唯一無二の友達



 彼女の名前はソフィア。

 およそ百年前にヨーロッパのどこかで生まれた彼女は今から七〇年前に作者が亡くなって以来、持ち主が変わるごとに様々な場所を転々として来たという。

 知る人ぞ知る名画らしく、芸術界では世界に誇る美しさと言われているらしい。

 実際その美しさは当時子供だった僕でさえ心を揺さぶられ、他の絵画とは比べる余地がないほどとても値打ちのある作品であることも理解出来た。


 ただ、恐らく昔からずっとそう褒め称えられてきたからなのだろうか、彼女は少し高飛車というか、自分の気持ちを素直に伝えるのが苦手だった。

 それもその筈で、聞けば彼女は今まで人と話したことがなかったらしく、彼女を認識してくれる人間は誰一人としていなかったという。

 一番最初に言われた言葉も後々その意味が分かったが、あれは『周りの人の目があるから私に話し掛けるのはやめた方がいい』という意味が込められていたらしい。人と話せたことの嬉しさと、素直になれない性格が相まってどうしていいか分からず、あのように言ってしまったのだ。

 当時の僕はその言葉の真意が分からなかったけど、圧倒的に好奇心が勝っていたから、美術館を訪れては彼女に話し掛けに行った。

 それほど彼女は魅力的だったし、なによりこの美術館が好きだった。


「こんにちは、ソフィア」

「……」

「ソフィア?」

「……」

「ソフィアー? 聞こえないのー?」

「……はぁ。あなた、今日も来ましたのね。私には話し掛けないでって何度も言っていますのに、覚える気がありませんの? それとも、貴方には鶏ほどの記憶力しかないのかしら?」


 ソフィアは額縁に肘を置いて頬杖をついている。

 若干ふくれっ面で、どうも不機嫌な様子だ。


「ううん、覚えてるよ。でも、話し掛ければ返事してくれるじゃん。話すのが嫌なら無視すればいいのに」

「それは……あなたがどうしても私と話したいみたいだから、仕方なく相手をしてあげてるんじゃない。私の優しさに感謝なさい」

「そうだね、いつも相手してくれてありがとう」

「……あなたよくここに来てるみたいだけど、いつもお一人ね? お友達はいないの?」

「うーん、あんまりいないなぁ」

「あらまぁ、お友達はいないうえに趣味は絵画とお喋り……随分と寂しい子供だこと」

「君だって友達はいないでしょ?」

「わ、私には私を慕う大勢の人々が世界中にいるの! どう? 羨ましいでしょう!」

「でも、友達はいないんでしょ?」

「……」


 ソフィアは更に不機嫌な表情を浮かべ、僕から視線を逸らした。

 僕は構わず笑顔で話しかけた。


「じゃあ僕と同じだね。これからよろしく、ソフィア」

「……名前」

「え?」

「あなた、お名前は?」

「ウィリアム。ウィリアム=アンダーソン」

「ウィリアム……ウィルね。覚えておきますわ。ま、私は子供のあなたと違って忙しいから、時々なら話相手になってあげてもいいですわよ?」

「時々でいいの? いつも暇そうにしてるのに?」

「う、うるさいわね! 遠くから観察するぐらいなら話し掛けなさいよ!」

「さっきと逆のこと言ってるよ? 大丈夫?」

「……あなた、友達いないでしょう?」

「それはさっき言った」

「はぁ……まぁいいわ。私はソフィアよ……って、額縁に書いてあるし、さっきから何度も呼んでいましたわね」

「うん。よろしくね、ソフィア」

「ええ。よろしく、ウィル」


 それから僕は美術館へ行く度、必ずソフィアに話し掛けに行った。

 対して彼女は僕を見つけると一瞬だけ嬉しそうな表情を浮かべて、でも直ぐに不機嫌そうな表情に変えながら僕から視線を逸らした。

 期待しているのかいないのか、よく分からない感じだ。

 でもいざ僕が話をすれば興味あり気に聞いてくれたし、ソフィアも色々な話をしてくれた。

 僕からはこの田舎町のことや学校のことなど、僕の日常についての他愛のない話をした。

 彼女は同じ美術館にいる他の芸術品達について全く知らなくて、僕がそれらについて一から全て説明したこともある。他の芸術品は彼女の様に話すことは出来なかったけど、彼女は他の芸術品達や美術館の外とか、とにかく色々なことに興味を持っていた。

