011『西条:酒瓶』


「おい、Unknownとはどういう事だ」私はセイラに向かい問いただす。

「わからない、文字通り正体不明よ……でも少なくともシグナス経由で接続してない事は確かね。何か別の方法であなたはここに居るのよ……」

「それは別の装置でと言う事か」

「こんな特殊な装置、シグナス以外には存在してないわ……あなたの方には覚えは無いの」


 あの時の事を思い出す。……やけに筋肉質の石堂という男について警備の巡回ルートの説明がてら、施設内を案内してもらっていた。……A棟管理室を出て、A棟を巡回し、B棟へ……エレベーターで五階に上り非常階段で各階をチェックしながら下に降り、地下三階の最重要施設を少し見せてもらった……。二重のロックの扉を潜り、ガラス張りの廊下から中を覗く……中には得体のしれない機械がひしめき、特殊な装置のついたベッドが並んでいた……。その時、何かたわいもない会話をしながらメモを取っていた記憶はあるが……そこで記憶が途切れている……。

 いや! 最後の一瞬、視界がぐらりと揺れた……なにがあった? 誰かに何かされたのか? それとも……。視線が……少女……。だめだ、思い出せない! 何か途轍もなく嫌な予感がする……。


 私はふらつく頭を右手で押さえ質問した。「なあ、もしかしてそのシグナスって機械はB棟地下三階にあったのか?」

「ええ、そうよ。なにか思い出した?」

「その部屋まで行った記憶はあるが……いや、それ以外なにもないな……」――本当はもう少し思い出したことがあるが、今は言わない方が良いだろう……。

「そう……」


 そこへ、しびれを切らしたのかここの管理人の桧垣さんが、昼食をお盆に乗せて持ってきた。随分と長く話し込んだのでお昼はとっくに過ぎてしまった。メニューは麦飯にダイコンの味噌汁、なすのからし漬けである。


「あんたのも用意しとるけん、食べていきんさい」

「ありがとうございます。あの、もしかして桧垣ひがきさんは広島の方ですか」

「ほうよ、わしゃ西条じゃ」


 そうこの人は口が悪い訳でなくただの広島弁なのである。

 東広島市西条……兵庫県の灘・京都府の伏見に続き日本でも有数の酒どころである。この当時、西条では軍用酒と呼ばれる軍へ納品するお酒の生産が盛んで、全国から酒造りを学ぶ人たちが多く訪れていたそうである。


「あの、桧垣さん。軍の人は何か言ってませんでしたか?」茶碗を受け取りながら質問してみる。

「……」桧垣さんは押し黙る。

 ――何も返事がもらえない、だが、どうやら当たりのようである……。


 すぐ近くの遊歩道の橋を落として置いてここに気づかない訳は無いのだ。それなのにここで何かトラブルがあった様には見えない。何のことは無い、多分ここでのお酒の密造は軍の主導で行われているのだ。


 一言に密造酒と言っても色々な種類がある。一般的には高すぎる酒税をごまかす為行われるのが最も多い。生産量をごまかし少なく申告しお酒を販売する。この時申告の余剰分が密造酒となって出回る。それ以外にも終戦後に流行ったお酒以外のアルコール分をつぎ足し、生産量以上のお酒を造る手法もある。

 そして、ここで行われているのはラベル張替え、所謂産地偽装と言う奴だろう……。恐らくここで作ったお酒を西条産と偽って佐世保あたりで高く販売しているのだ。

 この時代は満州で消費される日本酒が圧倒的に不足していたのである。どうしても生産量を増やしてほしい軍と利益を上げたい造り酒屋。九州にも生産拠点を持てば一か月近く早くにお米を取ることが出来るので、繁忙期もずらすことが出来るとの思惑だろう。

