13
「自殺する準備も勇気も整ってるんです。でもきっかけがほしいんです」
「きっかけですか」
「はい。
考えてみてください。
たとえば街で通り魔的な無差別殺人が起こるとしますよね。それで、皆がその通り魔から逃げ惑う中、殺されようと通り魔に向かっていこうとする。こういうことです」
「うーん……つまり、直接的に、自分自身で自殺をするのではなく、誰かに殺してもらおうということですか?」
「そうなります……かね。そりゃあ、いざって時は自分で自分を殺しますけど。
でも通り魔が目の前にいたら、自分としてはラッキーだと思っちゃうんです。
だって自分で自分を殺す必要がないんだから」
「なるほど……」
自殺願望かどうか、この時点で私にはもうわからなくなっていた。
もしかすると、希死念慮に近いかもしれない、とも。
久々に希死念慮観測所に通話を転送することになりそうだな、とまで。
いざという時は、と彼は言う。
ならば「いざ」は永遠に来ないかもしれないとまで考えられる。
「それでそのまま殺してもらって、あわよくばこちらからも反撃しちゃったりして、通り魔と相打ちになって……とか」
ああ……。そうだ。
こういう人間だ。
一番対応に困る人間だ。
私が一番嫌いな人間だ。
妄想ばかりで実行も計画もしない。
準備も勇気も整っていて、きっかけが無いと抜かすのであれば、それは勇気がないも同然だろ?
準備も勇気もあるならさっさとすればいい話だ。
なのにきっかけが欲しいと言い訳をしているのだ。
希死念慮のほうが近いかもしれない。
「少し残酷なことを言ってもいいですか」
私はそう切り出す。でないと、いつまでも無言の状態が続くからだ。
そして、今一つわからないのは、彼が解決を求めているのか、あるいはただ単に共感してほしいだけなのか、だ。
自殺しようか迷っているのであれば、迷わず自殺すればいいと助言するのだが……彼の場合、その迷いが本物かどうかがまず定かでなさすぎるところに問題がある。
「なんでしょう?」
「あなたは今、どこにいらっしゃるのですか?」
「どこ、と言いますと」
「自殺しようか迷っていたり、自殺すると決意した後に電話をかけてくる人たちの通話は、時折ではありますが聞き取りづらいんです」
「私の声が伝わりにくいですか」
「いえ、あなたの声はよく聞こえています。それはもう鮮明に。
でも、だからこそ質問しています」
「なんのことかさっぱり……」
「声を聞き取りづらいのは、高所などにいて、風の音を声と一緒に電話が拾ってしまうからでして……何を言いたいかわかりますよね?」
「えーっと……」
「何故あなたは今、高所に居ないのですか?」
「それは」
「その気になれば飛び降りることもできるんですよね」
「あの、」
「今すぐ高いところから飛び降りてください」
「やめてください」
「死にたいんですよね?」
「そうですけど」
「だったらカッターか包丁で今すぐ手首を勢いよく切ってください。切り落とす勢いで切ってください。血の流れが止まらないように水を流してください。切ってください。流してください。長いタオルをドアノブに固定してください。頸動脈を圧迫してください。首を絞めてください。血液が脳に流れるのを防いでください。息を止めてください。大量の醤油を一気に飲んでください。サラダ油を全身にかぶって火をつけてください。薬を処方されていたなら全て飲んでください。浴槽の水に浸かってドライヤーの電源を入」
「もういいです」
「いいとは?」
「死ぬのはやめます」
「本当に?」
「やめます」
電話が切れる。
私の頭の中の回路もなんだか切れそうだ。
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