 逆に彼女からは今まで行った場所や見た景色、これまで彼女の持ち主だった人達の話などをしてくれた。

 特に外国の話はとても魅力的だった。町にいる人は大抵この寂れた町を出てしまえば戻って来ることは無くて、外の話を聞く機会があまり無かったからだ。

 天を突く様な高い塔が並ぶ摩天楼。

 古代の遺産に覆い尽くされた国。

 極寒の冬と氷に覆われた湖。

 彼女が語る外の世界は、想像することすらままならない程の未知と魅力に溢れていた。

 とにかくドキドキワクワクした。

 

「へえ、山の上に町があるんだ!」

「ええ。六番目に私を引き取った人がそこの町長で、屋敷の窓から見えた景色はとても迫力がありましたわ。雲が地面より下を泳いでいたから、まるで空を飛んでいるみたいだったの」

「空か。飛行機には乗ったことあるの?」

「ひこうき?……あぁ、飛空艇のことですわね。十五番目と二十二番目の人が美術商というやつだったから、それに乗って色んなところに行きましたわ。もっとも、私はいつも木箱の中にいたから実際に見たことはありませんけど」

「乗ってたことは分かったんだね」

「ええ。今まで誰とも話せなかったけど、そちら側の声は全て聞こえていたし見ていたから、自分が絵ということや誰も私を認識出来ないことも分かりましたわ。あなたを除いてね」

「そっか……寂しかった?」

「そ、そんなわけないでしょ! 私は生まれた時からずっとひとりだったんだから、そもそも寂しいなんて感覚が分からないわよ!」

「でも、誰かと話してみたい。そう思うことはなかった?」

「まぁ……なくはなかった……かしらね」


 ソフィアは僅かに目を伏せ、顔を背ける。

 その頬はうっすら紅葉の色に染まっているように見えた。

 ふと僕の視線から何かを感じ取ったのか、彼女は顔ぶんぶんと振り、すぐさまこちらを向いて僕の顔に指先を向けた。


「それよりもあなた! 最近は毎日の様にここに来ているみたいだけど、随分暇のようね。他にやることないのかしら!」

「十歳と少しの子供は学校が終わったら遊んで帰るだけだから」

「なら、どこかに遊びに行ったら? こんな退屈な場所じゃなくて。私と違ってあなたはどこにでも行けるのだから」

「ここ以上に面白い場所なんてこの町にはないよ。それに、一人で遊んでもつまらないし」

「あなた、本当にお友達がいないのね……それでもこんな昼間から私と話していたら噂になりますわよ?『孤独過ぎて絵画と話す可哀想な少年がいる』って」

「ん〜、まぁその時はその時かな」

「呑気なものね……たしかあなたには妹がいるのでしょう? 遊んであげたら?」

「妹とは家にいればいつでも遊べるからなぁ。それよりもソフィアの話をもっと聞きたい」

「なっ……ま、まったく! 仕方のない子ね!……いいわ。いくらでも話してあげます。でもちゃんと暗くなる前に帰りなさい。いいわね?」

「うん!」


 美術館に行っては真っ先にソフィアの所に行って彼女に話し掛けていたから、相当頭のおかしな子どもに見えていたことだろう。

 そして彼女の言う通り、いつしか僕の行動は奇行として近所や学校で噂になり、周りのみんなは僕から遠ざかっていった。

 元から友達はいないに等しかったけど、ついに話し掛けてくる人すらいなくなったのだった。でもそれは大した問題では無かった。


 何故なら、僕には僕だけの話相手がいたからだ。

 唯一無二の友達がいたからだ。



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