003『不審者:軍人』
想像以上に雨が強い。時折、強い風も吹きつけて来る。正直傘はあまり役にも立ってはいない。
宿の前の道を西へと下る。森の木々を縫う様に下りの一車線ほどの山道が続く。
林業が盛んと聞いたのだが、どうやらこの渓谷の中の木々には手を加えていない様子だ。巨大な原生林の原木が続いている。――神社があるからだろうか……。深い緑の木々の合間に、小さなお堂や石像がいくつか立っているのが見える。雨の中でも凛とした空気を纏い神秘的な雰囲気を醸し出している。聖域と言った言葉がしっくりと来る……。
少し歩くと深い谷間が見えてきた。渓谷を渡る白い吊り橋構造の立派な鉄橋も見える。橋の下に川が流れているのも見える。――おや、そんなに水量が多くない。ダムで調整をしてるせいなのだろうか……。
橋のたもとに西沢渓谷橋と書いてある。吊り橋の幅は二車線ほどあり、太いワイヤーで吊られている。――まだ新しい、出来て二・三年と言ったところか……。橋を歩き渓谷の西側へと渡る。少し下流の下の方に古い石橋も見えた。
風が強い、傘は逆に危ないので畳んで手に持つ。
橋の中央から北を見ると、見上げる様に巨大なダムの威容が望めた。
山と山の谷間をふさぐ巨大なコンクリートの壁……。
「……」
私はしばし、呆然とした。――こんな時代のこんな場所にこんな大きなダムがあるなんて知らなかった……。いや、比較的至近距離から見上げているから大きく見えているだけだろうか……。昨今のダムカードや見学ツアーと言ったダムブームも頷けるというものだ。
橋の向こう側に古い大きな石の鳥居が見えた。あれが泡嶋神社だろう。この渓谷の中心から北西方向の崖にいくつもの社が建てられているのが見渡せる。鳥居から伸びる参道の先に上り階段がありその上には石垣に囲まれた本殿があるようだ。――神社と言うより、まるで山城だな……。
その鳥居の脇に商店らしき看板を掲げたお店も見えた。
小田商店。懐かしいホーローの看板が壁の至る所に打ち付けてある。たばこ・明治ミルクキャラメル・カルピス・懐中良薬仁丹……。あの有名なボンカレーやオロナミンCの看板は戦後の物なのでやはり見当たらない……。
雨の所為かお店は雨戸を閉めて閉店中のようである。――お店に入れれば色々手に取って年代を検証することが出来たのに……。
「おい! お前!」
鳥居へ近づこうとした時、突如、店の裏手から三人の長い棒を持った白い装束の男たちが飛び出してきた。――なに? 山伏か!
「お前は誰だ!」先頭に立っている二十代前後の厳つい男がいきり立って問うてくる。
「あ、私は温泉に泊っている者ですけど……」――お前が誰だ? 標準語で話してるからこの村の人では無いだろう。
「ここで何してる!」
「いえ、ちょっと村の様子を見に来ただけですよ」
その時、男の背後にいた四十代前後の男がそっと耳打ちした。
どうやらその男は私が宿へ担ぎ込まれた人物だと知っているらしい。
〝チッ〟 と二十代の厳つい男は舌打ちしてから私へ向けて言い放つ。
「今、こっちは忙しんだ。とっとと宿へ帰れ!」
「いや、そんな事を言われてもな……」
「なにー!」男は眼光鋭くその手にした錫杖の様な棒の先端をこちらに向けた。
「事情も説明しないで従えと言われてもな、言う事は聞けんぞ!」少し強気に言い返す。こっちはいきなり喧嘩を売られたのだ。そう簡単に引き下がるわけにはいかない。
「く!」一瞬、困惑気味に男が下がる。が、すぐに持ち直し言葉を返す。「今、村のあちこちが大変な状況だ! 皆がお社様に避難している、村に入れる訳にはいかん! 不審者もうろついてるようだしな!」
成る程、災害時の火事場泥棒を心配しているのか、確かにこういう場合は人の出入りを制限するのが有効だろう。――まあ、そう言う事なら仕方ないか……。ちゃんと最初からそう言え。
「わかった」私は右手を軽く上げながらそう言い踵を返した。――あっ! そうだ……。「ちょっと済まない、セイラって名前に心当たりは無いか」私は再度振り返りそう訊ねる。
男たちはそれぞれ小さく首を振り、二十代の男がそっけなく答える。「知らんな」
「!」私は答える代わりにもう一度右手を軽く上げて、その場を急いで立ち去った。
橋の中頃まで戻り、ゆっくりと後ろを振り返る……。――大丈夫の様だ……。
先程振り返った時に、鳥居横の社務所の中に一瞬、銃のシルエットが見えた。長い銃身に銃剣が付いたボルトアクション。恐らく第一次世界大戦で使われた三八式歩兵銃だろう。以前ゲームで使った事がある。それが此方を狙っていた。
どうやら窃盗対策は嘘の様だな……。
今この村では何かが起こっている。村の人間が一か所の集まり銃を持って立て籠る事態。誰かに襲われているのか?
