第十一話 相坂学人の除霊法

 そこには、何もない。


 竜之助の姿もない。カブラギの姿もない。人ならずの姿も、瓦礫の建物さえない。

 そこには、なにもない。


 ――そんなことはないさ。よく目を凝らすんだ。


 一颯の声が、本当に小さい音で耳に届く。言葉に従って、学人は目を凝らした。

 浮かぶのは、小さな銀縁の影。


 それは、びっくりするほど近く、学人の目の前に浮かんでいた。

 ひとたび視えてしまえば、どうして逆に今までわからなかったのかと思うほど、はっきりと銀縁が塊であるとわかるほどに、その明暗が見える。


 学人は、まだ止まらない涙をそのままにして、銀縁の歪んだ塊に額を付けた。


 ぴちゃり、冷たい感触が額から伝わってくる。はっきり言うと気持ちが悪いが、それ以上に、学人は涙が溢れた。


「……君は、誰かに、なりたかったんだね」


 ぴくりと。

 額に触れた塊が慄くのを感じた。それは、恐怖で震える子供が暖かい手に触れられてさらに恐れるのに似ている。


 そう、これは、子供だったのだ。


 少なくともこの『人ならず』は、人になることのできなかった「人の魂」なのだ。


 塊の震えは大きくなり、一気に手にも似た触手を塊から飛びだたせて、学人の首を絞める。


 ――けど、学人は、それすら受け入れた。


『人ならず』が人にもたらす恐怖を受け入れ、その殺意も受け入れ……。


 穏やかに、微笑んだ。


「君は、君だ。僕がそう決めた。僕がそう見定めた。だから、安心していいよ」


 ぶるり、と塊がうねる。大きくうねる。


 学人の首にかけられた触手はゆっくりと引っ込み、銀縁の塊は学人の側からゆっくりと離れていった。



『人ならず』は人ではないもの。人にはなれなかったもの。誰にも見られることのなかったもの。



 だから、学人は自分の視る力――誰よりも強い『見鬼』をもってして、『見てほしい』と願う『人ならず』の願いを叶えて見せたのだ。


 銀縁の塊は、はらはらと小さな欠片となって消えてゆく。


 それをしっかりと見守り続け、『人ならず』の魂が消えた後――学人は、自分の意識をゆっくりと手放した。


「お帰り。学人」


 視界いっぱいに広がる、大きな黒い瞳を持ったニヤニヤとした顔。


「……寝起きに一番見たくない人の顔だ」

「いうねぇ、助けてやったのに」


 一颯は至極面白そうに人の悪い笑みを浮かべ、学人の額に頭突きをかます。


「いってっ!」

「罰だな。泣き腫らした目をしやがって。「視る」のはいいが同情はするなよ」

「……それは、ちょっと悪いと思ってる」


 学人は上体を起こしながら、渋々姉の言葉に頷いた。


 今回、自分がしでかしたことはとんでもないことなのだと、薄々感づいている。起き上がれば予想通り、あきれ顔の竜之助とカブラギの姿があった。


 「――『人ならず』と話し合いで解決できるとは、思ってもみなかったよ」

 『危なっかしすぎる。おい、鬼使。貴様どういう教育を施したのだ』

 「べっつにー。こいつが育ち方を間違えたのさ」

 

