忘却不可能な記憶の不可逆性について

 とはタイトルを打ったが、特に碌な事は書いていない。


 先日、遺族から電話がかかってきた。

 研究所にて相談を受けた人間が自殺を遂げたとのことで、遺品整理の最中だという。恐らく発信履歴などを見たのだろう。謎の電話番号が書かれていて困惑したのかもしれないし、最期の通話相手がどんな人間だったのかも気になったんだとは思う。

「あなたは誰なんですか」

 マニュアルによれば、包み隠さず本当のことを答えることになっている。たとえ遺族に何が起ころうとも。

「我々は自殺願望研究所という機関です」

 相手は何も言わない。言えないんだと思った。「……その、」そんな名前今まで聞いたこともなかった、みたいな反応は、これまで何度も聞いてきたものと同じだった。

「あなたが私の親に自殺しろと言ったんですか?」

 時々だが、こういう誤解を受ける。名前が名前だし当然といえば当然だ。

「残念ながら、あなたの親御さんから、研究所に相談の電話をかけてきたのです……死にたい、と言っておりました」

「お父さんが死にたいだなんて!」急に音が割れるような声になり、私は通話の音量調節をいつでもできるように準備する。「……そんなこと、お父さんは言いません」案の定、急に小声になる。「死にたいだなんて思ったりしません」

「ご家族に余計な心配をかけまいと、こっそり電話してくる方はたくさんいます」

「うちのお父さんに限ってはありえません。家じゃいつも笑ってた。暗い顔一つしなかった」

「では、遺書もなかったのですか?」

「いえ……遺書はありました。踏み台みたいに積まれた父の書いた本の中に挟まっていました」自著を踏み台に首でも吊ったのだろうかと思い、そしてマインレンダーを思い出す。「父は本当にこの番号に?」

「着信履歴から辿ったのであれば、研究所とお話させていただいた可能性は高いかと……ただし私とは限りませんが」

「そうですか……」電話口が無音になる。「あの、何を話したかとか、そういう会話の内容などは」

「通話が記録されている可能性は低いかと……もしあったとしても、御本人の意向などを考慮する必要があります」

「でも、私の父なんですよ」

「ええ、それはおっしゃる通りです」

「それに、もう死んでいるんです」

「そうですね」

「意向を考慮する必要があるんですか?」

「あります」そこだけはきっぱりと断った。断らなければならないからだ。そもそも通話記録はそうそう残らない。何かない限り、基本的に四十八時間で別の通話記録に上書きされる。「通話記録が残っている可能性がそもそも低いのです」

「なぜ?」

 なぜって。「基本的に、いつまでもデータとして残したりはしません」

「最期の言葉を聞けないじゃないですか……父親が、死ぬ間際に、何を言ったのか。血の繋がっていない他人でしかない人間がそれを聞くことはできるのに、血の繋がっている親族が聞けないのはおかしいじゃありませんか」

「おっしゃる通りです」私はこういうのをクレームと呼んでいる。他の人間にしてみれば正論かもしれないけど。

 少なくとも私にはノイズでしかなかった。

「上司の方を呼んでいただけますか」通話口の人間は怒っている。父親の自殺間際の声をどうしても聞きたいのか。そこまでして?

 私は、「それはできない」という内容を伝える。

 通話口の人間、というか自殺した父親の娘は、やっぱりその返答に対してさらに激昂する。

「申し訳ありません」と付け加えてみる。

 更に口調も声も昂ぶって荒ぶっていく。ありえない。まちがってる。そんな風に声が聞こえた。聞こえた、というのは、そんな風に解釈するしかないくらいにあやふやな滑舌だったからだ。

「申し訳ありません」と、もう一度。

「あなたには人間の心ってものが無いんですか」

 唯心論は嫌いだ。「そういうものは信じないんです」

「……」彼女にとっては予想だにしなかった答えなのだろう。

 何も言えないのをいいことに、私はこう言った。「あなたには最低でも二つの選択が残されています。それは言わば私にご案内できる方策とでもいいましょうか。あなた自身が何かお考えをお持ちなら、私はその考えを尊重します」

 娘は何も言わなかった。

 私は続ける。

「まず一つ。一般的ですが、一旦この電話を切った後、もう一度研究所へおかけ直しいただくことです。再度私があなたの電話に出るような可能性は存在しません。必ず別の人間に繋がります。そちらの方には申し訳ありませんが、もう一度お話をしていただくと良いと思います。父親の最後の言葉が聞きたい、研究所にてどのようなお話をしたのかを知りたい、と。運が良ければ、お父様がどのように言ったのかを聞くことはできます」

 返答が何も無いので二つ目を言う。

「そして二つ目ですが、お父様と同じように、首を吊って死ぬことです。そうすれば」

 ここで通話は切れた。

 少々意地悪なことを言っただろうか。

 

 + + +


 このように、着信履歴からこの研究所の番号に辿り着いた人間もいる。死ぬ直前にここに電話をかけている、ということを携帯電話から突き止めることがほとんどだ。二番目に多いのは、紙にメモされた謎の番号に電話をかけたらここに繋がった場合だ。

 殆どの場合、完全に忘れられるということはなかなか叶わない。

 一時的に忘れていても、完全に忘れているわけではない。その人間が存在した限り、周囲の人間の一部は自分の中にその人間の存在を残し続けている。『名誉に沈む』のタレントほどではないにせよ、世の中の人間は、消えた存在を忘れてはくれない。そこには必ず不可逆が働く。

 その人間の存在を記憶した以上、完全な存在の抹消は叶わない。修正液で書き損じを修正しても、書き損じたという事実と痕跡は残る。それと同じだ。

 電話をかけてきた娘のように、消えた存在をいつまでも追い続ける。

 彼女はその代表例だ。

 研究所のローカルメールに記されていたのは彼女のことである。もう二年は続いている。ずっと、研究所に電話をかけ続けては、同じような事を言って、無理難題を押し付ける。クレーマーと呼んでも差し支えない。

 彼女以外にも、というか彼女のようになる手前まで来ている予備軍は無数にいる。「あいつのことが忘れられない」という相談めいた電話も時々ある。念の為に書くけど、研究所は相談機関なんかじゃない。ただ話を聞いてもらうという部分は合っていてもだ。

 あとは「この電話で何を話したのか」とかだろうか。まさしくその彼女のことであるが。遺族とはいえ機密情報であることに変わりはないので、教えられることはない。当たり障りのないことを答えたりすることもあるけど、だいたい拗れるからオススメはしない。

 その末か知らないが、挙句の果てに「自らも死のうと思う」と電話で即決したりする。『火葬場の煙突』を記した彼女がそうだったように。死は死を招くし、自殺は自殺を招く。

 だが……対処法としては適切だろう。即席の感情にせよ、死にたいとそこで思ったのならば、我々としてはどうぞ安らかに、と餞の言葉を送るのがベストだ。

 悩むくらいなら死んだほうがマシだろう?

 死ぬことに対して悩むほうが馬鹿げてる。

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