もうわからない

「〈もしもし」〉

 鉤括弧は二重に、そしてそれぞれ種類を変えた。そのほうが、「二人同時に言葉を話している」という状況、そして「二人のうちどちらが話しているのか」を簡単に説明できそうだからだ。研究所では基本的に、電話をしてくる相手の名前を訊くようなことはしない。

 俺の言葉には鉤括弧をつけないようにしている。

 二人の女の子の声は、どちらもひどくかすれた声をしていて、普通に話せば到底聞き取れる声量じゃない。だから声を聞き取れたのは、それだけ彼女たちが必死になって声を出して叫んでいるのだとわかった。

「〈これから死にます」〉

 多分、二人で同時に声を出しているから、という部分が大きいだろう。

 彼女たちはこれから死ぬらしい。

 わかりましたと俺は言う。死ぬという報告だけをして電話を切る、というのはよくあるパターンだが……今回はそうではなかった。

「〈あの、最後の言葉を聞いてくれますか」〉

 いいですよ。

「あ〈あいいしています」しています〉

 二人同時に同じ言葉を言ったのはわかったし聞き取ることもできた。ただ、タイミングは合っていなかった。お互いに愛し合っているらしい。

 恋人同士の無理心中と言ったところか。

〈え、〉

「そんな、」

〈嘘でしょ〉

「そんな、」

 電話越しの二人は戸惑っていた。お互いに知らなかったのか?

 そうしてしばらく沈黙。まぁ、いろいろあるんだろう。

 これから死ぬってときになって、急にお互いの好意を知る羽目になって、戸惑ってしまう。『独白(37)』だっけか、相手からの好意について自殺者が話してたことが書いてあって、そのことをうっすら覚えてる。『火葬場の煙突』の手記者も、ひょっとしたら恋人の自殺間際にそんな類の言葉を聞いたんだろうな。

 自殺者の最後の言葉が愛情ってのも、なかなかグッとくるというか。

 涙が出るね。

 警笛の音が風のノイズに混じって聞こえてきた。

「電車が来るよ」女の子が言う。

 飛び込み自殺か。

「〈ありがとう」〉その言葉を最後に風の音が一層強くなる。

 と、電話が何かにぶつかる音がして、

 それから何かが弾けて砕ける音がして、

 そして甲高いブレーキ音と肉の音がして、


 悲鳴が上がった。


 

 そんな

 そんな

 だめだよ

 まってよ

 やだ

 いやだ



 実際、泣き声だけでまともな言葉としては聞き取れなかった。

 ただ、そんな感じの言葉だっただけだ。



 落ちたのは一人。

 死んだのも一人。




 心中は失敗した。 




 何がどうなってそうなったのかはわからない。電話の限界だ。

 ただ、どちらかがどちらかを生かそうとし、あるいは死なせないようにしてたのだろう。

 困ったことになったな。

 二人とも死ぬもんだと思っていたから自殺者として数えようとした矢先にこれだ。

 人ってのはつくづくわからない。

 そこに愛が絡んでくると一層複雑になる。

 誰かが書いてた『機構と協会の話』に出てくる絶望保全機構とやらが、自殺できなかった彼女の元にやってくるだろう。

 彼らは死を容認しない。

 絶望できないからだ。

 絶望しながら死ぬよりも、生きたまま絶望し続けてもらう方がずっと効率がいいらしい。

 もしもしと俺は呼びかけた。二人で一台の携帯を使って話をしていたのだから、スピーカー状態になっているはずだ。そしてそのまま解除されていないかもしれない。

 電話口からは何か小さく話し声がする。多分、電車の運転士だとか車掌だとかが続々駆けつけているのだ。

 電車にはねられて自殺する方法はもう無理だろう。

 泣き声が少し止む。携帯を拾い上げているのだとわかる音がする。


「あの、」


 大丈夫ですか?


「もう無理です」


 ですよね。

 まだ、死にたいって気持ちはありますか?


「あります」


 今あなたがいる場所はどんなところ何ですか?

 どこか高いところにいるのでしょうか?


「そうですね、すごく高いところにいます。下が線路です」


 飛び降りたら死ぬことができそうな高さですか?


「それはちょっとわからないです……一緒に飛び降りて電車にひかれようって言ったのに、私を突き飛ばして、自分だけ飛び降りていったんです」


 俺は少し考える。

 中途半端な死は中途半端な生でもある。

 生と死の狭間とはよく言ったものだが、生きてしまっていることに変わりはない。

 機構にしてみれば、生きてさえいればいいのである。

 仮死状態であろうと、意識が無かろうと、生きていることに変わりはない。

 生命活動が少しでもあるなら、機構はそれで満足する。

 だから確実に死ななければいけないのだ。

 それは彼女のためでもある。

 絶望させてはならない。

 絶望させないようにするには、やはり確実に自殺を遂げるしかない。


 電車はもう動いていないんですよね?


「はい、もう止まってしまって、電車から何人か降りてきてます」


 電車はどれくらいの大きさで見えてますか? 俺は訊く。


「中くらい……かな……」


 下にはどれくらい人がいますか?


「少しですけど、多分二人か三人かな……立って何か話をしています」


 それはこちらでも聞こえます。


「飛び降りて地面にぶつかるだけで死ぬことってできますか?」


 高さが微妙なところですが……頭から飛び降りてみましょうか。

 頭がグシャグシャになれば、生きていることも不可能です。


「やってみます」


 先に行ってしまったあなたの恋人に会えることを祈っています。


「ありがとう」


 電話を崖から放り投げたらしく、固い衝撃音がした。

 

 肉をぶちまける音がした。



 ※追記

 後日について。

 ニュースに「女子高生二人が線路に投身自殺」と文言が出たため、彼女二人の自殺は成功したものと思われる。

 ただ、機構の仕事がなくなったわけではなくて、おそらく彼女たちのそれぞれの遺族に対象が移ると思われる。

 生きていればそれだけで対象だ。俺達だってそうだ。何かに絶望する素振りを見せれば、彼らはすっ飛んでくるだろう。

 注意せよ。
















 ここまで読んだ奴らに質問させてほしい。




 彼女を突き飛ばした彼女は、傲慢だと思うか?


 それとも一種の愛だろうか?


 ここにいる人間なら、答えは一つしかないだろうさ。

 

 そんなことはわかってるんだ。










 けど、俺は逆だ。




 わからなくなってる。

























 俺がやったことは正しかったのか?











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る