2

 時は戻ってその日の未明のこと。


 星明かりの下、「星ねこ号」はまだ暗い雪の高原を走っていた。

 積雪で白く覆われ、浅い針葉樹林が見え隠れするだけの風景を縫いながら「星ねこ号」は静かに移動して行った。


 ときどき小さな駅に停車するが、乗降客はいない。


 どの駅も小さな集落の近くにあり、主に生活物資の輸送のために作られていた。したがって、プラットフォームも土を盛り上げただけのものが多い。


 停車すると赤帽が駆け寄り、麻布あさぬのにくるまれたいくつかの貨物を積み下ろしてから、すぐ発車する。


 ブチ猫はそういったどこかの駅で、たくさんの貨物の中に紛れて、ひそかに車内に潜り込んだのであった。数時間前、ここから百キロ余りも離れた駅のことらしい。


 「無賃乗車の場合は即座に車外へ放擲ほうてきするという規定です。法規。星ねこ鉄道運用規則第百六条施行規則第三番。

 とにかく、下車いただきます、お覚悟なさってください」


 車掌は無慈悲に宣告した。


 その場にいた車掌以外の全員が思わず車窓ににじり寄り、格子のはまった小さなガラス窓の外を見た。


 「星ねこ号」は急勾配きゅうこうばいの崖にかろうじて切り通しされた線路を走っていた。


 すなわち。


 左は切り立った絶壁。

 右は断崖。底は霧でけむって見えない。


 「こいつぁ、ダメだな。お陀仏だぶつだ」


 ぼそっと探偵が言う。


 車掌以外の全員の顔から、さっと血の気が退いた。もっとも黒猫の顔色を読むことは、毛並みのせいもあって難しかったのだが。


 「な、なんとも、ならんですかなぁ」


 「ええ。重々お覚悟であります」


 「そないなこと言われても……」


 遂にブチ猫は大声で泣き出してしまった。目やにだらけの顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになる。


 「ねえ、探偵さん、なんとかならないの?」


 見かねてトキ子が尋ねた。


 「なんとかと言ってもなあ」


 探偵は眉をひそめてこの修羅場を見守っていたが、ふと目を止めた。

 ブチ猫の唯一の所持品、薄汚いポシェット。それがわずかにふくらんでいる。


 「おい、おまえ。本当に一銭も持ってないのか?」


 「へい。旦那。ぶるぶる。」


 「その中には何が入っているのだ」


 「へい。全くもって、詰まらぬもので。ぶるぶる。」


 「ちょっと見せてみたまえ」


 ブチ猫はポシェットを開けて中身を取り出した。


 銀鎖ぎんさのペンダントであった。


 取り付けられている石は独特の形状で、均等に突起のある五芒ごぼうの星形であった。しかしそれは表面こそ磨かれていたが、全体的に灰色で、とても宝石には見えない。せいぜい素朴な工芸品といったおもむきである。


 しかし探偵の目は見逃さなかった。


 一見どんよりした灰色に見える石の中にちらりと赤い火のような輝きがまたたいて、消えたのだ。


 (これは、ひょっとすると……)


 思う心とはうらはらに、探偵は気乗りしなさそうに切り出した。


 「うむ、本当に詰まらん物だな」


 「さようで。先祖伝来ですが、大した家柄でもございませんで。ぶるぶる。」


 「うむ。しかし俺はこのフオルムを少し気に入ったぞ。……どうだ、車掌君。俺が運賃を払うならば、旅券を都合してやって呉れまいか」


 車掌はハッと気づいて、革鞄からハンドブックを取り出し、慌ててページを手繰った。


 「探偵さま。左様さようでしたら、法規二百三号施行規則の一。別名、身請け人特例がございます。事後に相応の運賃を支払えば特例として無賃乗車が免責されるものです。

 つまり今回は、探偵様が運賃をお支払い頂けることが確約されるならば、本条が成立します。しかし……」


 「分かった分かった」


 探偵は車掌の言葉をさえぎり、ブチ猫を見据えた。


 「どうだ。聞いたか。俺がそれを買い取って、お前はその代金を切符代に充てれば良いということだ。悪い話ではなかろう」


 ブチ猫はすぐには意味を飲み込めなかったが、ようやく理解したところで、探偵に向かって深々と頭を垂れた。


 「あ、ありがとうございます。だんなあ。」


 「おうよ。困ったときはお互い様ってものさ。はっはっは」


 探偵はここぞとばかり、鷹揚おうようにうなづいた。お大尽だいじんの気分も悪くない。しかしその一方、目立たぬように財布の中身を探る。紙幣が三枚とわずかな小銭。切りつめて一ヶ月暮らせるだけの金額だ。


 (あれが、もし、星のかけらだったとすれば、見積もって数十倍、いやことによっては数百倍の価値がある筈だ。よもや違っても、あの輝きはきっと名のある鉱石に違いない。決して損はしないことだろう)


 胸中きょうちゅうにて皮算用をすませ、探偵は車掌に必要な運賃を尋ねた。

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