第九話 甘えた自分は、もういらないから

 太陽が道を照り付けている。


 冬にしては、異様に強い太陽が学人の首筋をチリリと焼いた。


『おぬし、どこにいくのだ?』

「ちょっと人に会うので……って、どうしてついてくるんですかカブラギさん」

『我が愛娘は二階に上がらなければ問題ないのだ。我もお主に涙ながらに助力を乞われた以上、放っておくわけにもいくまい?』

「涙ながらにお願いした記憶はありませんが……」


 まぁ、いいや。


 学人はこういう横暴な発言には姉のせいで慣れているので、ふわりと隣に浮かぶ上から目線の幽霊の発言にもスルースキルを発動。


 学人が人を呼び出した先は、商店街よりも数キロほど離れた公園だ。

 もちろん、姉を呼び出せるわけがなく、はしゃぐ子供たちの間で不審そうに親から睨まれている竜之助に会うためである。


 ブランコに座ってぼーっとしている男を見て、学人は、実に不思議な人だと思う。


 竜之助の明晰さは、高校時代からの付き合いで学人も知っている。本来なら探偵なんてやらず、どこぞの研究者や、教授になれる程の頭脳の持ち主だ。

 けれど、彼は不思議と姉に従っている。しかも寂れた探偵なんて不釣り合いなことをして。


「竜之助さん!」


 学人が名前を呼ぶと、あらぬ方向をぼーっと見ていてあからさまに不審者状態だった竜之助の目に生気が戻った。


 ――ああ、そうか。学人はハタと気が付いた。


 この人には「生きている」という実感が沸かないのかもしれない。

 竜之助が過去どうやって生きたのか、姉とどういう関わりがあるのか、今までの学人には興味がなかった。


 いや、「二人が生きる世界で自分は生きていけない」と思っていた、というほうが正しいだろう。


 ――僕は姉さんとは違う。あんなに強くないもの。


 ――僕は竜之助さんとは違う。あんなに冷静に事件を解決できないもの。


 そう言い訳して諦め続けてきた。

 自分よりもはるかに優秀で、強くて、すごい人達を見てきたがゆえに、自分から一歩を踏み出す気持ちさえ持たずにいた。


 けど、一か月間、学人は毎日沙也の顔を見続けた。カブラギと話をし、彼女が何らかの危機に巻き込まれていることを知らされた。


 僕には力はないけれど、僕には明晰な頭脳もないけれど。


「よぉ、学人君。どうしたんだ思い詰めた顔をして」


 竜之助は親しみを込めた眼で、近づいてきた学人を歓迎する。


 きっと今の気持ちさえ、竜之助にはお見通しなんだろうな。


 今の自分は、普段よりも険しい表情をしているに違いない。だって、今から学人は『禁断の領域』に踏み込もうとしているのだ。


 今まで、姉が隠してきたこと。弟から遠ざけ続けてきた怪異の本質。


 学人は、それに気づいた。今まで、その事実にさえ気が付かなかった。


 けれど、カブラギが姉を『鬼使』と呼んだことが、今は気になってしょうがない。


「関係ない」で貫き通そうと思っていた。「僕には何もできないから」という理由で。


 でも。でも。


 好きな人が危ない時に、何も知らなかったから何もできませんでしたなんて、口が裂けても言いたくはない。


 ――男だろ、惚れた女くらい守って見せろ。


 姉の言葉が脳裏に浮かぶ。


 一颯もきっと、わかっていたに違いない。


 今までずっと、何か言いたそうな顔で一颯が自分を見返してきたことは多々あった。


 そのたびに、僕は「諦め」て、逃げてきた。一颯は、そんな学人を許してくれた。


 ――あれがきっと、唯一の姉らしさ。学人を危険から遠ざけようとする優しさと、学人の逃げを認めてくれた甘さ。


 けど、それをしていては、きっと今回、沙也を助けることはできないと、薄々感じ始めている。


 カブラギが訝しそうに竜之助を見ているが、彼には今、何も言わないようにとお願いしてあった。


 これは、学人が全部、やるべきだから。


「竜之助さん」


 学人は姿勢を改める。姉のように、背筋を伸ばし、堂々とした態度で、今まで頼り続けてきた、甘え続けてきた相手をしっかりと真正面に見る。


「教えてください。姉さんの正体と、貴方の正体と……僕が相手にすべき怪異を」


 竜之助は薄っすらと目を細めた。


 それは、何か眩しいものを見るかのようで。


 それは、遥か過去に郷愁を見出しているかのようで。


 彼は、火をつけていなかった咥え煙草を皴皴のシャツの棟ポケットに入れて、少し寂しそうに笑いながら答えた。


「……ああ、いいよ。全部、きみの姉さんの思い通りになったな」


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