機構と協会の話

『13』の続きを読んでいたら手記自体がそこで途切れていたので恐らく去ってしまったのだろう。あの文章の様子だと、もう死んでいるかもしれない。


 研究所に来たばかりの人間の中でこの手記を呼んでいる人間にとっては、絶望保全機構など「それっぽい漢字を組み合わせただけの架空の団体」としか見えないだろう。

 なので、絶望保全機構、及びその対立的立場にある希望安全協会について付記しようと思う。どうせ多くの研究員は、いずれこの二つの団体と衝突せざるを得ない状況に置かれるので、予習として役に立てば幸いである。

 その前に、希望と絶望について説明する。


 人間というのは生きている限り、希望と絶望を交互に持つ。

 ……持つ、という表現が少し適切ではないように感じたり、より適切な解釈を求める人間のために、他の研究員の手記にも書かれている似たようなことを引用すると、

『我々は希望と絶望を既に持っていて、その濃度が交互に変わる』

『希望が強い状態と、絶望が強い状態の二つがあって、その二つの状態が交代している』

『希望と絶望を混ぜ合わせて、更に、絶妙な量にまで希釈したものによって私達は生きているため、強い希望と強い絶望それぞれのみが台頭するような状況にそもそも直面しにくい』

『希望と絶望の原液を薄めながら生きている』

 最後の引用だけ、私の別の手記からのものだ。希望と絶望の原液がある。美味しいジュースと不味いジュース、それぞれの原液があると考えてほしい。

 我々はその原液を、生命という水で薄めて飲んでいる。それがつまり生きるということである。より正しく表現するなら、自発的に飲んでいるわけではなく、飲まされているのだ。

 飲めば量は減る。だから減った分を補うように水が注がれる。ジュースの味は薄くなるが、量は変わらない。濃度が原液に近いほどこの二つは強く、薄めれば薄めるほど弱くなっていく。

 注意したいのは、別に飲み干してしまっても死ぬことはないということだ。

 あくまでもなくなるのは原液であり、これがなくなっても水は注がれ続け得る。原液がなくなってしまえば、絶望も希望もない無味無臭の生命の水だけを延々と飲み続けることになる。

 ここでの「死」は、原液や水を受け止める器が壊れた場合だ。こぼしたミルクを嘆いても仕方ないし、器自身が嘆くことはできない。

 機構や協会がやっているのは、「いかにして原液を純度の高いまま抽出するか」だとか、「脆い器を壊さない」だとか、あるいは「原液を新たに発生させることはできるのか」だとか、そういうことだ。名前と対象が違うだけで、この二つの団体は、やっていることがさほど変わらない。彼らの対象が、それぞれ希望と絶望とで分業しているだけだ。

 研究所との違いは、自死をさせないところにある。

 彼らは決して命を落とさせはしない。死んだら希望を持つことができないと言うのと同じように、絶望だって持てやしないからだ。死にたいという人間を研究所よりも早く見つけたならば、真っ先に自殺をやめさせて生き地獄に突き落とす。生きることが絶望なら彼らにとってはますます都合がいい。生きてもらうだけで利益になる(私見だが、恐らく絶望の原液がその時点で発生していてもおかしくはないだろう)。

 見えてる絶望よりも見えない希望の方がより絶望の濃度は高くなる。そのため、「あなたは死ぬことができる」みたいに嘘の希望を持たせるという悪質なことまでやっている。彼らにしてみればそれは別に嘘でもなんでもない。ただ「すぐに」とは言わないだけだ。

 彼らは死ぬという権利を剥奪している。それは立派な人権侵害でもあるが、世間はこの見解とは真逆のものを持つ。自殺の阻止を人権侵害とは見なしていない。社会は自殺を止めることを美徳とし、道徳や倫理の側面から人の死を意図的に否定している。それはつまり、人々の「死にたい」という気持ちを図らずも否定しているようなものであり、許されることではない。連中はそうした非人道的なことを平然とやっているのだ。

 彼らにとっての希望である、「絶望案件」に関して一つ話でもしようと思ったが……どうも時間がないので別の機会にでも。

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