第5章『現(うつつ)』

037『八島技研:火災警報』


 〝知らない天井だ……〟――言ってみたかっただけである。


 この部屋に窓はない。天井も壁も床も、ただ白い――。

 明かりは天井に取り付けられた一メートル四方のパネル全体が光る方式で、それが四枚嵌っている。恐らくLED照明だろう。外へと通じる扉はセンサー式のスライドドア……。何も予備知識も無ければ近未来を想像しただろう。

 枕の横にはハートレートモニター(心電計)と脳波計らしきもの。足元のワゴンには点滴らしきものが乗せてある。

 ここは、八島技研のB棟臨床実験室だ。案内された時に少し見た。


 喉に差し込まれた気道確保用のチューブを引き抜いた。

「おえ……ゴホゴホ……」――あれ、右手がうまく動かない……。そりゃ、そうか六日間も寝たきりだったのだ……。

 右手をニギニギしながらなんとか額につけられたリング状の計測器を外した。

 どうやら着せられているのはあの上下セパレートの例の白の病院服だ。

 左手に点滴用の針が刺してある――。固定用のサージカルテープを引きはがし、針を抜く。

  足もうまく動かない。腰を左右に振り、少しずつ足を動かす。腰、膝、足首、足の指……。徐々に徐々に動かして言う事を聞くようになるまで動かす。


 ――よし!

 両手を使いベットでゆっくり腰を起こした。

「がはっ!」身体中がバキバキ言った!――くそったれ!

 体を揺すりコリをほぐす――。ブンブン振ってさらに動かす。

 何か左の胸にコツンと当たった。服を覗くと胸の中心に電極が貼ってある。――まあ良いか……。


 ――くそ! 喉もカラカラだ。水は……。

 のろのろとベットの上を這い、足元のワゴンの上の点滴に手を伸ばす。

 先程外した針をぶっ刺して滴る雫を口で受けた。――はぁ~、生き返る……でも、ちょっと塩っぱい。


 マヒトの言葉を信じれば、ここはマヒトの居る階層より上の階にいるらしい。彼女は私の気配が判る。臨床実験室は二階と三階だったので多分そのどちらかだろう。


 暫く落ち着いてから、足元にある点滴スタンドを引き寄せて、それを杖にしてベッドから立ち上がる。

「うおっ」足が生まれたての小鹿の様にプルプル震える!


 一旦ベッドに座り直し、もう一度。

 今度は何とか立ち上がれたが、膝がガクガクする。点滴スタンドを杖にして一歩ずつゆっくり歩いた。


 突然! ハートレートモニターが『ピー!』とけたたましい警告音を発した。

 胸に張ってあった電極が外れてしまったのだ。


 ――まずい!

 私は扉の横で点滴ホルダーを掴んで身を潜めた……あれ?

 誰かが駆け付ける様子もない……。

 扉の前に立ち扉を開く。普通に自動で開いた。


 隣室に入る……。

 テーブルの上には複数のモニター。臨床実験室の映像が映し出されている。心電や脳波の記録もあるようだ。だが誰もいない? 何故?

 奥の棚に段ボールに入った経口補水液のペットボトルが見えた。

 私はそこへ近づきおもむろにペットボトルを取り出し口へ含んだ。――うまい! 身体に染み渡る。もう一本……。


 その時、天井に設置されたスピーカーから音声が流れた。


『ウー! ウー! 緊急避難警報発令! 緊急避難警報発令! B棟職員は直ちに避難してください! 繰り返します、B棟職員は直ちに避難してください』

 ――成る程、どうやらすでに地下でマヒトが予定通り騒ぎを起こした様だ……。それなら私も行動を起こさないといけない……。

 私は廊下へと通じる扉の前に立った。


 開いた扉から廊下の様子を伺う。

 誰もいない……既に避難を終えたのだろう。

 杖を突きながら廊下へと出た。


『ウー! ウー! 緊急避難警報発令! 緊急避難警報発令!…………』時折、思い出したように警報が発せられる。

 恐らくエレベーターホールだろう……当たりを付けて少し広くなっている方へと私は進んだ。


 エレベーターホールに辿り着く。ここには自動販売機と三基のエレベーター、そしてお目当ての――非常警報装置のボタンがあった。

 消火栓と書かれたボックスに付いているベルの形の赤いボタン。そのボタンを私は戸惑いなく押し込んだ!


「うお!」

 ジリリリリリリリリリリリ! とけたたましくベルが鳴る。

『火災警報発令! 火災警報発令! ウー! ウー!』とアナウンスが流れる。

 これでこの建物の規模なら警報が消防署に伝わるはずだ……。


 ――でも、まだだ。

 私は杖として持ってきた点滴ホルダーを振りかぶった。

 そして、天井の突起……スプリンクラーへ目掛けて叩き付ける!


 一回目は掠っただけ。二回目! まともに当たり変形した。もう一回!

 三度目でスプリンクラーの先端が取れて水が噴き出した!


 取れた先端から滝の様に水があふれ出す。

 水圧が下がったせいだろか、廊下のスプリンクラーが次々と水を吐き始めた。


 スプリンクラーまで作動した場合は、いくら誤報だと伝えても、消防署の職員立会いの下検査を受けなければいけない。だから、必ず職員がここに駆け付ける。


 ――これで良し。


 そして、私の想像通りの事態が外で起こっているとしたら後 “十五分” で全てが片付く。


 ――さて、それまでに、何とかマヒトとセイラの身柄を確保しなくては……。

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