もどかしい感覚



 ソフィアに出会ってから数年が経ち、僕の外見も子供から段々と大人に近付いていた。

 さすがにその姿で絵画に話し掛けるというのは怪しさ全開なので、彼女と会話しているのを誰にも見られない方法を考えることにした。


「どこかに移動させるとかは?」

「悪くはないですわね。私も外の世界は見てみたいし。もっともあなたが誰にも見つからず、大の男二人がかりでやっと運べる私を一人で運べればの話ですけど」

「君って意外と重いんだね」

「なぁ!? 失礼なっ!! 重いのは額縁であって私じゃないわよ!」

「そっかー。あ、夜中に忍び込むのは? 閉館時間なら誰もいないし」

「あら、警備員はいますわよ? お年を召した方だけど、毎晩私の前を何度も通るし、こんな拓けた場所じゃすぐに見つかるわ」

「ん〜……いっそのこと、僕が君を買い取るとか」

「ふふっ、貴方が? 私を? 冗談はおよしなさいな。逆立ちしても無理よ」

「やっぱり高いよね……ちなみにおいくら?」

「あら、聞きたいの?」

「いや、やっぱりやめとく……はぁ、どうしようか……」

「別に忍び込む必要はないのではなくって?」

「え?」


 ソフィアは右方を指差し、それに従って僕もその先に視線を向ける。

 彼女が指差した先にあったのは壁だった。ただしそこには館からの知らせを掲載する掲示板が設置されていた。

 そして掲示板に貼ってあった紙のうちの一つが、その時の僕には光り輝いて見えた。


 なぜならそこには『夜間警備員急募!』という素敵な文字が書かれていたからだ。






 前職の警備員は定年退職し、僕は次が見つかるまでの代わりとして雇ってもらえることになった。

 もちろんまだ十四歳の学生なので給金は僅かしか貰えなかったけど、僕にとってそれは大した問題では無かった。これで心置きなく彼女と話が出来るからだ。

 夜間警備の仕事は昼の職員が帰宅する夜八時から次の朝八時まで、六時間ずつで次の警備員と交代する。

 僕は夜八時からの六時間、月明かりが空を照らし始める時間からの担当だった。夜の芸術達は昼間に見る時とは違った雰囲気と魅力で溢れていて、とても新鮮だった。

 そしてそれはソフィアにおいても例外ではない。


 夜の美術館に佇む彼女は額縁に頬杖を付き、窓の外に浮かぶ丸い月を憂う様な瞳で眺めていた。

 哀愁漂うその姿はいつもの女性的な美しさと人ならざるものの妖しさを一層増し、より魅力的に見えた。

 ふとソフィアが僕の姿を横目で捉えると、月を眺めながら呟くように言った。

 

「ウィル。貴方が前に言ったこと、憶えていて?」

「なんだっけ?」

「私を外に運びだす話よ。私、まだまだ色々な世界を見てみたいの。また私が別の誰かに引き取ってもらう時にはきっとどこか別の国に行けるかもしれないけど、それがいつになるか分からないし、行った先でもまた今みたいにずっと同じ場所にいたら、とても退屈してしまうでしょう?」

「そうだろうね。それで?」

「鈍いわね……もしも貴方みたいに、私の言葉を、姿を、そして気持ちを理解してくれる人なら――あとは分かるでしょ?」

「はは、僕みたいな安月給の若僧には無理だね。そうでしょ?」

「『貴方みたいな』って言ったの! 今の貴方に期待なんてしていませんわ!」


 そう言って彼女はそっぽを向いてしまった。少し寂しい気持ちになったが、彼女の拗ねた後ろ姿は微笑ましかった。


 しばらくすると、ソフィアはまた月を眺めはじめた。

 彼女の瞳は月明かりを映し、宝石の様に輝いて見えた。


 美しかった。


「綺麗だね」

「そうね……良い月ですわ」

「いやそうじゃなくて……ね」

「あら、なにかしら? そんなにジロジロ見て……私に何か付いてる?」

「……ああ。ちょっと埃がついてるかも。羽箒で払ってあげるよ」

「なによ、今さら絵画扱い? でも埃は嫌だから早く取って!」

「はいはい。しばしお待ちくださいませ、お嬢様」

「なにその呼び方? 敬っているつもり?」

「まぁそんなところ。あまり動くと取れませんからじっとしてて下さいませ〜」

「ふふ、なによそれ」


 我ながら下手な誤魔化し方だと思った。

 伝えたいはずの言葉だったのに、それが真っ直ぐ伝わってしまうことに恥ずかしさを覚えたのは、生まれて初めてだった。

 とてももどかしい感覚だった。


 この時の自分の感情を理解したのは、それから五年後のことだ。






 給金が安く済むおかけか、そのまま仕事をさせもらっていた僕は十八歳になって学校を卒業した後も、そのまま警備員として働くことにした。

 町に大学は無かったし、進学の為に町の外に出るにしてもお金が無かったから、仕事に就くのが妥当な道だった。

 それに唯一の友達であるソフィアと離れたくない気持ちもあった。

 彼女にしてみても話せる相手がいなくなってしまっては、以前のように退屈してしまうだろう。

 でもそれは言い訳に過ぎない。そうやって僕は安寧から離れて未知の世界に触れることを――前に進むことを避けていたんだ。

 僕が正式に警備員になってから一年経っても代わりは見つからなかったらしく、それどころか僕の後の時間帯を担当していた警備員も辞めてしまい、経営者に泣き付かれた僕はしばらくの間、労働時間を倍にして働くことになった。

 もちろん願ったり叶ったりだ。ソフィアと話せる時間が二倍に増えた。当然給金も増えた。


 調子付いた僕は邪魔する者が誰も居なくなった夜の美術館で、ソフィアと一緒に美術館にそぐわないことを散々やった。

 彼女の隣に座って一晩中話すことはもちろん、歌にハマった時はラジカセを持ってきて彼女と一緒に曲を聴いたり、一緒に歌ったり、曲に合わせて彼女の前で下手な踊りをして笑わせてみたりした。

 貰った給金で映写機を買って、二人で古い映画を見たりもした。

 この時、彼女は絵から外に出られないのかと思っていたが、腰から上までなら額縁より外に出せる様で、腕を伸ばして僕を触ろうとしたことがあった。

 霊的な何かに近いためか、実際に僕や外の物に触れることは出来なかったけど、どうやら僕が差し出したものは触れることが出来る様だ。

 試しに近所に咲いていた赤色のチューリップを一輪手渡したら、少し戸惑いながらも受け取ってくれた。しかもそのまま絵の中に持って行って見えないどこかに仕舞っていたから、これには僕もさすがに驚いた。

 ソフィア曰く「中は描かれた時の部屋と同じ」とのこと。

 それが分かるとさらに調子に乗って、彼女と共に夕飯を食べながらワインを飲んで夜の美術館で騒ぐなんてかなり馬鹿なこともやった。

 その夜の記憶が少し曖昧で、不安になって次の日の昼間に彼女の様子を見に行ったら、白いドレスを真っ赤に染めながら額縁から外側へ上半身を投げ出して寝ているホラーな光景があったから、さすがに反省した。

 ちなみに白いドレスは次の日には真っ白に戻っていた。不思議に思い聞いてみたら「替えなら沢山ありますわ」ということらしい。

 そんな感じで僕とソフィアは色々なことを話し、色々な娯楽に興じ、色々な感情を共有した。


 とても楽しかった。

 このまま時間が止まってしまえばいいと思えるほどに。






――しかし、そんな僕らに転機が訪れた。



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