くだらない意地



 二十歳の時、美術館のオーナーが新しい芸術品を仕入れたらしく、展示品が十点ほど増えた。

 そのお披露目の日、僕はそれらの作品をいつもの夜ではなく明るいうちに見ようと思い、久しぶりに昼間に行ってみた。

 そして新しい作品達を眺めながらソフィアのいる場所へ向かっていた時、僕は『彼』に出会った。


「ハァーイ! そこの君ィ! 私と一緒に踊らないかーい?」


 彼はとても陽気な声で、軽快なステップを踏みながら僕にそう言った。

 僕は唖然としていた。彼の見た目は二十代前半ぐらいの若い長身男性で、とても逞しい体を晒している。

 しかもその全身は小麦粉を塗したのかと思うほど真っ白で、一糸纏わぬ姿はまるでギリシャ石膏像の様だった。


 というか、ギリシャ石膏像そのものだった。


 全裸の石膏像が軽快に動いているというだけでかなり衝撃的だったが、キレッキレのダンスと見た目に反した軽い言動、そして彼を見て楽しそうにしているソフィアの姿に軽く目眩がした。

 話す芸術品はソフィアだけではなかったのだ。




 彼の名前はダヴィデ。

 同じ名の有名な作品に似てはいるが、どうやら同じ時代に作られた模造品らしい。

 ダヴィデもソフィアの様に僕以外の人間には認識出来ないらしく、他の人が踊る石膏像を認識している様子はない。

 ソフィアと違う点は、本体は動かないままで、全く同じ見た目の霊体の様なものが館内を自由に歩き回っていることだ。

 鬱陶しいぐらいよく動くし騒いでいたが、彼も誰かと話すのは初めてだったらしく、今まで見てきたものを色々と話してくれた。それについてはとても新鮮な話が聞けたし、新たな世界が垣間見れてとても楽しかった。

 しかしそれを一緒に聞いて楽しんでいる彼女を見ていると、すごくもどかしい気分になった。

 それは以前感じたもどかしさに似ていながら、それよりも頗る気持ちの悪いものだった。

 





 昔から外の世界への憧れはあったから、ダヴィデの話を聞いて以来それが益々強くなっていた。本屋で世界地図を買って眺めたり、彼女達から聞いた話を元にそこにある景色を想像していた。

 いつか自分も行ってみたい。未だ見ぬ世界を歩いてみたい――そう思いながらも行動に移すことはなかった。

 理由はソフィアを一人にしたくなかったからだ。彼女は決してはっきりと口にはしなかったけど、きっと百年以上もの間孤独で寂しい想いをして来たんだと思う。

 そんな彼女のことを放っておくなんて出来なかった。

 そして僕も、一人になりたくなかった。


 ダヴィデが来てから半月、展示品の増加に合わせて警備員の数も増えたことで、僕の勤務時間は半分以下になった。

 さらに日曜以外は常に二人組で館内を廻らなければならなくなったので、ソフィアと話せる時間はかなり減ってしまった。

 その分話せる一回がとても楽しみになったのは確かだったが、いざ彼女のところへ向かうと、今までとは違う光景があった。


 そこにはいつも物憂げに月を眺めていた彼女はおらず、愉快に踊る石膏像と楽しそうに話をする絵画の姿があったのだ。


 彼女はダヴィデが何かを話したり踊ったりする姿を見て、明るい笑顔を浮かべて、楽しそうに長々と何かを話している。

 いったいどんな話をしているのだろうか。

 とても楽しそうな彼女の姿に僕は少し嬉しくなったが、それと同時になぜだかダヴィデのことが恨めしく思えてしまった。

 そして彼女が笑顔を見せる度に、胸を強く締め付けられる感覚に襲われた。すごく嫌な感覚だった。

 段々その光景を見ているのが辛くなり、僕は彼女達に見つかる前に静かにその場を離れた。


 その時、僕は初めて気付いた。

 僕はソフィアのことが好きなのだと。


 それから僕は半年もの間、ソフィアのところに行くのをやめた。

 警備の仕事は続けていたから時々見える所までは行っていたが、話し掛けることはなかった。

 くだらない意地を張っていたのは、その時の自分でも理解していた。

 それでもあの時見た光景を忘れられない僕には、二人の間に割って入るような勇気が無かった。

 ただの一歩を踏み出す事が出来なかった。


 僕は昔から臆病だった。

 子供の時から他人に見えない物が見えて、聞こえない音が聞こえて、それを他人に否定されることを恐れていた。

 自分の存在を否定されているような気がしたから。

 だから僕は友達を作ろうとしなかった。失う事が怖かったから。

 そして今、初めて出来た僕だけの友達――僕だけのソフィアではなくなってしまう現実を受け入れられなかった。

 ただひたすら、僕は逃げていた。




 ところが彼が、いや『彼女』がそれを許してくれなかった。


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