021『経緯:手鏡』


 それから、しばらくの間マヒトと会話を交わし、私は村人を説得する事を了承した。


 元々はマヒトはセイラにこの事を頼むつもりでいた様だ。だがセイラはあの事件で酒蔵に引き籠ってしまい対話が出来なくなってしまった。そこへたまたま私が現れた……。うつつでの私の気配を感じ取ったらしい。


 生きた人間の魂をここへと誘うのには、いろいろな条件が合う必要があるのだそうだが、私は偶然それに合致していたと言う事だ。

 そして、急遽私の魂をこの世界へと取り込んだマヒトは、世話役である十吾さんの元妻さくらさんに言って墓所まで呼びに行かせたが、発見した時には私は既に崖の下で意識を失っていたそうである。他の村人にあまり知られたくなかったマヒトは、私を密かに西沢渓谷温泉へと運んだのだった……。

 以上が私がここへと呼ばれた時の経緯である。


 メモについては、マヒトにも良く判らないそうである。ただ彼女の生きていた時代までにはリング製本のメモ用紙の存在を知らない様子なので、私の記憶から生成されたもので間違いない。気を失うときに手に持っていたのでどうやら私が自力で作り上げたものであるらしいとのことだ。

 セイラのシグナス権限停止についてもマヒトは知らない様子だ。機械に詳しくないマヒトは、セイラ達が奇妙な術を使っていると認識していたらしい。

 後、救助に入った二名の存在も彼女は知らなかったが、私が来る二日前にダムの方で銃声を聞いていた。村に来る前に運悪くダムへと向かったと考えられる……。


 そして、問題はこの世界の外側……現実世界の方では何か碌でも無い事が起きようとしているのかもしれない。

 研究リーダーのセイラを眠らせたままで、外で別の研究が始まっている……そんな想像が頭をよぎる。

 マヒトは外の世界での死の気配を感じ取り、このまほろばの中でアマヌシャを作り出してしまったそうだ。


 同時に私は八島技研の警備員の募集要項を思い出していた。

 〝急募! 施設警備員! 年齢不問。健康体で体力に自信のある方。早出、深夜勤務在り。シフトの変更の都合により急遽二十四時間勤務になる場合が在ります。〟 今思い出しても結構ブラックな条件だったな……。

 元の職場は長時間残業当たり前。急な出張も頻繁にあったので気にも留めていなかったが、この条件に合うのは、健康体で独身男性、一日程度いなくても問題にならない人物と言う事になる……。まさかな……。今はあまり考えない様にしよう。

 だが、なるたけ早くにここを出る必要があるようだ。そのためにも村人を説得し、マヒトに目覚めてもらわなくてはならない。


「これを持っていくのじゃ」

 そう言ってマヒトは古ぼけた小さな青銅製の手鏡を手渡した。


「これは?」

「妾の使いである証じゃ。それを掲げればアマヌシャにも襲われぬし、皆も話を聞いてくれる」

「わかりました」

 私は何時でもすぐに取り出せるように胸のポケットの中へそれを仕舞った。


「それで、もう一つお願いがあるのじゃが……」何やら言い難くそうにマヒトはモジモジしながら言った。

「……なんです?」

「ここから出ていくときに、その、村人に見つかれぬよう、神社の裏手を回って行ってほしいのじゃ……」

「えーと……」――神社の裏手には沢山のアマヌシャがいた。手鏡があるとはいえ、出来れば通りたくはないのだが……。


「いや、このような時間に妾の寝所から男性が出てきたら、村の男たちに問答無用で襲われると思うのじゃ……」そう言いながらマヒトは恥ずかしそうに横を向き少し顔を赤らめる。

 ――あー、うん、確かにそんな誤解は受けたくないな。「わかりました」

 これが戦前教育の正しい在り方なのだ……。リア充、死すべし。


「それでは、一旦帰らせてもらいます」私はそう言いながら雨具のマントを身に着けた。

「よろしくお頼み申す。浅見殿」

 マヒトが床に三つ指を付き頭を下げる。


「はい」そう言い残し私は社を後にして、本殿へと続く石段を急いでおり始めた。



 大分、静かにはなっているが、本殿ではまだ宴会が続いている。時折、大きな話声や笑い声が響いて来る。

 それを聞きながら石段の途中から南へ降りる階段へ反れ、本殿の裏口へと降りた。

 この道の先。石垣の向こうの暗がりにゆらゆらと蠢く青白い影。

 私はおもむろに胸ポケットから手鏡を取り出した。


 ズザッ! という擬態音がするくらいにアマヌシャたちが後退る。

 ――某氏の印籠以上の効果だな……。大人しくなるといより、恐れているように見える。この暗がりでも効果を発揮している所を見ると、単なる鏡ではなく何かの術を施した所謂 〝呪物〟 の類だろう。これは便利な物を手に入れた……。しかし……。


 もし、これを軍の連中が手に入れていたらと思うとぞっとする。多分マヒトはアマヌシャを利用されることを恐れこれをワザと渡さなかったのだ……。単にこのまほろばの中だけでしか使えない代物かもしれないが……。


 私は建物の陰になっている暗い夜道を探る様にして進んだ。

 暗闇の中一番近くに居るアマヌシャに目を凝らす……。高さは四メートル位で手足が異様に長く肌が死人の様に青白い。頭髪も眉毛も無いので人相は分からないが血走り大きく見開かれた目は虚ろである。口は大きく開かれ何やら常に呻くような声で人語らしきを発しているが、何を言っているのかは聞き取れない。そして服装……。薄い布地のゆったりとした白い半袖・半ズボン……やはり入院患者が着る病院服によく似てる。


 マヒトはこのまほろばで生まれたものでは無いと断言していた。やはり外で何か起こっていると考えた方が良いのか……。

 私は注意深く進みその場を後にした。神社の西側を大きく回り鳥居のある南へと抜けた。


 鳥居の横の社務所の裏にも一体のアマヌシャがいた。茶色のズボンはびりびりに敗れ布切れと化しているが、グレーのワイシャツに襤褸布と化した白衣を着ている。これが恐らくセイラの助手の米沢だろう……。


「あんたも災難だったな……」

 私はそう呟き、そっと手を合わせたのだった。

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