036『決壊:目覚め』
セイラが此方を見つけ駆け寄ってきた。
「無事だったのね」
「ああ、大丈夫だ」
「これで無事帰れるのね」
「ああ」
私たちは崖の端に設置された篝火の元へ進んだ。
村人たちは心配そうに村の方を見ている。
その中からマヒトとさくらさんが歩み寄ってくる。
「色々とお世話になった、感謝に堪えぬのじゃ、浅見殿」そう言ってマヒトは丁寧にお辞儀した。
「いえ、お気になさらずに」
答えながら、ポケットから懐中時計を取り出す。時刻は既に十時四十分……あれ?
「心配せずとも大丈夫じゃ。ここは妾の世界じゃ、終わりの時は近づいて居る……」
そう言ったマヒトの表情はどこか寂し気であった。
ここからは月明かりに照らされた村が一望できる。私は村人たちと並び村を見渡した。
足元の段々畑。鬱蒼と茂る深い森。その所々に見える民家の屋根。村の中心には泡嶋神社。その向こう側に威容を誇る巨大なダム……。
その時……。
突如、ズーン! と腹の底に響く音が轟き渡る!
「きゃぁ!」村人たちの中から悲鳴が上がる。
もう一度、ズーン! と音が響く。今度はビリビリと地面も揺れる。
「お、おい、あれ!」誰かの声がした。
ダムからもくもくと土煙が巻き上がった。
さらにもう一度! ビリビリと地面が揺れる!
「うお!」「お、お、おい!」
ダムの壁面に大きな亀裂が走る。ダムの向こう側から大きな水煙が上がった。
次は音ではない! まるで地震のような揺れが来た!
それと同時にダムの壁面から水が吹き出した!
一瞬である……。
ダムから噴き出した水は一瞬でその量を増し、ダムは吹き飛ぶように崩れ出した!
〝決壊!〟
ダムであったコンクリート、周囲の土砂や森も巻き込んで一気に泡嶋神社に襲い掛かかった!
何もかもを飲み込んで押し寄せる土石流。
木々を押し流し、泡嶋神社を巻き込み、民家を飲み込み、吊り橋を破壊して、その深い森を沈めていく……。
「「「あ、あ、ああああああああぁぁぁぁ」」」慟哭、嗚咽、すすり泣き、むせび泣き……。
そして、最後に……
「………………」
沈黙があった。
誰もがその光景を無言で見守った。
その時、背後の黒穴からバシュ―と勢いよく空気の抜ける音が上がった。一瞬にして水に飲み込まれた村の中央。神社のあった辺りに巨大な渦が出来上がる。
「何だ!」
その声に横に並んだマヒトが囁くように答える。
「成る程、村の地下には巨大な鍾乳洞があったのじゃ。恐らく振動で崩落が始まったのじゃろう……」
――十吾さんの言っていた根の国の事か……。
泥沼になった西の沢村の中心に出来上がった渦が、全てを飲み込む。村が徐々に沈んでいく……。周囲の崖が崩れ、流された建物も木々も土砂さえも渦の中へと消えて行く……。
青白く照らされた月の明かりの下に……。
何も残らない……。
ただ、対岸に半壊した西沢渓谷温泉だけを残し、全てが消えていく……。
むき出しとなった地面……。
水と泥だけが……。
その時が最初である……。
ひしりと抱き合った四人の家族が淡く緑の光を放ち、徐々に光の粒になって夜空へと昇っていく。
それを最初に、次々と村人たちが光の粒となり始めた。
「あ……」私は思わず声を漏らす。
家族で手を繋ぎ、そして抱き合い、幾人かはマヒトに小さな声で別れを告げた。
「さて俺も行くか……」掠れるような多賀谷の声。
「秋坊……息災でな……」マヒトが答える。
「ああ、母さん……」パンと弾けて光となって昇っていく。
十吾さんがさくらさんとお花さんを同時に抱きしめる。
名残惜しそうに強く抱きしめたその体が徐々に光の粒になる。
「好いとおけんな、さくら……」
「貴方様も息災で……」
さくらさんだけを残し十吾さんとお花さんも逝ってしまった。
光の乱舞。
夏の夜空にゆらゆらと舞うホタルの様に……皆、昇っていく。
高く、高く……星空に消えて行く……。
光が星になっていく。
さようなら……
後には、私とセイラとマヒトとさくらさんだけが残された。
「さくらさん……」
「心配せずともさくら殿は、すでに妾の式神となっておるのじゃ」察したマヒトが答える。
「……」
――ん? あれは、何だ!
突如、温泉の向こう側、山肌をものすごい勢いで白い霧が迫って来た!
周囲の山から霧が村のあった場所を滝の様に流れ込み覆いつくす。村人全員の記憶を頼りに広げた村が一気に霧に覆われていく。
背後の蓮池の山の方からも霧がおりてきた!
ドーンと音がしたかのように一気に霧に覆われ、あっという間に周囲が真っ白になった。視界が全て白に埋め尽くされる。少し肌寒い……。
「これで終いじゃ……」寂しそうなマヒトの声が辺りに響く。その頬は濡れている。さくらさんが慰める様にそっと抱きしめた。
「……術を解かねばな……」
マヒトがそう弱弱しく言って印を結ぶのが見えた。
〝夢幻の如くなり……〟
そして、次の瞬間、私はベットで目を覚ました。
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