 何を言われても一颯はどこ吹く風。だが、赤いコートを纏った一颯の姿を見ながら、学人は驚いた。


「姉さん、そんな服持ってたっけ」

「あー、これ? 仕事服だからね、アンタには見せたことないよ。ふふふ、似合うだろ」


 大抵の服が似合う一颯だが、どうやらその服には愛着があるらしい。学人に見せつけるように子供のようにくるりと一回転しながら、不敵に微笑んだ。


「……おい、一颯。とりあえず説明寄越せ。俺にはさっぱりわからん。なんで『人ならず』は消えたんだ? お前さんが消したわけでもないのに」


 竜之助の問いに、一颯はあからさまに嫌そうな顔で答えた。


「えー、そこからかよ。じゃあ逆に質問、『人ならず』ってなに?」

「……人を襲う化け物だ」

「そこから認識が違うんだよ、竜之助」


 ちらり、と一颯が目を向けたのは、ぶすっとした顔のカブラギである。どうやら質問者の矛先を変えたらしい。


『『人ならず』とは、結果として「人となりたい怪異」だのぅ。時には人の魂そのものでもある。幽霊とて、ある意味では『人ならず』といえるが。人を求めるがゆえに人を襲うという哀れな存在じゃ』


「はい大正解。さっすがカブラギさん。こいつが今回やったことはね、単純に「人として生まれなかった」魂の集合体だった『人ならず』を『人として視た』ことだよ」

「……馬鹿な」


 吐き捨てるような、竜之助の苦しげな声。その言葉と同時に、竜之助は身を翻してその場から立ち去ってしまった。


『……なんじゃ、あの不審者の態度は』

「あいつはね、『人ならず』を憎んでいるんだよ。だから、学人みたいにまっすぐに連中を視れない。憎悪というフィルターがかかってるからね」


 憐れむように、竜之助の去った後を見ながら一颯がいう。そして、それ以上は言いませんといわんばかりに口を噤んだ。


「姉さん、じゃあ、沙也さんの『人ならず』とも話し合いで解決できる?」

『無理じゃ』


 即答したのは、カブラギだった。彼は険しい顔で姉弟を見ながら、もう一度叩きつけるように言葉を放つ。


『あれは憎悪に満ち満ちている。今、鬼使の弟が和解した『人ならず』は無垢な部分も多かったからできたこと。弟の心をまっすぐ受け止める純粋さがあったから和解で来ただけの話。――奴は、もうどうしようもない』

「だってさ」


 一颯は、学人に向かってニカリと笑う。


「男が上がった学人にはかわいそうだけどね。沙也に憑いている奴はちょっと難敵だ」


 そして、間を置く。

 その顔からは笑みが冷えるように消え、普段ちょっと見ることのできない姉の真面目かつ、冷酷な表情が垣間見ることができた。


「どうする?」

 ――諦める?


 言外にそう告げる一颯の表情は、真剣そのものだ。

 ……なんとも意地の悪い姉である。大事なことは、一つとして告げやしない。


「――これから先は、命を懸けていいかってこと?」

「わかってるね。そういうことだよ。沙也のために命を落とす覚悟はあるの?」

『……』


 カブラギも、黙ってこちらを見ている。しかし彼の目は、どこか懇願にも近い感情が浮かんでいた。


 学人は、もう一度目を瞑ってしっかりと物事を確認する。今度こそ、姉はすべてを応えてくれるはずだと信じて。


「僕にできることは、視ることだけ?」

「いいや」

「僕は、対処する力をもっている?」

「……そうだ」

「……僕は何なのか、今、教えてくれる?」

「いいや」


 学人は目を開いた。

 姉の顔は、凍り付いたように冷酷な顔になっている。非情な顔――これがきっと、一颯が学人に一番見せたくなかった顔。

 これが『鬼使』と呼ばれる女の顔。


「それは、僕が力不足ってこと?」

「知らなくていいこともある。が、知らなければいけないことは、お前の男が上がったら教えてやる」


 冗談交じりに言っているが、その目は真剣そのもの。

 実際、今、学人は自分の力が何なのかを教えられたとしても意味が分からないだけなのだろう。


「わかった。僕も、命を懸けるよ。――その代わり、ちゃんと全部教えてね」

「――いいよ、ちゃんと教える。その代わり、ちゃんと私の友達を守ってね」


 一颯は、普段のように面白がるような目で学人をみた。少しだけ、いつもよりも満足げな表情だった。

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相坂姉弟の除霊奇譚 千羽はる @capella92

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