022『多賀谷秋穂:和泉田十吾』
私は急いで社務所の横を通り過ぎ、吊り橋のたもとにある小田商店の前へとやって来た。
雨除けのひさしの下へ入りランプを取り出す。ここと吊り橋には電気が灯っているがその先、温泉までが暗いのだ。
ランプに火を灯そうとマッチを取り出した、その時……。
「おい、そこで何してる!」男の声が響いた。
振り返るとそこにはあの二十代前後の山伏男が立っていた。
――こんな時間まで熱心な事で……。
「帰り道が暗いから、明かりをつけようとしている」
「怪しい奴だ!」そう言って手に持っている錫杖の様な棒を振りかざした。
「私の名前は浅見真。あんたが宮司の
この男の事はマヒトに聞いた。三月に急死した先代の宮司・多賀谷伊織の息子で、つい最近まで跡を継ぐため東京の神社で修業をしていたそうである。――ん? と言う事は若く見えて意外と三十歳くらいかもしれない……。
ちなみにマヒトはここのまろうど(客人)の立場の巫女である。
「な、何故、それを知っている!」
「マヒト様に聞いた」
「な、なにー!」何故か顔を真っ赤にして怒っている様子だ。
――深夜にうるさい奴だな。
「ほれ」手鏡をかざす。
「・・・・・・」金魚のように口をパクパクさせている。
――ただの鏡なのに見ただけで判るのか? 効果絶大だなこれ……。
「朝になったらまた来るよ」
私はそう言ってマッチを擦ってランプに火を点け、瓶の中へと納めた。
呆然と立ち尽くす多賀谷を置いて私は吊り橋を渡った。
――しかし、この調子では説得が少し大変そうだな……。
吊り橋からダムの方を見上げる。ダムの上部と管理棟には明かりが灯っているのが見えた。
「話し合いがうまくいったら、あれも何とかしないといけないな……」私はひとり呟いた。
無事宿に辿り着いた私は裏口へと回り込んだ。
――結構泥だらけになってるな……先に風呂を浴びよう。
裏口から離れにある温泉へと向かい、脱衣場の扉を開ける。
――おや? 誰か人が入ってる? ま、まさか……。
籠の中に誰かの衣類が入っている。この宿にいる人間は……。
期待を込めて露天風呂の扉を開く……。
「何だ、十吾さんか……」
湯煙に浮かぶ小柄な初老の男性。
「ははは、今からお風呂に入りんしゃると」朗らかな声で十吾さんは言った。
「ええ、ちょっと寝付けなくて」と言いながら手桶を掴みかけ湯する。
「よかたい、よかたい、入りんしゃい」
「はい……」
私は誘われるままにどっぷりと湯船に浸かった。
だが……その時見てしまった……。十吾さんの左胸から右の脇腹への刀傷……。
「ここの湯はええ湯たい。疲れもしっかりとれるたい」
「そうですね……あの、十吾さんは戦争に行かれたんですか?」
「ん? ああ、この傷は昔、やんちゃした時の傷たい」
「……」――嘘である。喧嘩などではなく、明らかに日本刀のような長い剣で袈裟懸けに斬られた傷である。戦場ででもなければこんな傷を負うはずは無いのである……例えばサーベル。なので、私はもう一度聞いてみた。
「あの嘘、言ってすみません、今、私はマヒト様に会ってきました。なのである程度事情は知っています。その傷は峠のトンネルのところにいた軍人に付けられたものですか」
「そげんか……そいなら黙ってても仕方なか、こいは助けを呼びに行こうとして斬られた傷たい……」
十吾さんはしっかりと落ち着いた声で語り始めた……。
七月十一日未明。突如の轟音で目を覚ました十吾さんは、表に出てすぐに村の惨状に気が付いた。そして助けを呼ぼうとバス道を駆け出し、トンネルであの満州第百部隊の連中に出くわしたのだった……。
すぐに事情を説明し助けを求めたが誰も耳を貸さない。ならばと街まで走ろうと駆け出した時……声を掛けられ振り向くと……。
白刃が目の前を通り過ぎたのは、一瞬の出来事だったそうである。
斬られて意識を失った十吾さんはその場に倒れ伏した……。
そして、気が付くと十吾さんは修験者の一団に介抱されていた。村の異変に気が付いた多賀谷によって村の周辺には修験者たちが密かに集められていたのだった……。当時まだ若かった十吾さんはこうしてなんとか一命をとりとめた。
――意外に真面目な仕事をしてるな、あいつ。
その後、修験者たちによってこの惨状は帝国陸軍中央に報告された。しかし、満州事変を起こす少し前から対立を深めていた関東軍の回答は知らぬ存ぜぬの一点張りだった。国内においてこのような問題を起こされた帝国陸軍は、メンツを保つためこの事件の情報を秘匿する事に決定したのだった……。
関東軍が事件を起こし、隠蔽は陸軍が行った。村の資料は満州に持ち去られ、日本国内では帝国陸軍特務機関が証拠を隠滅した。恐らく周辺地域に緘口令も敷かれたのだろう。――これではセイラが調べても判らない訳だ……。
十吾さんはその後、療養のため山口県の岩国市に住居を移し、そこで介抱をしてもらっていたお花さんと再婚した。そこではラムネ屋をやっていたらしいが、晩年になってこの奥の沢(西の沢は既に廃名)の山向こうの蓮池に西沢温泉を再建したらしい。
「それでなぜ、私に村の事、聞かせてもらえなかったのですか」私は十吾さんに聞いてみた。別に悪気は無かったそう信じたい。
「そいは……浅見さんはこの村の事を見てどう思いんしゃる」
「え? この村の事ですか……それは素直に美しい村だと思いました……」
「それを偏見無しで聞きたかったからばい」
そう朗らかに答え、十吾さんはその深い皴の刻まれた顔をしわくちゃにしながらほほ笑んだ。
私たちは暫く二人で湯船に浸かり語り明かした……。
服を簡単にお湯で洗ってから、私は裸のまま自室に戻った。
そして、浴衣を探そうと部屋の電気を付け、驚いた。
――何故? 布団が二組並べて敷かれてる?
当然その布団には……浴衣をはだけさせあられもない姿で寝息をたてて眠る一人の女性の姿。セイラである。
「こいつは……」
――何を考えている?……もう、知らん!
浴衣を着こんだ私は空いている方の布団に潜り込み、そのまま眠りに就いたのだった。
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