009『酒蔵:セイラ』


 私は建物から距離を取り、こっそりと裏手まで回り込んだ。


 老舗の造り酒屋は意外と辺鄙な場所に建っていることが多い。それは、原料となる米と麹はよそから運ぶ事も出来るが、水はどうしてもいい場所で汲まないといけないからである。

 勿論現代であれば造り用の水は源泉から運び、その他は水道水で済ます事も出来るだろうが、この時代では水のいい場所に建物を作るのが手っ取り早いのである。それにしても、こんな辺鄙な村の外れに看板も出さず隠れるようにこっそりと在るのは可笑しいのだ。普通は遠くからでもわかる様に煙突にでかでかと屋号を入れる。


 高台になっている岩によじ登り、中を窺う。

 正面側に瓦葺の建物があり、その後ろに蔵が三つ並んでいる。一番南の蔵にレンガ造りの煙突が据え付けてあった。

 日本の造り酒屋には煙突が付き物である。これは日本酒にしても他のお酒にしても蒸すという作業があるからである。大量の米を一気に蒸すのには大きなボイラーが必要になるのだ。


 そして、この中に人が居るであろう理由は……。

 この村の中心人物であるマヒト様は皇家につながりのある人物なのである。だとすると直接密造酒の仕事に関わる事などできはしない。となればここで仕事をしているのは他の集団で、どぶろくや清酒を収める事でお目こぼしをしてもらっているのではと考えたのである。そして、以前から宿を営んでいる十吾さんさへ神社に行っていないのだから、当然ここの集団も神社にいないはずなのだ。


 ――やはりだ! 民家の土間の方から煙が上がっている。今は丁度お昼の時間である。昼食を作っているのだろう。

 酒造りの本番は秋から冬にかけてである。出荷もすでに澄んだ夏の時期の酒屋は暇なので中の人数はそう多くは無いだろう……。


 ――さて、どうした物か……。


 一.塀を越え内部を探る。

 二.素直に門をたたく。

 三.後回しにする。


 これが只のゲームであれば一が正解なのだろう。スパイ張りに侵入をして、人質を救出する……。

 三を選択して一旦宿にお昼を食べに戻るのも良いかもしれない。十吾さんの打つお蕎麦は絶品なのだ。

 ――だけど……いや、現実問題として人探しをしているのだからまあ二番だな……。


 と言う事で、正面に回り棒を脇に置いて門横の戸口を叩く。


 〝ドンドンドン〟 反応が無い……。

 少し強めに 〝ドンドンドン〟 ……。

 もう少し強めに 〝ドン!〟 「なんじゃい! おどりゃ!」

 白鞘の日本刀を手に持った痩せぽちのおじいさんが怖い顔をして出てきた。

 ――しまった、相手は密造酒を造ってる人たちなのだ……、堅気ではない場合を想定してなかった……。


「おう、お前どこのもんなら!」

 紺の作務衣を着たおじさんが険しい表情で睨みつけて来る。今にも刀を抜いてしまいそうだ……。

「あ、あの、私、宿に泊まっている者なのですが、人を探しておりまして……セイラと言う方はここに居ませんか」努めてにこやかに答えてみる。

「何の用やぁ」今度は舐める様に足先から頭の先まで見回された。

 ――あれ? 否定されない? まさか……。

「いえ、今その人を探してまして……」


 おじいさんが無言で辺りを素早く見まわし、顎で戸の内側を指し示す。

 私は案内されるまま戸の内側に入り込んだ。


「おう、そこで待っとれ」

 私は言われるがままそこに立ち尽くした。――口調は悪いが意外に悪い人では無い様だ……。


 門の内側にはすぐに瓦葺の二階建て建物があり、そこの事務所らしい引き戸を開けて入って行った。

 塀の方には古くなった桶や荷車が乱雑に置かれ、建物の壁際に木枠に入れられた空瓶が沢山積まれている。

 奥の蔵を覗き込もうと横に移動していると……。


「あなた誰? どこの人」女性の声が聞こえた。

 建物の引き戸の内側にブリュネット(栗毛)の髪をショートカットにした二十代後半の、やけに目鼻立ちのはっきりとした女性が立っていた。


 ――多分この人で間違いない。

 女性は濃い茶色のパンプスに黒スラックス、白のワイシャツを着てその上に白衣を纏っている。

 それにして、やけにあっさり見つけてしまった。もっと苦労すると思ってたのに……。


「あなたがセイラさんですね。私は浅見真。どこから来たのかはちょっと記憶が混乱していて分からないですが、八島技研と言う名前をご存知ですか」

「あなた技研の人……良かった、やっと救出に来てくれたのね……」彼女は大きく息を吐きそして安堵の表情を浮かべた。


 ――え? 救出? どう言う事だ……。



 彼女の名前は鈴木セイラ。ヒスパニック系アメリカ人とのハーフだそうである。某有名大学傘下の中央最先端医療研究所の研究員で大脳生理学について研究をしているそうだ。

 私は招かれるまま建物内の事務所に入り、伝票の入った木箱の積み上げてある応接室に通された。

 二人は大きなテーブルを挟み椅子へと腰かける。


「それであなたのシグナスはどこ」彼女は唐突に聞いてきた。

「え? シグナス?」――何の事?

「こう翼を広げた白鳥の形をした金属プレートの事よ」

「いや、わからない……」――うん、まったく知らない。

「だったら、あなたどうやってここへ来たの」

「知らない、気が付いたら黒穴のほとりにいた」

「ま、まさか、アカウント無しで入ってきちゃったの……どうして……」彼女は呆然と言うべき表情をした。

 ――私は何かまずい事でもしたのだろうか? 記憶が無いので判らないが……。


 彼女は状況を把握するためにか、下を向き何やら一人で呟き始めた。

「アカウントが無い……と言う事はシグナスに接続していない……でも、どうやって……リンクの方法は……もしかして、共鳴……まさか、肉体のみで……そんな……ミナが作り出した虚像を……」


 何やら考え込んでいる様子なので、しばらく放置。どうやらこの人は何かに没頭するとこうなる人の様だ……。

 ――やはり宿に戻ってお蕎麦を食べてからの方が良かったか……。

 と思い始めた頃ようやく、彼女はこちらを向いた。

 そして、唐突に言い放つ……。


「よく聞いて、ここはね……夢の中の世界なの」


 ――え?

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