所長は偽善者
翌日。
「困るよー、勝手なことしてくれちゃー」
俺は当たり前だが説教を受けていた。
結局、あの後みんなが(どうやったのかはしらないが)あの場にいた人間全員に不幸魔法をかけ、プラマイゼロにしてくれたらしく、事態は無事に収束した。
まあ、俺が朝から、会う人みんなに平謝りしたのは言うまでもないだろう。
おかげで腰が痛い、自業自得の模範例だな。
あんなに迷惑をかけたのにも関わらず、
「ったくもー、勘弁してくれよー」
「今度なんか奢れよ?」
などと言いつつ笑って水に流してくれるみんな。
思はず泣きそうになった。良い仲間達だ。
しかし、さすがに上に報告しないわけにもいかず、こうして所長のありがたーいお話を聞いているというわけだ。
「まあ今回は何事もなく終わってよかったけどね?」
デスクの並ぶ
壁に貼られた、やけに達筆な『ノルマ:一日二〇〇人!』の紙が目に付く。
俺は窓際に位置する所長の机、その前に立たされていた。
特に内容もない話が延々と続くこと早二〇分。
「疲れてるのはわかるけどさ、もうしないでね? 困っちゃうから」
「……はい。すいませんでした」
困るよ、が口癖の痩せ形の中年。常時眼鏡着用、本当に困った顔をしている。
「じゃあこの話はもう終わり、仕事戻って」
「ちょっと待ってください」
と、やっと説教が終焉を迎えたタイミングでそう前置きし、俺は作業着の内ポケットから紙束を取り出す。そして、それを所長に差し出した。
すると所長は怪訝そうな顔をしてメガネに手をやり、紙に書いてある文字を読み上げた。
「退職願?」
「はい、一身上の都合により辞めさせていただきます」
戸惑ったようで目をパチパチと
「……はあ、そうなんだ。昨日のこと、気にしてたりするの?」
「いえ、だいぶ前から考えていたので」
「へー。何かやりたいことでもできた?」
本当は違うのだが、面倒なので小さな嘘をついた。
「……農業でも始めようかと思いまして」
「そっか……まあ残念だけどしょうがないねー。よかったら野菜送ってよ」
「ええ、もちろんです」
「ところで、中央の実家にも最近帰れてないんだろ? この機会に帰ってあげたらどう?」
中央には本社があり、俺は左遷されてこの近畿地方の支部にやってきた。
俺の実家も中央にあるのだが、確かにここ数ヶ月帰れていない。
というかどのみち報告も兼ねて帰らなければいけないのだ。
「……そうします。ありがとうございます」
思い返せば幾度となく受けた説教、いちいちうるさくて嫌ってた時期もあったけど、こんなに親身に、家族のことまで気にかけてくれるなんて。
「今までお世話になりました」
「こちらこそ――体に気をつけて」
この人が上司でよかったかもしれない。見直したよ、見直したよ所長!
深々と頭を下げてから
「ああ、そうそう。中央に行くならさ、ついでにこれ、本社に出してきてくれない?」
そう言って所長が差し出したのは――俺の辞表届だった。
「え? ああ……わかりました」
驚き戸惑う俺に対して、所長は笑顔で話を続けた。
「いやー、今忙しくて時間ないのよ、ほんと助かるよありがとう」
「・・・・・・」
あれ? 何でそんな嬉しそうなの?
「中央って遠いのよおっさんには、ほんと助かるよ」
さっきまでのしんみりはどこへやら。対極的な笑顔で、喜々として話す中年に対して感じた戸惑いは、程なくして怒りに姿を変えた。
「・・・・・・」
ははーん、なるほど、そう言うことか。
俺は全てを悟った。
どうやら自分で持って行くの面倒だっただけらしい……。
はじめからそのつもりだったなぁ!
見損なったよ、見下げ果てだよ所長! あんた最低だよ!
所長、改め偽善者は、一通り喋り終えるとおもむろに立ち上がり、俺の肩に手を置いて、
「頑張ってな、応援してるぞ」
などとのたまい、満足げにその場を後にした。
俺は一度、ゆっくりと瞳を閉じる。
静寂に包まれるオフィス。
回しっぱなしの換気扇、そのうめき声がよく聞こえる。
奴が完全にこの場から離れたのを確認すると、今度は大きく目を見開いた。
「…………いや、信じられねぇわっ!」
野菜欲しいだけだろお前。本当に最低だな。
この瞬間俺の中で、所長への好感度があとかたもなく消え去った。
裏切りのショックで放心状態の中、ノルマ二百人の紙を眺めて、
「親の力であいつクビにしてやろうかな?」
などと考えていると、視界の端で何やら「赤い物体」をとらえた。
机の左側、手前。すぐ届く位置にあるだるまの置物。
片目が白いままの――だるまの置物。
そういえば、「業績が近畿一になったら目を書く」とか言ってたなー。
そう思い出した途端、またもや良からぬ考えが浮かんだ。
そして、俺はすかさず胸ポケットからペンを取りだし、だるまを引っ掴むと――!
「お世話になりましたぁぁぁぁ!」
と
いいよね? 水性だから別にいいよね(泣)!?
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