 そして、さらにこの方法、密造ではあるが違法ではないのだ。あくまでここは生産拠点の一つであって本拠地は西条にあるのだから銘柄を偽っても法的には問題ないのである。


 この人なら、何故軍と村人が対立しているのか知っていると思ったが、この調子では聞けそうにないな……。基本無口な人なのだ。


 桧垣さんが湯飲みに注いでくれたそば茶を一気に煽る。

「ごちそうさまでした」合掌……。

 セイラも食事を終え、二人の食器を盆にのせ桧垣さんは応接室を出て行った。


「それで、セイラさんあなたはこの先どうするつもりなんだ?」

「わ、私はここで救出を待つわ……」

「温泉の方に移動するつもりは無いか」

「私はここを動けない……」

 手足が震えている……。成る程、どうやらアマヌシャに襲われたことでトラウマになったらしい。確かにここには塀もあって逃げ込める蔵もあるので少しは安心だろう。


「だったらいくつか聞かせてくれ、先ずアマヌシャとは何だ」

「ひぃ!……あ、あ、あれは、多分マヒト様の死のイメージが具現化した物……」

 ――うん、ちょっとトラウマを持っている人間には意地の悪い質問だった……。でも、その情報は今、必要なのだ。そして、どうやらこの人は少し勘違いをしている様だ……。


「なあ、あんたが見たのは何体だ」

「一体だけよ」

「出会った時間は何時頃だった」

「お昼の少し前」

 ――この様子だと、村を逃げ回ってから以降はここに引き籠っていたのだろう。まあ無理も無いか。


「それと、助手の米沢って人はグレーのワイシャツに白衣の人か?」

「え? 出逢った事あるの? ええ、そうねいつもその服を着ていたわ」

「そうか……」

 この夢の中で死亡した場合、自我崩壊を侵しかねない……すでに死亡したこの人は、この後どうなってしまうのだろう……。


「質問は以上?」

「ああ、……なあ、私はマヒト様に会ってみようと思うのだが……」

「危険よ! きっと殺されてしまうわ」

「それでもただ救出を待つより、会って目覚めてもらった方が良いだろ」

「それは、そうだけど……でも私は協力できないわよ、ここを動けないから」

「ああ、それでいい。また聞きたいことが出来たら質問しに来る」

「何をするつもりなの」

「いや、色々調べてみたいことが出来た、今日は一旦宿に帰るよ」

「そう……」


 セイラは残念そうな表情を受かべる……いや、残念と言うよりは不安なのか……。確かにここならば、お酒は飲み放題かもしれない、だけどここだと周囲に塀があり何かあった時、逆に自由に動くことが出来ない……というのは建前で本当は温泉に使ってのんびりとしたいのだ。仕方ない。

 それに、このセイラという女……どうにも私に何かを隠している……どこか胡散臭い……。今は一緒にいない方が良いように思える。


 もうすぐ夕刻の時間、外は雨の所為で随分と暗くなってきた。これ以上暗くなって、道でアマヌシャにばったり出会ったりすると本当に心臓が止まるかもしれない。急いで帰ろう。


 私は合羽を着こみ、二人に挨拶した。

「それではまた伺います」

「うん、気を付けて……」

「おう、これ持っていきんさい」桧垣さんが陶器製の酒瓶を差し出した。

「ありがとうございます!」

 それを躊躇なく受け取り、私は降りしきる雨の中、宿への帰路に就いた。



 次第に夕闇の迫る時刻、来た道を時折木蔭に隠れて確認しながら急ぎ足で歩く。


 セイラの話ではアマヌシャは神社の前にも現れたのだ、いつどこで出会うか分かったものでは無い。慎重に進まなくてはいけない。

 そして多分アレは時間のループにも縛られていない……。確定するにはもう少しサンプルが必要だが、私は何度かお昼前に神社の方を見る機会があったが、その姿を確認したことは無いのである。それなのにセイラはお昼に神社の前でアマヌシャに出会ったと言った……。これはアレが時間に縛られていない証拠では無いだろうか。とにかく急いで帰る。


 四辻を通り過ぎ東へ向かう。そして、シイタケのホダ木の前を歩いていると……。


「笛の音……」


 雨音にかき消されながらも、微かに風に乗って笛の音が聞こえてきたのだ。

 ――多分左手の斜面の上、神社の方から聞こえてきた……。


 少し気になる音色であったが、私はそのまま急いで宿へと戻った。

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