007『説得:明日』
〝あれは一体何なのか?〟
恐らくではあるが……あれはきっと元は人間だったものに違いない……。
私は畑の中で震える手足を抱え考えた。
何と表現しよう、あれは……そう、クリーチャーと言うべきだろうか。誰か又は何かによって新しく創造された人間の姿。
――だが、誰によって?
普通こういう場合は真っ先に軍が疑われるのだろう……。人体実験……。彼らの目的は常に敵を倒すことにあるのだから、味方以外の人間は軽視される傾向にある。だが……最後に出てきた一体は間違いなくカーキ色の軍服を着ていたのだ。味方までも化け物にしてしまう必要があったのだろうか……。
いや、もしかすると、あれが軍がこの村を孤立させ無暗に突入をしてこない理由なのかもしれない。
――だったら村人たちも……。いや、それならなぜ逃げ出さない? 皆で一斉に村から逃げ出した方が安全なのではないか? それに、それだと軍が村を閉鎖している理由が見つからない……。
――そう言えばこんな光景、映画で見たことがあるな……。
そう、あれはゾンビ物の映画だった……。ゾンビが街にあふれた状況で拡散を防ぐため軍が街を閉鎖していた。街の住人が武器を手に取り立て籠もって戦っていた。その状況に似ている気がする。
だけど、問題は他にもある……。
それは、私の記憶。
なぜ自分だけに未来の記憶がある? そして、繰り返す七月十日。そして、今思い出した、いきなり墓所で目覚めた経緯……。謎だらけだ……。一体自分の身に何が起こっているのだろう?
〝キシャ――――――〟 崖の上から化け物の遠吠えが聞こえてきた。
いつまでもここが安全とは限らない、一刻も早くこの場を立ち去ろう。私は震える脚を無理やり動かし、一歩ずつ畑の中を移動した。
だがこれで、この村は孤立していることが確定した。いや、正確にはこの村を出るには軍の人間を説得しなければいけない。この場合それが出来る可能性がもっとも高いのはマヒト様だろう……。その人の言葉ならきっと軍人も耳を傾ける。
だけど、どうなのだろうか……どう見ても村人と軍が対立しているようにしか見えない……。それに村人はあの砦の様な泡嶋神社へ避難しているのは、あの化け物の事を知っているからでは無いだろうか?
だとすると、最初にこの事実を知らさなくてはいけないのは、何も事情を知らなさそうな宿の主人の方だ。
私は畑の中で拾った鍬の柄の部分を護身用に持ち、慎重に元来た道を引き返した。
――だが、どう事情を説明すればいいだろう……。
それを考えながら慎重に身を隠し来た道を引き返し、宿に戻った時にはすでに夕刻に近い時間だった。
「どげんしたと!」開口一番、宿の主人の十吾さんが問うてきた。
傘も失くし、破れこそしなかったが合羽も泥だらけなのである。仕方ない……。
「ご主人、よく聞いてください……」
「なん?」
私の真剣な表情に十吾さんはキョトンとする。
「西の崖の上に化け物が出たんです」自分で言っていてもおかしな話だ。だが、事情を説明せずに説得するのは難しいと判断した。
「……」
「だから、一刻も早くここを……」
「あんさん、もしかしてあの黒穴を覗いたと」今度は十吾さんが普段見せないような真面目な顔で問うてきた。
――え?「いえ、違うんです化け物は穴の外にいましたが……」何やら様子がおかしい。まるであの穴の中に化け物がいた事を知っているみたいだ。
「そげんか……そいで村の衆は慌てとったとか……」
やはり主人には心当たりがある様子だ。「もしかしてご主人はあれの正体を知ってるんですか」
「それは、恐らく “アマヌシャ” ったい」
「アマヌシャ?」
「この村に古くから伝わる言い伝えたい。この村で信心の少ないもんは死後アマヌシャになって黒穴から甦るたい」
「そんな、おとぎ話みたいな……いえ、でもそれなら一刻も早くこの村を……」
「心配なかよ」
「え? どうして……」
「この村には、マヒト様が居られる。明日になれば姿を消すたい」
主人の話では、これまでに何度かそう言う事があったそうだ。その度にマヒト様が出向きそれを鎮めていたそうである。だから問題ないと……。
――そんな馬鹿な話が……。とは思うが主人は何の心配もしていない様子だ。これでは説得は無理である。恐らく村の連中も同じだろう。
すっかり遅くなってしまったお昼のお蕎麦をいただき、温泉に浸かる。
流石に裸の時に襲われるのは嫌なので、簡単に体と下着を洗い部屋に戻った。
外は暗くなり始めたが電気は付けない。時折窓を少し開けあのアマヌシャが近くに来ていないか確認する。布団にくるまり壁に寄りかかって仮眠を取った。
「どげんしたと、電気も付けんと」
夕食を運んできた十吾さんに驚かれてしまった。
「そげん心配せんでも大丈夫ったい」十吾さんが電気を付けて卓袱台を用意する。
メニューは昨晩と同じご飯に味噌汁、野沢菜漬けとヤマメの塩焼き、それにお銚子がついている。
「まあ、あれを見てしもうたら、仕方なか……」
――え! 「あの、ご主人はあれを直接見たことあるんですか」
「んん、まぁ……内緒やけんど、ダムの工事中に陸軍の人らが、ワイヤーで縛って鉄の籠に入れて持ち込んだのを、こっそり見せてくれた事があるたい」突然食いついてきた私に戸惑いながら、主人はこっそり内緒話をするように話してくれた。
そして、その後主人は柱時計のゼンマイを巻き出て行った。
――どう言う事だ? これは軍の人間は以前からアマヌシャの存在を知っていたと言う事だ。だとするとあれの存在に驚いて村を閉鎖している訳では無いと言う事だ。恐らくマヒト様の特別な祭事とはアマヌシャを鎮めるとかそう言う事だろう……。なのになぜ村と軍とは別々に動いている? わからない……。
だが、それよりも問題なのは、主人は「死後アマヌシャになって黒穴から甦る」と言った事だ。
では、あの穴のほとりで目覚めた記憶のある私は一体何者なのだろう……。
私は不安を抱えながらも食事を終え、フロントに食器を下げた。
「どげんやったと」またも主人の十吾さんが聞いてきた。
「大変美味しく頂きました。でもあれ遊歩道の脇の造り酒屋の物ですね」
「そげんこつ内緒たい」主人は少し眉を顰め答える。
そして、夜が更ける。
三時半、部屋の電気が付く。
目覚めた私に十吾さんが声を掛ける。
「気が付いたと」
「はい」
「まあまだ、寝とりんしゃい」
「はい」
そう、もう一つの問題はこれなのだ。
私には、主人の言っていた安心できる 〝明日〟 が来ない……。
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