ひとこと

キム

ひとこと

 キーンコーン

  カーンコーン


 三月十四日。木曜日。

 一日の授業が終わり、クラスメイトが部活や遊び、帰宅に向かう準備をする中、花鶏あとり風月澪ふづきれいに近づいていった。

「すまん風月っ! ちょっといいか!」

「んー、なんだよ花鶏。そんなに叫ばなくたって聞こえてるっての。それともアレ? 大きな声で呼んで、クラスの皆にれぇちゃんは俺のものだぞーってアピールしたいわけ?」

 風月はニマニマと笑いながら呼びかけに応じる。

「ち、ちげーよ! そうじゃなくて。ちょっと用があるんだけど、付いてきてもらえないか?」

「えー、れぇちゃん今日バイトあるんだけど」

「ちょっとだけでいいからさ、な?」

「わかったよ。しょうがないなあ」

 そう言って二人は教室を出て、校舎裏に向かって歩いていった。


 花鶏と風月は幼馴染で、小さい頃はよく遊んだりしていた。しかし、中学にあがる頃には思春期特有の気恥ずかしさからか、お互いに距離を空けつつあった。

 高校生二年生になった今となってはときどき風月が花鶏をからかうことはあるが、もはやただの"クラスメイト"な関係となっていた。


 校舎裏の特に人気のないところまでやってくると、先を歩いていた花鶏が立ち止まった。風月もそれに合わせて三歩ほど離れたところで立ち止まる。

「それで、用ってなに?」

「えっとさ、これ……」

 そう言って花鶏が制服のポケットから取り出したのは、クッキーが何枚か入った透明な袋だった。

「へー、美味しそうじゃん。これがどうしたの?」

「やるよ」

「誰に?」

「風月に」

「えっ、れぇちゃんに? なんで?」

「ほら、先月のバレンタインのときにチョコくれただろ。その……お返しだ」

 気恥ずかしさから、語尾がか細く消えそうになる。

 理由を聞いた風月は、先月のバレンタインデーのことを思い出した。

「あー、あれか。れぇちゃんが作ってきたチョコね。っていうかあれ、お前にだけあげたわけじゃなくて、クラスの皆にあげたんだけど。わざわざ律儀にお返しをくれるの?」

「それは知ってる。でもさ、俺にくれたチョコにだけ入れてただろ? 俺が好きなアーモンド」

 風月がクラスメイト全員に配った一口サイズの手作りチョコを、当然花鶏も貰っていた。そして花鶏が貰ったチョコには、花鶏の好物であるアーモンドがまるまる一粒入っていた。

「他のやつに聞いたら、皆アーモンドなんて入ってないって言ってたぞ。あれ、俺のにだけ入れてくれたんだろ。俺の好物を知ってたから」

「…………えー? なんのことー? れぇちゃんわかんなーい?」

 心の内をごまかすように可愛く言いながら目をそらした風月だが、小さい頃から彼女を知っている花鶏にはこれが照れ隠しだとわかっていた。

「まあいいや。とにかくこいつを受け取ってくれ。ほい」

 そう言って花鶏は風月に近づいて、手に持っていたクッキーの袋を渡す。

 風月は袋に入ったクッキーをまじまじと見つめながら、花鶏に尋ねる。

「ふーん、クッキーの形が動物の顔になってるんだね。キツネとかあるじゃん。形も綺麗だし。これちょっと高かったんじゃない?」

「いや、作ったんだよ」

「誰が?」

「俺が」

「は? いやいやいや、ウソつけし。花鶏、お菓子なんて作れないでしょ」

「嘘じゃねーし。姉ちゃんに教わりながら作ったんだって。かなり苦労したけど」

「あー……そういやお前のお姉ちゃん、お菓子を作るの好きだったね」

 言われて風月は納得した。花鶏の姉には小さい頃に遊んでもらったが、彼女がお菓子作りが好きだったのは覚えている。

「てか市販のクッキーだとお前食べられないかもだろ。お前はその、人間じゃないんだから」

「あっ……わざわざ気を使ってくれたんだね。ありがと」


 花鶏は知っていた。

 風月澪の正体が、実は狐であることを。

 普段は耳と尻尾を隠して人間として過ごしているが、彼女は狐であり、人間が普段口にしている食べ物でも狐にとっては毒になるものもある。

 そのため花鶏は、クッキーを作る上での材料選びにも慎重だった。


「それにしても、手作りねえ。チョコ一個にずいぶん手の込んだことをしてくれるじゃん?」

「まあ……チョコのお返しってのもあるけど」

 花鶏は歯切れが悪そうに言いながら風月から目をそらす。

「ほら。風月、明後日が誕生日だろ? 土曜だと会えないしさ。だから、今日渡しておこうと思って……」

 明後日、三月十六日は風月の誕生日だ。しかしその日は土曜日で学校がないので、花鶏は風月に会うことはできない。

 いや。

 会おうと思えば学校の外でも会うことは可能だ。しかし、女の子の誕生日にその子とわざわざ学校外で会うなど、そんなものは告白しているのと同義だ。と考えている花鶏に、休日に風月と会う勇気はなかった。

「覚えてくれたんだね。ふーん……そっかそっか。つまり花鶏は、チョコのお返しという口実で、れぇちゃんに誕プレを渡したかったんだねえ。それもなんと、慣れない手作りのクッキーを! かわいいなー」

「なっ! ちげーよ馬鹿! そんなんじゃねえって!」

「バカってなんだよバカって! れぇちゃんはかしこいんだぞー!」

「賢いやつは自分のことを賢いなんて言わねえよ!」

「なにをー!」

「なんだよ!」

 顔を近づけてお互いにしばらく睨みあうが、どちらからともなく笑いだしてしまう。

「ぷっ……ふふっ! あーおかしい! 花鶏とこんなに言い合ったのいつぶりだろうね」

「さあな。高校に入ってからあんまり喋ってなかったし」

 小さい頃のことを思い出して、二人ともただの”クラスメイト”ではなく、"幼馴染"な表情になっていた。

「クッキーはありがたく頂くね。じゃあ、れぇちゃんはそろそろ行くよ?」

「お、おう。わざわざこんなところまで来てもらって悪いな」

「いいっていいって。久々に花鶏といっぱい話せて嬉しかったし。んじゃねっ」

 そう言って風月は手を降って、花鶏に背を向けて歩いていく。


 その後ろ姿を見て、花鶏はその場から動けずに悩んでいた。風月にまだ「おめでとう」を言えていない。

 あと数歩したら、あの角を曲がってしまったら、もう風月におめでとうを言うタイミングは二度とない。花鶏はそう思ってしまった。来年の誕生日には高校を卒業しているだろう。そうしたらもう、会うこともないかもしれない。祝うとしたら、今このタイミングしかないのだ。

 しかし数年の時をかけて積み重なった恥ずかしさが邪魔をして、たった”ひとこと”が言えないでいる。小さい頃の花鶏なら、こんなことで悩むんでいる間に祝いの言葉の一つや二つぐらい言っていただろう。


(小さい頃、みたいに。そうだ……)


 いつからか、恥ずかしくなって呼べなくなった名前を思い出す。大きくなって芽生えた恥ずかしさが邪魔をするのなら、幼い頃のように素直になればいい。

 そう思い、花鶏は”ひとこと”に様々な感情とたくさんの思い出を乗せた。


! 誕生日おめでとう!!」


 建物の角を曲がる瞬間、風月は花鶏の声に驚き、

 振り向き、

 まるで花鶏の気持ちを察したかのようにニカッと笑ってから去っていった――

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ひとこと キム @kimutime

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