裸の部長
しばらくマツモと軽口を交わし別れると、俺は再びエレベーターに乗り込んだ。
所要時間2秒、9階に到着。慣れないフロアに迷いつつも、目的の部屋を見つけ扉を叩く。
「どうぞー」
一拍置いて返ってきた懐かしい声。
扉を開いて足を踏み出すと、書類を見つめる元部長の姿が目に飛び込んできた。
それにしても、変わってないなー。
「失礼します」
と、挨拶を済ませたところで、やっと顔を上げた相手と目が合う。すると、部長は途端に表情を緩ませて、
「あらっ! 久しぶりじゃないのー、元気だった?」
喋りつつ立ち上がり、右手前の対面ソファーへと移動する。
「ええ、おかげさまで。部長もお元気そうで何よりです。」
「いやーもうだめだよー、最近太ってきちゃってさー」
腰を下ろしながら腹をさする。手でソファーを指して、座るように促してきたので、座りつつ、
「今何パーセントですか?」
そう聞くと、部長は嬉しそうに「今ね~」と少し考えるそぶりを見せて、
「10パーかな」
と、決め顔でポーズを取って答えた。
実はこの男、ボディービルダー。
しかも天界で上位に君臨するほどの実力者で、さっきの10%というのは体脂肪の話だ。
「裸の部長」という二つ名もこれに関係している。
要するに宴会などでテンションが上がると脱ぐのだ。自慢の筋肉を見せるために。
高身長、良すぎるがたい、黒い肌に映える純白の歯。
スーツがまるで皮膚のように似合っている。豪快にして快活な性格でもう一つの趣味は下界の競馬。
今も右耳に赤ペンを乗っけている。
……いや、何で仕事中に赤ペン乗っけてんだよ。絶対競馬してたじゃん。さっき見てたの競馬新聞だったんじゃないの?
「相変わらずストイックですよねー(競馬も)」
「まあ三連覇かかってるからね」
話しつつも、さっきからポーズをきめまくっている。今度は腹の前で腕を組み、後ろにひねった体を胸筋を強調しながら戻して、
「で、今日はいきなりどうしたのぉ?」
と、まじめな話をし出すので俺はつい吹き出してしまった。
「アハハハハハッ!」
部長は、それを見て満足げに笑う。俺はゴホゴホと一通りせき込んだ後、落ち着いてから
「ほお、退職願」
やはり部長も、少し驚いた様子だった。
「はい、一身上の都合で辞めさせていただこうかと」
「はー。そうか、そうかー」
筋繊維の詰まった太い腕を組み、しきりにうなずいている。
「理由は詳しく聞いてもいいのかな? 何かやりたいことでも見つかったのかい?」
やはり所長と同じことを聞かれた。しかし所長とは違い、この人にはお世話になったし迷惑もかけた。
だから――素直に話すべきだろう。
俺は、重い口を無理矢理に開いた。
「実は自分――」
そのとき、不意にマツモと交わした最後のやりとりが頭をよぎった。
「また飯でも食いに行こうぜ」そう言ったあいつ。
とっさに俺は「ああ」と応えてしまった。
しかし悪いことをしたかもしれない。あれはきっと嘘になってしまうだろう。
その約束が果たされる日はこない。
なぜなら、俺は、明日から……。
「――人間になります」
伏せていた顔を上げ、部長の目を見つめて言い放った。
神が人間になるなど、言語道断。前例を聞いてことすらない。
だからこそ所長には言わなかったのだ。
でも――この人なら、きっと。
部長は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたあと、一度真顔に戻りこちらを凝視していた。
完璧な静寂の中、まるで判決を言い渡される被疑者のような気持ちで。
俺はただひたすらに、部長の反応を待った――。
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