第三話 それでも彼は探偵です

 そのビルは、繁華街から少し離れた場所にある。

 お世辞にも綺麗とは言えない古いビルの6階に、彼は「探偵事務所」を構えていた。

 狭く小さな廊下を歩き、ギギギとホラー映画のサウンドにも似た音を立て、学人は事務所の扉を開ける。

 

 扉を開いたらすぐ正面にあるソファの上で、ひょろりと背の高い男が頭を抱えて横になっていた。


「竜之助さん?」

「……やめてくれ、頭が割れそうだ」


 低い声だ。

 美声といっても過言ではないのだが、いかんせん、声の持ち主の容姿が悪いとは一颯の言葉。

 ぼさぼさの髪に無精ひげを生やし、ハードボイルド小説の探偵のように紙煙草だけは欠かさない。

 立ち上がれば学人より高い身長なのに、常に猫背でしかもやる気の欠片も見えないため、学人と同じ視線になってしまうらしい。

 あと、容姿があんまりにも汚らしいといわれて、時折、不審人物に間違われると愚痴を聞いた覚えもあった。

 

 評価はともあれ、学人にとって、彼は大切な「仕事仲間」だ。

 

 具合が悪いのなら無理をさせまいと、布団を鳥に行こうとしたところで冷ややかな声に止められる。


「ただの二日酔いですよ。学人さん、同情無用です」


 事務所のぼろぼろ加減に似合わない、凛とした女性の冷たい声が響く。

 その声さえ頭に響くのか、竜之助は嫌そうに顔をしかめた。


「穂香さんや、もうちょっと上司に気遣いとかないのか?」


「あなたを上司と思ったことがありませんからね。馬鹿にはいい薬です」


 容赦なく言い放つのは、青がかった黒髪を一つに束ね、ピシッとしたパンツスーツを身に纏う女性。

 柔和で優しげな顔立ちに反し、性格の悪い一颯に大いに気にいられるほど容赦ない言動で、主に上司である竜之助を攻撃している。

 

 穂香は、一颯の紹介でこの事務所の事務員として働く女性だ。


「人間ではないもの」を相手にする探偵事務所に勤める時点で只者ではないことは確かだが、学人は彼女の事情に深く踏み入ったことはない。


 ――だって、人にはいろんな事情があるものだから。


 学人はそのスタンスで、普段いろいろな人やモノと接する。


 そのためか、穂香の毒舌も学人に向けられたことはなく、むしろ彼女から弟のように思われているらしい。


「で、学人さんはどうされたんですか? この二日酔いの使えない男を引っ張っていくおつもりなら、ぜひともこの腕をお貸しいたしますが」


「い、いえ。今日は姉さんから、新しい依頼を受けたんです。だから一度竜之助さんとミーティングをしてから動こうと思いまして」


「あぁ? あの女、また弟と哀れな男をこき使う気か!」


「煩いですよ万年使えない男」


「……」


 その言い方は、さすがに酷いと思う。


 でも学人が弁護できないのは実際のところ、竜之助が今日は頼れなさそうだからだ。

 今の穂香の言葉が心に刺さったのか、それとも頭に響いたのか、彼は再びバッタリとソファに倒れ込んだ。

 穂香は「やれやれ」とため息をつきつつ、学人に席に座ることを進めると同時に珈琲を淹れてくれる。


「ぐあっ、香りも頭に響く……!」


「……エスプレッソにでもして、強制的に口に突っ込んでやりましょうかこの男」


「ほ、穂香さん。たしかにお酒の飲みすぎはいけないですけど、流石にそこまでしなくても……」


「学人さん。こういう輩には傷に塩を塗りたくるような所業をしても、例え天地がひっくり返っても、もうまともにはならないんです。だから、あまりこの男と付き合いすぎてはいけませんよ。まったく、一颯さんもどうしてこんなに純朴な弟さんをゴミみたいな男に鉢合わせるんでしょうか……」


 電子音のような滑らかさで一気に毒舌を言い切る穂香は、学人の前には優しく、竜之助の前には荒々しく珈琲のカップを置いた。


「で、今日はどのようなご依頼ですか? 学人さん」


 まるで事務所の主のように、にっこりと優しく微笑みながら、穂香は学人に向き合う。



 ―――耳をつねられて、ぐぇぇっと悲鳴を上げる竜之助の悲鳴をBGMに。


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