――やばくないか、これ? でも、宿の主人にはそんな様子は見られなかった……。と言う事は神社の方で何かあったのだろうか……。良くは分からないが、今は村に入るのは得策では無いだろう……。西の崖を見に行くのは、また今度にしよう。
私は背後にも注意しながら宿の前まで引き返した。
――さてどうしようか……。当初の目的だった年代の特定と自分の置かれた状況の確認は済んでいない。
それに、もし何かあった場合の逃げ道も確保した方が良いだろう……。身体の方は大丈夫だ。まだ時間もあるし、合羽も着込んだばかりだ。
私は宿への道を通り過ぎ、そのままダムへと上がる東の道を進むことにした。
道はすぐに切り立った崖に突き当たり北方向に斜面を登っていく。傾斜のかなりきつい道をしばらく上り、ダムが間近に見えるとこまで来てやっと渓谷の上に出た様だ。
山間を流れる川によって浸食された深い渓谷。その谷間を手付かずの森が鎮守の森の様に埋め尽くしている。人々はその木々を避ける様に僅かな平地で暮らしている。――成る程、修験者が開いた村と言うのは本当の様だ、森と人間がうまく共生している。
未来の記憶に体の怪我。降りしきる雨におかしな村人。色々と無ければこの光景を心から楽しめるのに……。私はそう思いながらダムの方向へと道を歩いた。
道が左右に分かれている。左へ進めばダムに行けるのだろうが、真新しい二メートルほどの高さの鉄柵と有刺鉄線で塞がれて立入禁止の札が下がっている。仕方がないので右へと進む。
すぐに短いトンネルがあった。そこを越えたところがバス停の様である。ベンチの上に屋根だけの待合所。壁に時刻表が貼って有り12:00と16:00の2本だけの時刻が書かれている。
正直、ここまで歩いてきて、どうにも腑に落ちない事がでてきた。それは宿の主人の言っていた崖崩れのことである。
この村の道はどこもしっかりと作られている。雨も川の水が溢れる程降っている訳では無い。それなのに宿の主人の話では電話線が切れ、道がふさがる程の土砂崩れが起きたと言っている……。
あの人の良さそうな主人が嘘を言っているとは思いたくはない……。だとすると誰かに騙されているという可能性も出て来る。
村の様子がおかしいのにも何か原因があるだろう。
――一応、この先も確認だけしておくか……。
私は広くなったバス道を北へと向けて歩き続けた。
ダム湖のほとりを道なりに進む。確かにダムの水量は普段より多いみたいだ。ダムサイドに生える木の根が浸かるまで水かさが増している。――まあそれでもまだまだ十分に余力はありそうだ……。
ダム湖の上流の川の注ぎ口まで来た。やはり水が濁る程の水量になってはいない。
崖崩れが起こる時の水は茶色く濁り嫌な臭いを立てる物だ。そうなっていないと言う事は、山全体の保水量に余裕があると言う事だ……。
道は川に沿って大きく東へ曲がる。そこから川を離れ山の上の方へと向かって続く。
しばらく歩いていると見晴らしの良い高台へと出た。北方向に連なる山々が見渡せる。――こんな天気でなければ絶景なんだけど……。
そこを過ぎると今度は道が急に南へと曲がる。
曲がり角ですぐ近くに大きな手彫りのトンネルが見えた。
「おい! 止まれ!」
突如、トンネルの中から二人の軍服姿の男が飛び出してきて銃をこちらに向けた。銃剣は差していないがこちらも多分三八式歩兵銃だ。
「!」私は思わず傘を持ったまま両手を上に挙げた。――おいおいおい、これは一体何だ!
緊迫感が辺りを包む。
「貴様ー! こんな所で何してる! 答えろー!」銃を構えたまま慎重に男が近づいて来る。
努めて冷静に答えを探る。「いえ……復旧工事の状況を見に来ただけです……」
後方にいた腰にサーベルを下げた男が銃を上に向けて前に出てきた。もう一人はこちらを狙ったままだ。
「宿の者か」前に出てきた男が傘に書かれた屋号を見ながら問うてきた。
「はい……いつになったら通れるか聞きに来ました」咄嗟に私は手を上げたままそう答えた。
「まだしばらくは掛かるな、村へ帰ってろ。終わったら連絡いれてやる」
訝し気な表情でそう言い残すと男たちは足早にトンネルの方へと消えて行った。
「…………」
――ふぅ、何だったんだ今のは……。それともこの時代の人間は挨拶代わりに銃を向けるのか?
この場で悪態をついてても仕方ないので私は踵を返し、元来た道を戻り始めた。
それにしても今のカーキ色の軍服に鉄兜。歩兵銃にサーベルと……旧日本陸軍の装備だった……。
――一体こいつらはここで何してる? いや、答えは簡単か……通行止めだ。意図的に村を孤立させようとしているんだ。
と言う事は、村の連中と軍が対立しているのか? 何故?
この時代で言えば、徴兵逃れや宗教対立などが考えられるが……。
まあ、何にせよこれは係わらない方が得策の様だ。
私は足早に宿への道を急いだ。
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