4

 汗ばむような暑さでトキ子は目をさました。時刻は昼前だった。


 「星ねこ号」は山間の無人駅に停車している。


 雲一つ無い青空から、緑陰りょくいんを縫ってれる初秋しょしゅうの日差しは、傾きつつあるとはいえ、まだ夏の名残を残していた。


 鈴虫の音はいつのまにかやかましいせみしぐれに替わっていた。


 トキ子の肩にはブランケットが掛けられ、それは半ばずり落ちてしまっている。夜半の冷気から守るために車掌がかけてくれたのだろうか。個室に戻る前に、そのまま眠ってしまったようだ。


 窓の外を見ると、ホームの反対側を少し離れて下ったところにはせせらぎが流れており、遠目に、腕まくり足まくりをした探偵とクリが水遊びをしているのが見える。二人はトキ子に気づくと、手を振り、嬉しそうに呼びかけた。


 「何してるのよ!」


 トキ子は窓から身を乗り出して叫んだ。


 「転換待ちだって、」


 と遠くから返事。


 「てんかん?」


 聞き慣れない言葉に、トキ子は首をかしげた。


 同時刻。


 「星ねこ号」の停車する山上の無人駅から単線軌道を十数キロほど下ったふもとの隣駅には別の列車が停止していた。それは対向列車の「いわし三号」であった。


 尋常な様子ではないことに、「いわし三号」の機関部には、すすだらけの作業着に身をやつした数人のエンジニアたちが集い、あわただしくメンテナンス・チェックを行っている。


 そのうちチーフ・エンジニアが場を離れ、車掌に敬礼して報告した。


 「完了まで見込み一時間であります」


 ごくろう、と車掌は敬礼を返し、車掌室の無線機に向かった。そして「星ねこ号」の無線にそのことを伝えた。


 「いわし三号」の車掌は大きなリングのようなものを持っていた。タブレット、つまり次の駅までの単線区間を通行するための通票つうひょうである。つまり次の駅ですれ違う時にタブレットが引き渡されるまで、「星ねこ号」は足止めを食らうことになる。


 そのためには「いわし三号」の故障が直り、さらに山上の駅まで到着しなければいけない。


 まだまだ時間がかかりそうである。探偵とクリが魚を捕ったり、サワガニを捜して遊んだりする時間は十分にあるというわけだった。


 (のんきな人たちねえ! ……どっちにしても、私も着替えなきゃ、こんなとこで眠ってしまったから)


 トキ子は苦笑して立ち上がり、個室に戻ろうとして、ふと動きを止めた。


 思い出したのだ。


 昨夜、目の前の座席に座っていたふたりは、誰だったのか。


 名前もきかなかった。どこから来て、どこへ行くのかも知らなかった。……その二人そもそも実在していたのだろうか、という気にさえなった。そしてあの駅も、昼光ちゅうこうの中ではあまりにも希薄きはくで非現実的に思えた。


 しかしトキ子の脳裡のうりには、静止した残像のように二人の姿が刻み込まれていた。誰もいない座席を前にして彼女はしばらくのあいだ立ち尽くしていた。


(第三話完)

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