。裁いてもらえないことそのものが罰だと考えたりはしませんか」「罰、ですか」
「はい。裁いてもくれず罰してもくれない。そんな存在がそもそもいない。あまりにも孤独じゃありません?」
「そんなもんですかね」
「そうですよ。だって……裁かれて罰を受けて、それでようやく罪ってのは解体されて処理されていくんです。犯罪者の自殺って、その段階を踏んでいないんです。死刑になるレベルの犯罪をして、正当な罰を受けずに勝手に死ぬって、死刑を下されるのとは違って余りにも傲慢だと思いませんか?」
この長々とした説教は、もう二十分続いている。
この人はどこでここの番号を知ったのか知らないけど、わかることは、この人には自殺する気なんか毛頭なくて、むしろ自殺を悪と断定し、さらに私たちみたいな自殺願望を研究する機関に真っ向から立ち向かい、断罪しようとしている。
「私はあなた方を批判し、糾弾し、啓蒙しようとしている者です」
第一声からこれだ。蒙を啓くのは勝手だが、そんなことをされる立場にはない。
「自ら命を絶つのは悪だと言いたいわけですね」
「そうです。生きていること自体が罪なのだと宣う人間がいますが、そんなものは間違っています」
もうおわかりだろうが、これはクレームである。
世の中にはいろんな人間がいて、だからこそ私たちみたいな人間がいるわけだけど、そうした存在を初めから無かったことにしたい連中が大勢いる。
自殺願望を持った人間がいたのなら自殺だけは食い止めろだとか、死は何にも解決しないだとか。自殺によって近くの人を失った人間ほど、そんな考えを持ちやすいらしい。
根底にある動機が「死んでほしくないから」に他ならないのは理解できるとしても、死ぬ権利というのは誰にでもあることも一緒に理解してほしい。それを侵害されるいわれはない。
死は愚かであることを諭そうと奮闘する人間は一定数いる。そういう人間は大抵、自死はもっと愚かであると言い張る。
この研究所にいる人間は、基本的に自死に対してそこまで凝り固まった思想を持っていない。とはいえ、一定の採用基準はある。自死に対し否定的でないことだ。
中立的であればまぁとりあえず採用基準は満たしている。他人の死や自殺願望に対し何も思わない人間などは喜んで採用するし、死にたいなら死ねばいいと思っている人間にはうってつけの仕事でもある。
他人の自殺願望などどうでもいい。好きにさせておけばいい。無理に介入しようとすればこじれるだろうし、下手をすれば自殺が殺人に変化する恐れすらある。
実際のところは、そんな感じの思想の人間が多い。
近しい人を自殺で亡くした人間もいる。クレーマーとは境遇こそ同じでも、人を亡くしたあとの気持ちの変化は真逆だ。
そうして研究する人間にとって、自殺が愚かだという主張は実に冒涜的であり、馬鹿らしい思想でもある。自殺を止めようし、自殺を阻止した人間が恨みを買い殺されたケースはいくつかある。ただ死にたかっただけなのに、死のうとしただけなのに、無用に人を殺してしまったと相談してきた人間もいる。死への執念が強い人間は、これでもかというくらいに強い。止められたくらいで決心は揺らがない。
邪魔をするなら命を奪う。どうせ死ぬのだから、と。
そうして無闇に犠牲者を増やさないためにも、自殺はスムーズに行われるべきであって、その手伝いをするのが私たちだ。
「死にたくて罪を犯す。死刑になるために人を殺す。確かにそれでは本末転倒でしょうね。人が奪って良い生命はたった一つだけです。自分自身の命です」
「それは違います。自分の命であっても、人が人の命を奪っていい道理はありません」
ありません、と言われたら、あります、と返す他はない。
この二つの主張が噛み合わない限り、このクレームがクレームでなくなることはない。そしてこの二つの主張が噛み合うことはない。平行線だ。
犯罪者であろうとなかろうと、死にたくて電話をかけているのならそのまま自殺を勧めるだけだ。
自分で自分を罰するという意味合いで自殺すると言ったり、過去の罪を自白してから自殺する人間はやっぱりいる。
無理心中の相談者もいる。散々人を殺したあとに電話をかけてきたりするし、その前に電話をかけてきたりする。「恨んでいる人間を殺してから死にます」みたいな感じ。できれば自分以外の人は殺さないでほしいのですがと釘を刺すようにはしているが、そんなものは馬にとっての念仏にしか聞こえない。他人の殺害を制止しようとしたという既成事実を作るための作業でしかなかったりする。
一応止めた。しかしやめることはなかった。
みたいな。
最初に書いたクレーマーの言い分である「裁いてもらえずに死ぬのは孤独で哀れ」だという主張。死刑にしろ自殺にしろ、どうせ死ぬことに変わりはないとは思うが、否定はしない。要は「裁かれてから死ね」ってことだし、この人は死ぬことについて否定していない。この人にとって重要なのは死ぬこと云々ではなく「裁かれて罰を受け罪を償ったかどうか」ということだろうし、根本的に私たちの理念とは論点すら違う。
だから勝手に思っていればいい。
私たちの邪魔はまだしも、自殺そのものには介入しないでほしいけど。
「まぁそうですね、死にたくなったらまたおかけください。お電話お待ちしております」
「逃げるんですか」
「あなたはまだ自分で自分を殺すことの意味をよくわかっていないようです」デタラメに言う。どうせ平行線なのだから、実際この言葉に真意など無いということに気づくことはないだろう。
「死にたくなるだなんてことはありえません。そうなったなら、私は病院へ行きます」
「病院に行くという選択肢があるだけ幸せだと思います」
「……病院での診察を、あなた方は勧めていないのですか?」
「推奨はしません。死にたくて電話をかけてきているわけですから、言う通り死なせてあげるのが理念ですので」
「私はあなた方を起訴します」
「どうぞご自由に」
電話は切れた。
こんな電話、いくらでもあったのだろうけど、研究所が起訴されたことは一度もない。
優秀な弁護士のおかげか、そもそも起訴するというのがただの脅しに過ぎないか。
それとも……何かあるのだろうか。
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